世界各国の映画祭を席巻し、圧倒的な高評化を獲得した、絶望的な紛争の最前線で、若き兵士の決死のサバイバルを描く『ベルファスト71』が8/1(土)より、新宿武蔵野館ほか全国ロードショーいたします。

本作は、IRA、北アイルランド問題を背景に、敵地にひとり取り残されてしまった、政治的思想も戦う意義も持ち合わせていない、若き英国軍兵士の悪夢の一夜を描くサバイバル・スリラー。
監督のヤン・ドマンジュは本作が長編デビュー作となるが、圧倒的な高評価で世界各国の映画祭を席巻し、衝撃的なデビューを果たした監督よりインタビューが到着しました。



Q:本作はあなたにとって初長編となりますが、どのような経緯で監督することになったのでしょう? またあなたはフランス生まれだそうですが、この映画のテーマである北アイルランド問題に惹かれた理由は、どんな点にありましたか。

「僕は1977年にパリで生まれて、2歳のときロンドンに家族と移り、南ロンドンで育った。母はフランス人で、家のなかではフランス語を話していた。子供心に、世の中にはつねにさまざまな紛争があるということを感じていた。フランスではアルジェリアとフランス問題、イギリスではアイルランドとの問題。よく覚えているのは、93年にロンドンのシティで爆弾が爆発するIRAのテロがあったこと。でも当時の僕にはよく理解できなかった。
 ナショナル・フィルム・アンド・テレビ・スクールを卒業して、何本か短編を撮ったり、ドキュメンタリーの仕事をした後、僕は初長編のための題材を探していた。でも当初、個人的に入れこめるような主題を見つけられなかった。初めての長編はとても大切だから、何かぐっと来るものを探していたんだ。でもあるとき、グレゴリー・バークの書いたこの脚本が送られてきて、僕はそれを読んでとても感銘を受けた。若くして兵士になって、何もわからないまま前線に送られるこの主人公に完璧に感情移入できたし、普遍的で人間的な物語だと思った。ベルファストに限らず、イラクやアフガニスタンにだって当てはまるストーリーだろう。とくに主人公の視点から描かれているところがいいと思った。彼は頼れる家族に替わるものを求めて軍隊に入るが、その気持ちは裏切られることになるんだ。
 それからプロデューサーたちと話し合って、このプロジェクトを任せてもらえることになった。僕自身も脚本を読んでちょっとアイディアが浮かんだから、それを加えてもらったりしてね。この映画はものすごく低予算で撮られているけれど、スケールを感じさせるものにしたかったし、映像では黙示録的な雰囲気を出したかった。初長編の僕をここまで信頼してくれた製作者たちには感謝しているよ」

Q:具体的にはどんなアイディアを加えたのですか。

「ゲイリーに弟が居ることにしたんだ。その方が、彼のサヴァイヴァルがただ彼自身のためというより、もっと意味があるようにできると思ったから。もう少しサヴァイヴァルを切実なものとして強調することができる。それとゲイリーが敵地に残された後、アイリッシュの少年と過ごす時間も、少しだけ長くした。ちょうど彼自身の弟と平行した要素が加わるように。それから終わり方もちょっとだけ変えた。ストーリーが変わったわけじゃないけれど、本来彼はとても受け身だったのを、最後に自分で選択をするようにした。これは彼にとって大きな旅のプロセスなんだ」

Q:アイルランド紛争についてはどのようなリサーチをしたのですか。

「たくさんしたよ。驚いたことにYouTubeを見るだけで、16ミリなどで撮られた多くの資料映像を見つけることができた。あるいはBBCなどにもたくさんアーカイブの映像があった。それに当時の写真もいろいろと観た。その歴史や、ヴィジュアル的にどんな雰囲気だったかなどを学んだ。それから双方の側の、当時を知る人々に話しを聞いた。遺族の方々を含めてね。それはよりヒューマンなレベルの感動をもたらされた。それがとても助けになった。これは若い兵士の物語だ。当時21歳かそこらで、わけもわからないままああいう状況に陥った兵士たちは少なくなかったと思う」

Q:暴動のシーンは16ミリで撮影したそうですね。

「うん、カメラマンとどんなヴィジュアルにするか話し合って、いろいろとテスト撮影もした結果、16ミリが一番いいと思った。資料映像も16ミリのものが多かったし、まるであの時代が16ミリによって切り取られているような印象を受けていたから。それに僕は個人的にも16ミリのラフな感じが好きなんだ」

