5人の個性派監督が描く「さりゆくもの」の姿。映画『短編集 さりゆくもの』ほたる監督インタビュー
自分のLINEのトークを開くと一覧の中に
「おはよう。寝てた。どうしたの?」
という自分が打ったメッセージが見える。
返事が来ることはなく、その日の午後、友人は病院で亡くなった。
仏壇に手を合わせて、もう数か月たつ。
LINEのトークを開く度、自分のメッセージが目に入る。消せないのは、本当に終わってしまう気がするからだ。
映画『短編集 さりゆくもの』を見て、ヘン顔をする友人の顔が浮かんだ。
俳優のほたるさんが脚本を手掛け、監督・主演で撮り上げた『いつか忘れさられる』。この15分の35mm作品を中心に商業映画、インデペンデント映画で活躍する4人の監督たちが集まった。小野さやか監督『八十八ヶ所巡礼』、山内大輔監督『ノブ江の痣』、小口容子監督『泥酔して死ぬる』、サトウトシキ監督『もっとも小さい光』。そして映画『短編集 さりゆくもの』が完成した。
インタビューでほたる監督が語ってくれたように、別れは「死」だけではなく、関係の終焉もあれば旅立ちもある。ドキュメンタリーあり、スプラッターあり、人間の業あり、家族の物語あり、と一応ジャンル分けらしきものをしてみたが、常識に収まらない作品揃いだ。残された者はその影と共に歩む。
映画『短編集 さりゆくもの』は、東京・神奈川・愛知と公開を進め、いよいよ関西に上陸。7/10より大阪/シネ・ヌーヴォ、7/30より神戸映画資料館。8/6より京都/出町座にて上映予定となっている。主演・プロデューサーも務めたほたる監督にお話を伺った。
実際に起きた出来事の空所に惹かれて
『いつか忘れさられる』 田舎の一軒家。表札には渡辺家5人の名前。 いつもの、何かが欠けている家族の朝。 通学途中の娘が、母親が車で走り去るのを見る。母親が向かった先は、とある駅のホームだった。(サイレント作品) 監督:ほたる 多摩美術大学在学中よりアングラ劇団に参加し、「葉月螢」名義で女優活動を開始。1993年、瀬々敬久監督『未亡人 喪服の悶え』で映画デビュー以後、サトウトシキ、沖島勲、小林政広、山内大輔などが監督するピンク、インディペンデント映画に精力的に出演。監督・脚本・主演を務めた『キスして。』を自主製作し、2013年に劇場公開。
『いつか忘れさられる』は、ほたる監督が2014年に出演した『色道四十八手たからぶね』の残りフィルムを使って撮影された。
――『いつか忘れさられる』は、元になったお話が妹さんの実話とのことなんですが、その経験のどの部分に一番惹かれてこの物語を作ろうと思われたんでしょうか。
ほたる:相手方の内情って未だにわからないままなんですね。しかも妹の話も聞いたのは一部に過ぎないので。多分今後もわからないままでしょうし。実際は骨壷を手渡したわけではないんですけど、本当だったら遺品はお家に行って渡すと思うんですけど、来てほしくないという感じで。電車の中で受け渡しして人に見られないようにサッと帰るという終わり方をしたので、今考えても何だったんだろうって。
自分が考える先方の事情が、映画にした内容です。
田舎から夢を持って都会に出てきて、そのまま帰れなかった人って、めちゃめちゃ身に染みるんですね。私も田舎から出てきて、彼と同じような運命になるかもしれないって。短編のストーリーを自分が主人公で帰れなかった青年の目線で考えていたんですけど、年齢的はお母さんの方に近いということで。実際子どももいないから想像の中で追体験すると言うか。田舎では跡継ぎ問題のプレッシャーが女性には多いので。時間的には難しい部分もありましたが、祷キララさんはふたり兄妹という設定にして、そういった娘の視点も入れました。
――家族の視点になったことで、物語がさらに広がったと思いました。サイレントで撮ろうとされたのは、どういった経緯だったんでしょうか?
