『2H』李纓(リ・イン)監督 初日舞台挨拶
かっては中国国民党の要職を歴任し、そして今移住先の東京で死と対峙しようとしている老将軍、馬晋三(マ・ジンサン)氏の姿を、在日中国人監督の李纓(リ・イン)監督が、ドキュメンタリーとフィクションの狭間で撮り上げ、各国の国際映画祭でも注目を集めたニュージャパンシネマ『2H』。この作品の公開初日の11月25日、渋谷のシアター・イメージフォーラムにて、李纓監督による舞台挨拶が行われました。晋三氏の時代にはやった中国の古い服装で登場した李監督は、「この作品で老人とつきあって、半分くらいは自分も年をとっているとか、自分の人生の中で半分死に向かっているとか、どこかでほかのかたちで行きたいとか、そういう映画の中でも表現している部分ですが、老人の人生を撮りたい時は自分でもいろいろと悩んでいました。今日、こうして完成した作品を、この劇場で初めて公開できたことをすごく嬉しく思います。」と挨拶。引き続き作品を巡っての、質疑応答が行われました。
——タイトルの『2H』は、何を意味するのでしょうか?
李監督「映画の長さである2時間です。実のところ僕はもっと長く、色々と表現したいこともあったのですが、時間の制約もある中で、映画を、人生を表現する一つの方法として2時間でいいかと思ったからです。」
——この作品は映像作品としかいいようがないところがあると思います。ドキュメンタリー、フィクションの分類もあまり意味はないと思いますが、女性の李さんの役割にこめた監督の思いや意図をおきかせください。
李監督「僕は映画を撮りたいと思ったときに、老人が死ぬということは予感していましたし、彼自身もそれを予感していました。そういう命をどのように表現するかを考えた時に、ドキュメンタリーか、フィクションかということにはこだわっていませんでした。女性の部分はどちらかというと、フィクション要素が多いのですが、老人の死に向かっていく姿を感じながら、そのまた一方で新しい生命(子供)が欲しい女性の物語も、僕の老人に対しての感情を表現したものだと思うのです。人生には、完全に客観的なものや、完全なリアリティ、ノンフィクションは無いと思いますし、やはりフィクションとノンフィクションが混ざり合っているのが本当の人生だと思います」
——『M/OTHER』の諏訪敦彦監督が、李監督との対談の中で、老人が針灸の本の不妊症に関しての話をする部分があり、そこが死に向かう老人が、命を生み出すことの権威でもあることが、興味深かったと話されていましたが…
李監督「この老人を撮るのには、やはりすごく時間がかかったですね。悩みましたし。老人が生きてきた20世紀の歴史を通しても、色々表現できると思いました。ある日、老人から彼が監修した針灸に関する本の中の、日本人の不妊症に女性に針灸で子供ができたという話を聞き、すごく感動したのです。老人はこんなに年をとって、死に向かっているのにも関わらずに、同時に彼は針灸により命に対してこういうこともできることに。そうしたこともあって、新しい”生”に向かっている女性と”死”に向かっている老人を対比して撮りたいと思ったのです。」
——作品の中でどこがフィクションになるのでしょうか?
李監督「難しいですね。この女性が不妊で子供を欲しがっているところとかベッドシーンなどは、観ての通りフィクションなのですが。作品全体としては、フィクションとノンフィクションは、はっきりとわけられない部分があるのです。老人の家に介護をする女性を紹介して、彼の生活空間に入れていますが、その時は二人の知らない同士の人間を、こちらから出会わせて撮っているわけです。これは、フィクションであるともいえますが、同時にドキュメンタリーであるとも言えますし、そういう部分ははっきりと分けられないのです。」
——二人の喧嘩の場面はどうなのでしょうか?
李監督「本当に起きたことです。ただ、我々はこの映画の中に深く介入していますので、二人を仲直りさせようとしましたよ。そういった部分もドキュメントであり、フィクションであるとも言えるのです。」
——老人は永いこと日本にいて、日本についてどう想い、どんな風に感じて生きてきたのでしょうか。また、日本での一人暮らしの中で、中国に帰ろうとしたりしなかったのはなぜでしょう?
李監督「彼の人生の中には様々な選択がありました。子供たちはみなアメリカで暮らしていて、アメリカにも行ってみたが、結局もっと気持ちは寂しくなって日本へ戻ったようです。彼はまた中国国民党の長老だったので、中国へ帰ろうとは思いません。ただ、最後は香港に行こうかという考えもあったようですが…。最終的な人生の終着駅は、自分でもはっきりわからなかったのではないかと思います。」
——結構、寂しい想いで生きてきたんですね。
李監督「寂しいといえばすごく寂しいと思いますが、私が彼のことを感心するのは、彼はものすごく強いということです、人は誰も孤独と共にありますが、問題は孤独に負けてしまうかどうかなのです。彼は孤独なだけではなく、年もとっている。孤独が自分の人生にどんな意味があるかも考えましたが、彼は強い人だったのでそういうことには負けてないと思います。だから自分の家で、最後まで自分のプライドを守ったまま倒れてしまう。病院や老人ホームに入らず一人暮らしたことなどが可愛そうに見えるとしたら、彼にとっては不幸なことだと思います。老人は男だったんですよ。」
最後に李監督は、「今まで皆さんが観てこられた中国映画・アジア映画では、中国・アジアは外側の存在だったと思いますが、実際に東京には様々な国の人々が暮らしています。皆さんの隣の人間がどんな人で、どんな生き方をしているのかを、外国人だからということではなく、隣人=老人として観ていただければ嬉しい」という作品のメッセージと、作品を上映する機会をつくってくれた劇場への謝辞を述べ、舞台挨拶を終えました。
なお、『2H』は渋谷のシアター・イメージフォーラムにて、朝9時30分からと夜9時からのそれぞれ1回、モーニング&レイトショー公開中です。
執筆者
HARUO MIYATA