「2人で一緒に旅に出かけたくなったんだ」アニエス・ヴァルダとJRのインタビュー解禁!!映画『顔たち、ところどころ』
この度、アカデミー賞 ドキュメンタリー部門ノミネート、カンヌ国際映画祭 最優秀ドキュメンタリー賞受賞した映画『顔たち、ところどころ』を2018年9月15日(土)よりシネスイッチ銀座、新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか、全国順次公開する運びとなりました。
本作は、ヌーヴェルヴァーグの祖母とも呼ばれる女性映画監督の先駆け”アニエス・ヴァルダ”と 、世界中から注目を浴びる写真家・アーティスト”JR”による共同監督作。年の差54歳のふたりがフランス田舎町を北から南へと旅をし、人々と出会い、友情をはぐくむ、ロード・ムービースタイルのドキュメンタリー映画です。
─どのようなきっかけで、この映画を作ることになったのですか?
なぜ一緒に映画を作ろうと思われたのですか?
JR:最初から話そうよ。
アニエス・ヴァルダ(以下、ヴァルダ):娘のロザリーが、私たちが会うと面白いんじゃないかって思ったのよ。それで2人共、そのアイデアが気に入ったの。
JR:僕が最初の一歩を踏み出した。ダゲール通りにアニエスを訪ねて行ったんだ。伝説的になっている彼女の家のファサードを写真に撮った。あそこにアニエスは100年も住んでいるんだ。それから猫と一緒の写真を撮ったんだ。
ヴァルダ:100歳なのはあなたのおばあちゃんで、私じゃない わよ。まだね。その翌日、彼のスタジオを私が訪ねたの。彼のポートレートを撮ったんだけど、サングラスを取ろうとしないことに、すぐ気づいたの。
JR:その翌日も、翌々日も会ってお茶をしたんだ。
ヴァルダ:それですぐ彼と何かを一緒にやるべきだって思い立ったのよ。
JR:最初は短編を撮ろうって話だったよね。
ヴァルダ:ドキュメンタリーのね。あなたが壁に人々の大きな写真を貼って、その大きさで被写体である彼らを力づけて、私は彼らの話を聞いて、彼らの発言に焦点を当てて、何かを引き出していく。そういう映像がはっきりと浮かんだのよ。
JR:それで一緒に旅に出かけたくなったんだ。アニエスも僕も、それまで共同監督というのをやったことがなかったんだよ。
─なぜ主にフランスの田舎の人々に焦点を当てたのですか?
JR:アニエスが都市から僕を連れ出したがったからさ。
ヴァルダ:その通りよ。あなたは根っからの都会のアーティストだから。それに私は田舎町が好きなのよ。すぐにいろんな村を訪ねることを思いついたの。村こそ、私たちが人々に出会う場所で、何かが起きる場所なのよ。あなたのとてつもないフォト・トラックで出かけたのよね。トラックはこの映画の俳優で、常にショーを演じるのよ。
JR:僕はあのトラックを何年もいろんなプロジェクトで使っているんだ。
ヴァルダ:ええ、でもこれは私たちのプロジェクトだから、2人でトラックで出発したの。ともかく、あのトラックでフランスの田舎町をドライブするのは楽しかったわ。あちこち行ったわね。
—映画はお二人がフランスを旅する姿を描いていますが、労働者や農民や村人たちとの思い出も描いていますね。
JR:僕らはどこに行っても、どんな展開になろうが、すぐにどうするか決断できるんだ。
ヴァルダ:あなたのことで私が気に入っていることの1つは、仕事が速いことよ。あなたは誰かと出会ったらすぐ、その人たちと私たちにどんなことが可能なのかを考え始めるのよね。たとえば、私の知り合いで、あなたに会わせたかったボニユー村の郵便配達人に会った時なんかがそう。私は郵便配達人が好きなのよ。手紙や切手なんかも好きだしね。あなたは基本的にインターネットを使って発信していて、何か写真を投稿すると2万件の“ いいね” がつくわ。この映画では、あの郵便配達人を村のヒーローにするのに賛成してくれて、巨大なフォーマット(写真のポスター)を作ったのよ。
JR:3階建てほどの大きさのね。
ヴァルダ:その巨大さを見て、彼は誇りを感じていたわ。
JR:それから北の方でも、驚くような話を聞いたね。
ヴァルダ:どの鉱山も今では使われていないけど、ジェニーンって女性に会ったのよ。彼女は炭鉱作業員用の住宅の最後の住人なの。彼女は炭鉱作業員だった父親の話や元鉱夫の間で言い伝えられてきた、私たちに馴染みのない話を聞かせてくれたわ。熱のこもった彼女たちの話を聞くのは興味深かったわ。私たちはジェニーンに心を動かされたのよ。
JR:あなたは人にインタビューする時は、徹底的に聞き出すからね。僕はあなたの話の引き出し方に感心したよ。
ヴァルダ:あなたも彼女たちと、かなり話し込んでいたわ。
JR:当然さ。自分のプロジェクトでも、いつも気に入ってそういうふうにやってるしね。僕はずっとあなたの映画で見てきたんだ。独特のアプローチなんだけど、そのやり方はすごく丁重で細かい、心づかいが行き届いている。それに男女同権論者でもあるし…。
ヴァルダ:私は根っからの男女同権論者だもの。
─撮影はどのように行ったんですか?