ほたる:最初に『色道四十八手たからぶね』の太田プロデューサーから、「せっかくフィルムで撮るのだからサイレントでやってみたい」という話があって。そのアイディアを受けて、ある人の視線というか、見えているけど聞こえない、不自然なくらい音がない世界の方がいいかなと。普通なんだけど、どこか違和感がある家族にしたかったので。
それが功を奏し過ぎて、東京でも横浜でも「音が出ていません!」って外に言いに来るお客さんがいて(笑)。ちょっとやり過ぎだったかもしれません。
――音がないことで映像にグッと引き込まれて、ないからこそ得られるものがたくさんある作品だと思いました。
人の中にぐいっと入ってくる小野監督の魅力
『八十八ヶ所巡礼』 2011年夏。東日本大震災の後、東京から避難し、愛媛の実家に帰った小野は、小さい頃から見てきた故郷の風景でもある四国八十八ヶ所巡礼に出る。監督:小野さやか 1984 年愛媛県生まれ。映画監督 テレビディレクター 文筆家 20 歳の頃、日本映画学校の卒業製作作品として、自身と家族を被写体にその関係を鮮烈に描いたドキュメンタリー映画『アヒルの子』にてデビュー。 性別を超えた恋愛映画『恋とボルバキア』など多数のドキュメンタリー作品を製作。
――小野監督の『八十八ヶ所巡礼』はどのような経緯で決まったんでしょうか。
ほたる:5本中最後の1本が決まらず、困っていた時に小野さんは偶然再会して。元々彼女のデビュー作の『アヒルの子』の試写を見て、公開時のトークイベントに出してもらったんですね。その後作品が公開されれば観に行っているんですけど、実際にお会いするチャンスは意外となくて。久しぶりに会ったら最後の1本が割とすんなり決まったので、本当に「縁ってあるんだな」って思いましたね。
――小野監督の作品の魅力はどういったところだと思われますか?
ほたる:小野さん自体が人の中にぐいぐい入ってくるところですね。すぐ仲良くなれるんだけど、厳しいこともはっきり言ってくる。本人が一番魅力的なので、映画も面白いんだろうなと思っています。今回主役の山田さんがとてもいい人で、あおり運転の事件があったり、奥さんがなくなってとか事情を聞くと重いんですけど、親と娘みたいに会話してる風景や、通りすがりのお兄さんと会話してる風景が、見る方もその場にいて楽しんでいるように思えて。最後のご家族の様子がぐっとくるとか、すごく綺麗にまとまって面白いし。元々本人が持っている人の心をつかむ力のたまものだと思うんです。
どこまでいくのか、山内大輔監督
『ノブ江の痣』 顔の半分に生まれつき醜い痣があるノブ江(ほたる)。夫(森羅万象)の暴力に耐えかね衝動的に家出したノブ江を救ったのは、片足に障害を持つ寡黙な青年(可児正光)だった。 監督:山内 大輔 1972 年東京都出身。日本大学藝術学部映画学科卒。1998 年監督デビュー。 以降現在までV シネマ、ピンク映画など100 本以上を監督&脚本。他にAV やテレビ番組など作品多数。2020 年、「リング」の鈴木光司原作脚本、「全裸監督」の森田望智が初主演するフジテレビ深夜ホラードラマ「あの子が生まれる……」の監督とシリーズ統括を務める。 《受賞歴》夕張国際ファンタスティック映画祭オフシアター(審査員特別賞)、ピンク大賞では最優秀作品賞4 回、優秀作品賞5 回、脚本賞と監督賞をそれぞれ3 回受賞。
――山内監督にオファーされた経緯は?