Q:ゲイリー役にジャック・オコンネルを選んだ決め手はどこにありましたか。 彼はテレビシリーズで英国ではすでに人気があったようですが、決めるのは簡単でしたか。

「たしかに彼は『Skins』というドラマで十代の女の子に人気はあったけれど、まだそれほど知られていたわけでもなかった。オリジナルの脚本では、ゲイリーは17歳という設定だった。こういう役柄においては、演じる俳優は同年齢のキッズであることがとても重要だ。17歳で兵隊に入れるし、その年で死んで行く兵士たちがいる。でも当初17歳のいい俳優が見つからなかった。もちろん、予算を集めるためには名の売れたスターを使うという手もあった。でも僕は出資からプレッシャーを与えられることもなく、自由に選べた。それは素晴らしいことだったよ。とにかくそんななかでジャックに会って、僕は彼だと確信した。みかけも若かったし、彼にはどこか昔風の雰囲気がある。古風な男らしさ、と同時に脆さも秘めている。彼は子供のときサッカー選手になりたかったほどで、肉体的にもタフだった。実際一緒にやってみて、本当に素晴らしかったよ」

Q:ベルファストで撮影をしたのですか。

「いや、そうしたかったんだけど、ロケハンで訪れたら、当時の古い家並みは残っていなくて、新しいビルやモダーンな家にとって替わられていた。意外にも制作会社のあるシェフィールドのすぐ近くにいい場所があって、そこがメインのロケ地になった。あとはリバプールやブラックバーンなど。チェイス・シーンを撮るのにはいくつかの都市を使い、2、3週間掛かった。また暴動のシーンには3、4日掛かった。簡単ではなかったね」

Q:音楽は、『オーシャンズ11』などで知られ、ハリウッドでも売れっ子のデヴィッド・ホームズがやっていますね。これまでの彼のスコアからすると、意外な印象もあります。

「たしかに彼のスコアはファンキーなものが多いが、彼自身はコマーシャルな志向があるわけじゃないと思う。ともかく脚本を送ったら気に入ってくれて、僕らは会ってよく話し合った結果、とてもウマがあうことがわかった。僕はアナログ・タイプの音をイメージしていたし、あまりクールなエレクトロニック系のサウンドに寄らないものにしたかった。それと泣かせるような音楽も避けたかった。でもサスペンスフルな感じで、映画の雰囲気を決定づけるようなものを望んだ。というのも、この映画にはセリフが少ないから。デヴィッドは素晴らしいコラボレーターだ。撮影に入る前、彼にいくつか音を聴かせてもらって、それが映画のリズムや雰囲気を掴む上でとても助けになった。ハリウッド映画に比べたらものすごくギャラは少ないのに(笑)、とても協力的な、クール・ガイだよ」

Q:本作は体験型のスリラーとしてもパラフルですが、社会派ドラマとしても優れていると思います。その辺りのバランスは難しかったですか。

「僕は登場人物をみんなリアルな人間として描きたかった。ただセンセーショナルで面白い映画にするために、彼らを利用することはできない。だから適切な境界を見つけなくてはならなかった。それは繊細な部分だったね。とてもシンプルなチェイス・ムービーにすることもできただろうが、あくまでこの題材に叶った人間ドラマにしたかったから、バランスには苦心したよ。でも僕は、『ウォリアーズ』とか、あの手の優れたチェイス・ムービーを観て育った。だからそういうテイストを持っているのかもしれないね」

Q:北アイルランドを描いた映画で、とくに影響を受けた作品はありますか。

「『ブラディ・サンデー』と『ハンガー』だね。両方とも、それぞれの監督の長編一作目だったという点でも、僕に大きな影響を与えてくれたし、僕がこの映画を撮ることを可能にしてくれたと思う。2作とも素晴らしい映画で、僕がとても尊敬する監督たちだ。作られた年代も近いし、僕にとってこの2本は自分の監督としての方向性、そして自分の世代を定義する重要な作品と言える」

手に汗を握り、息をすることも忘れる緊迫した展開、そして待ち受ける震撼のラスト。あなたは一時たりと目が離せなくなるだろう。

執筆者

Yasuhiro Togawa

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