ヴァルダ:1〜2度、旅をして中断したの。一気に8週間連続して現場に立つなんてことは、もうできないから。1ヶ月に2〜4日、撮影したわ。
JR:撮影はうまくいったと思うよ。その間に自分たちがやっていることを省みて、考えたりできたからね。そして編集を始めた。僕らは、どんな方向性でどう描こうかということを何時間も話し合ったんだ。僕にはもっと“ 即興的な” 部分があったんだ。「やってみようよ、そしてどうなるか見てみよう」って感じだ。それに対してアニエスは、シークエンス全体のことを熟考してから、特定のショットを撮る。そうすることで、僕らの共同監督という部分が強化された。
ヴァルダ:それに私たちの間には数世代のジェネレーション・ギャップがあったわね。実際はあなたが私より階段を早く駆け上っていても、そのことには全然気づいてなかったけど。私たちはお互いが被写体だったのよ。あなたの仕事ぶりや、足場を登る姿を撮影していてそう感じたわ。それに私たちはこのドキュメンタリーの中に、あなたのポートレイトや作品を入れているわね。さらに言えば、あなたは私のためらいがちな目に興味を持っていたわね。
JR:そうだね。僕はあなたの目に何が起きているかを見せようとしたんだ。ぼんやりとしか、特に遠くが見えないあなたの代わりに見たかったんだよ。僕はあなたの目を至近距離で撮って、遠くに置いて見せたんだ。
ヴァルダ:よく、あなたは私のことをからかったけど、それだけじゃなくて私たちの友情を示す方法を考えていたのね。確かに、私たちはロケ地と、その表現方法の希望はちゃんと分かち合っていたものね。
JR: 僕らが会った人たちはみんな、何らかのことを話してくれたね。その逆もあったけど。ある人から別の人へ、あるアイデアから次へって感じで。本当にこの映画はコラージュって感じだね。
─映画全体がコラージュですね。
ヴァルダ:編集作業がモンタージュだという考え方が気に入っているの。言葉遊びや映像の遊びをコラージュしながら作るのよ。「第1章、第2章…」みたいにする必要はないの。(フランス語で)韻を踏ませて言葉をつなげて、映像のモンタージュを作ったわね。“ 顔(visages)”、“ 村(villages)”、“ コラージュ(collages)”、“ 共有(partages)”…。
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アニエス・ヴァルダ
1928年、ベルギーのブリュッセルに生まれる。父親はギリシャ人、母親はフランス人で、5人兄弟姉妹の真ん中として育つ。第二次世界大戦中の1940年、家族で南フランスに疎開。高校を卒業後、パリに移りソルボンヌ大学で文学と心理学の学士号を取得する。その後、学芸員になるためにルーヴル学院で美術史を学ぶも、手に職をつけたいとルイ・リュミエール国立学校で写真の夜間クラスを受講した。幼馴染だった演出家のジャン・ヴィラールが1948年にアヴィニョン演劇祭を始めた時に専属カメラマンになり、ヴィラール率いるTNP(フランス国立民衆劇場)の専属カメラマンも1951年から10年間務めた。1954年、自宅の庭で初の個展を開催。同じ年、写真に飽き足らなくなり、友人アラン・レネの勧めで映画制作を開始し、デビュー作『ラ・ポワント・クルート』を監督した。この作品でヌーヴェル・ヴァーグの一派である“セーヌ左岸派”を代表する作家となる。1958年、同じく左岸派の映画監督だったジャック・ドゥミと出会い、1962年に結婚。同年に初長編『5時から7時までのクレオ』を制作。1965年の『幸福』でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。以降、フィクションとドキュメンタリー双方の作品を多数、監督しており、2018年、第90回アカデミー賞で、長年の功績を称え名誉賞が授与された。
JR