ほたる:山内さんとはピンク映画やVシネマで毎年のようにお仕事させて頂いて、いわゆる自主映画作家だけ集めての短編集より、商業でやっている方が撮る短編も見てみたいという話が出ていて。その時に山内さんの名前が上がって。なにより私自身が見てみたかったんです。かなり早い段階で参加して頂けることになりました。結局撮影は一番最後でしたが、一日でさっと撮り上げて。納品も早くて、さすがだと思いました。
――最初に拝見したときはトラウマレベルでもう観たくないという感じでした(笑)。後からじわじわと、あの時見たものがなんだったのかと掘り起こして考えていくと、主役を誰と捉えるかで全く違って見えて来るものがあって、次第に惹かれていきました。
ほたる:普段ホラーは怖くて見ないタイプなんですけど、山内さんの場合は特に自分が現場にいるから、冷静に見られるんです。『さりゆくもの』ってタイトルは後から決まったんですけど、女性監督が3人なので、似通ったタイプの作品ばかりにならないようにしたくて。スプラッター系を予想していたので、思いっきりやったらこの人どこまでやるのかなっていう興味もあって。やっぱり面白かったですね。
――プロデューサーとしてのバランス感覚もあったんですね。ノブ江を演じられていかがでしたか?
ほたる:今回は主演でがっつりやらせてもらって、やっぱり面白かったです。ノブ江としては救いがないですよね。撮影が終わってほっとしたって言うか。みんな狂っているし。演じる分には楽しいんだけど。東京の上映ではこの映画と小口さんのを見て、出ちゃった人もいて。そうですよね、と思いながら(笑)。
川を流れる小口監督はどうなったのか?
『泥酔して死ぬる』 脳出血で倒れた自称“自主映画界のワインスタイン”小川。退院後、セクハラ相手に「若い女と結婚する」と切り捨てられ、無言電話に悩まされる。死の強迫観念から断酒を試みるが、死んだ友人の共通の友人すら酒を勧めてくる。 監督:小口容子 19歳より、自主映画制作を始める。1988 年「エンドレス・ラブ」がPFF 入選。 2006 年「ワタシの王子」がイメージフォーラムフェスティバルにてグランプリ受賞。その後、バンクーバー映画祭・ロッテルダム映画祭・レインダンス映画祭等の国際映画祭 でも作品が招待上映されている。現在は、8mmフィルムで撮影することにこだわった作品制作を行っている。
――丁度お名前が出た小口監督、作品の魅力はどういったところでしょうか。
ほたる:小口さんは自主で企画上映されている「変態まつり」を見に行ったり、飲みに行ったりする仲なんですけど、何て言うか強烈で。いろんな人に女性で予算も含めてお願いしたらやってくれそうな人って相談すると小口さんが挙がったんですね。逆に失礼じゃないかなと思いながら迷って頼んだのが、映画にも出て来る退院直後で。タイミングがひどいなあと思いながらお願いしてみたらわりとすぐ「やりますから」ってお返事をくれました。川を流れるシーンをやりたいんですって聞いていて、見終わった時に呆然として、川は?(笑)。
(何が起こったかはあえて省略させて頂く。ぜひ劇場にて)
天才は天才を呼んでくるぞと。
――酒飲みの生き方としてのプライドと言うか、突き抜けた感じが痛快でした。
ほたる:今も飲んでいますしね。さすが過ぎて声をかけてよかったです(笑)。
『短編集』公開へのモチベーションになったのは
『もっともちいさい光』 母子家庭で育った光太郎(櫻井拓也) は、彼女の杏子(影山祐子) と同棲中。結婚は考えておらず、警備員の仕事で日銭を稼ぐ毎日。 二人の部屋に突然現れた母・沙希(ほたる) が、理由を話さないまま居座ることに嫌悪感を募らせる光太郎。遂に衝突する二人。やがて、光太郎と沙希に別れの日が。 監督:サトウトシキ 1961 年生まれ。福島県出身。 助監督を経て、89 年『獣-けだもの-』で監督デビュー。その後多くの監督作を手掛ける。 自らが企画した『さすらいのボンボンキャンディ』(原作 延江浩)を2021 年の公開目指し鋭意制作中。