1983年、パリ近郊で生まれる。10代の頃からグラフィティ・ペインティングを始め、17歳のときにパリの地下鉄で拾ったカメラで、自分と仲間たちによるストリートアートの写真を撮って街の壁に貼り付けるようになる。以来、自らを「photograffeur(フォトグラファー)=フォトグラファー+グラフィティ・アーティスト」と称し、ケニアのゲットー、ブラジルの貧民街、パレスチナの分離壁、東日本大震災後の日本など、各国の壁を展示場所として、人々の巨大ポートレートを貼り、世界で最も注目されるアーティストの一人となる。匿名を守り、作品に何の解説も加えず、見る人に解釈してもらうことを基本的なスタンスとしている。2010年に非営利団体メディアのTED Prizeを受賞し、そこで得た賞金10万ドルで個人参加型の「Inside Out」プロジェクトを開始。そのアジア初の展示が東京・ワタリウム美 術館で2013年に開催された。現在はパリとニューヨークを拠点に活動している。
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映画『顔たち、ところどころ』作品情報
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映画監督アニエス・ヴァルダと、写真家でアーティストのJR。
年の差54歳の二人が、フランスの田舎街を旅しながら人々とふれあい育む、でこぼこで優しい友情。
「ヌーヴェルヴァーグの祖母」とも呼ばれる女性映画監督の先駆で、カンヌ、アカデミー両賞で名誉賞を受賞しているアニエス・ヴァルダ。そして、大都市から紛争地帯、様々な場所で、そこに住む人々の大きなポートレートを貼り出すアートプロジェクトで知られるアーティストJR(ジェイアール)。
『顔たち、ところどころ 』は、そんなふたりがフランスの田舎街を旅しながら、人々とふれあい、作品を一緒に作り残していくロード・ムービースタイルのハートウォーミングなドキュメンタリー。
サングラスを決して取ろうとしないJRにやきもきし、ゴダールが『はなればなれに』で作ったルーブル美術館の最短見学記録を塗り替えたり、時に歌い、笑いながら、でこぼこな二人旅は続く。炭鉱労働者の村に一人で住む女性、ヤギの角を切らずに飼育することを信条とする養牧者、港湾労働者の妻たち、廃墟の村でピクニック、思い出の海岸…フランスの田舎街をめぐり出会ったのは、美しい風景と、たくさんの顔、顔、顔。「JRは願いを叶えてくれた。人と出会い顔を撮ることだ。これなら皆を忘れない」とつぶやくアニエスはつぶやく。願いを叶えてくれたお礼にと、彼女はJRにあるプレゼントをしようとするが…。
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第90回 アカデミー賞 ドキュメンタリー部門 ノミネート
第70回 カンヌ国際映画祭 ルイユ・ドール(最優秀ドキュメンタリー賞)受賞
第42回 トロント国際映画祭 観客賞ドキュメンタリー部門受賞
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映画『顔たち、ところどころ』
監督・脚本・ナレーション:アニエス・ヴァルダ、JR
出演:アニエス・ヴァルダ、JR
音楽:マチュー・シェディッド(-M-)
字幕翻訳: 寺尾次郎
配給・宣伝:アップリンク
(2017年/フランス/89分/1:1.85/5.1ch/DCP)
【タイトル】
顔たち、ところどころ
【公開表記】
2018年9月15日(土)より、シネスイッチ銀座、新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか全国順次公開
【コピーライト】
© Agnès Varda – JR – Ciné-Tamaris – Social Animals 2016.
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/kaotachi/
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