――ラストがサトウトシキ監督の『もっともちいさい光』です。ほたる監督が考えるサトウ監督の作品の魅力を教えてください。
ほたる:私自身本当に作品が好きですし、相談した人たちの中でほぼ全員がトシキさんに声かけてみればって言うほど、みんなが見たい監督でした。
2018年に撮影をしてもらったんですね。早かったし、そのタイミングで撮ったことで櫻井拓也くんが出て、こんなに面白い作品になりました。亡くなった時はまだ仕上げ前の状態で。これをどうにかして早く上映しなくてはって思ったんです。短編集としては、最後の一人の監督がなかなか決まらなかったのと、コロナ禍での迷いもあったんですけど、とにかく早く世に出さなくてはというのが、一番自分の中でもモチベーションでした。
(※俳優 櫻井拓也さん 2019年9月24日逝去 享年31歳)
――息子役の櫻井さんとのやりとりが見所ですが、お母さんを演じられてどういう女性だと感じられましたでしょうか。
ほたる:自分の勝手な解釈なんですけど、若干天然と言うか、自分に寄せているとも思うんですけども、地に足がついていないふわふわした感じで。意外と楽しく生きていると言うか。ひどい目にもあっているけど、それがひどいとは捉えていない。ただ息子との関係はまた別で、なかなか上手くいかない、不器用ですごく愛らしい人だなと思います。ぶっきらぼうな息子に対して、本音がぶつけられない。もう少し上手くしたかったけど、ちょっと遅かったっていう感じですね。
――彼の役者としての魅力はどういったところにあると思われますか。
ほたる: 櫻井君、というより「息子だな」って思える仕草や佇まいがあって。いい役者さんだなと思いました。
――ラストの彼の姿は、たくさんの方にぜひ劇場で観て頂きたいですね。
去っていく人、残された人、それぞれを見つめて
――プロデューサーとしてそれぞれの監督にオファーをする時に一番こだわって伝えたことは?
ほたる:『いつか忘れさられる』を見ていただいて。でもテーマは死ではなくて、去っていくのはなんでもよかったんです。人でも物でも、極端に言えば地球でも。結局人が亡くなる話が多くなったのは、私がうまく伝えられなかったのかもしれません。去っていく人、残された人それぞれの感情みたいなものをテーマにして作っているので、その辺の統一感は欲しいなと思っていました。
――今コロナで映画業界も大変な状況が続いていますが、ほたる監督はどのような日々でしたか。
ほたる:今年は撮影が3回延期になって4回目の仕切り直しです。大阪の初日終わって帰ってから、今年初の撮影なんです!去年11月の山内組(『ノブエの痣』)以来じゃないかな。間が空けば空くほど早くやりたいなって。久しぶりの撮影はきっとドキドキしますね(笑)。
――撮影始動にあたってコロナ禍を経験しての思いはありますか。
ほたる:何が変わったということはないんですけど、一歩一歩楽しんでやっていきたいですね。今度の映画も、この短編集みたいに出会ったものはちゃんと見届けていきたいです。関西にも舞台挨拶に行こうと思っています。
――またお待ちしています!最後に一言、関西の観客の皆さんにお願いします。
ほたる:小野さんの『八十八ヶ所巡礼』の音楽は、タイトルと同じバンド名の方々で、「八十八ヶ所巡礼の音楽が使われているから見に来ました」っていう方が各劇場にいて、とても新鮮でした(笑)。そんなふうにどんなきっかけでもいいので劇場に来ていただければ。
こういう状況ですし、生きていれば必ずどこかで出会う感情も入っている映画たちです。
二次的な使用は一切しないという約束で今動いているので、劇場公開を逃すともう出会えないと思います。ぜひ、劇場でお会いできたらと思っています。
執筆者
デューイ松田