ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2013は俳優・仁科貴さんの出演作品が8本あった。その中で仁科さん主演の『大阪蛇道-Snake of Violence-』(石原貴洋監督)と『パンチメン』(田中健詞監督)についてのインタビューを2回に渡って掲載したい。

第2回は田中健詞監督の『パンチメン』。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭は、ヤング・オフシアター・コンペティション部門に2009年『不協和音』、2012年『瑕疵あり』にて入選、3度目の今回はフォアキャスト部門に登場となった。『Shushi Japan』はショート・ショート・フィルム・フェスティバル2006、クレルモンフェラン国際短編映画祭他、世界の映画祭でも多数入選した田中健詞監督の初の長編となっている。

40過ぎのバツイチサラリーマン・菊池は、戦力外扱いで屈辱の毎日を送っている。ある日、仕事で大失態を演じた上におやじ狩りに遭遇。彼の前に現れた男に“ルール無用のファイトが繰り広げられる「パンチメンスタジアム」”へ導かれ…。「世の中からの疎外感と向き合う人々の戦い」をコミカルかつ心情豊かに描く。

キャストは人生、迷子になりっ放しの心優しき落ちこぼれサラリーマン菊池に仁科貴、孤高のヒットマンに『大阪外道』『大阪蛇道』の大宮将司、菊池の師匠に田中組の常連・関亘、パンチメンスタジアムのマスコットガールであり謎のフィクサーに『恋の渦』(大根仁監督)の柴田千紘、まぼろしのファイター役に映画初出演の魚住梨恵、パンチメンスタジアムを名調子で盛り上げるプロモーターに黒澤淳一、世渡り上手な菊池の後輩に南谷峰洋、ちんどん屋のリーダーに宮川ひろみ。田中監督前作『瑕疵あり』に続いて二度目の出演となっている。

『パンチメン』は現在公開待機中。予告編としてインタビューをお楽しみ頂きたい。













——それでは田中健詞監督の『パンチメン』に移りますが、こちらはどういった経緯で始まった作品ですか。

仁科:2007年のゆうばり”応援映画祭”で女優の宮川ひろみさんと知り合いまして、東京で僕が舞台に出た時にお知らせしたら観に来てくれはったんです。その後、僕が撮影で京都に戻った時に共通の知り合いの紹介で、宮川さんのお家のホームパーティに参加させて頂いた際に、田中さんと初めてお会いしたんです。CM畑の方とは縁がないって思い込んでたんですけど「いつかお仕事しましょう」って言ってくださって。田中さんと去年のゆうばりファンタで再会して、本当に出演させて頂けることになりました。

——撮影時期が『大阪蛇道』に近かったそうですね。

仁科:ゆうばりファンタの数ヵ月後に大阪から電話してこられた田中さんに、上半身裸になる役って聞いて「それは大丈夫です。それ以上のことは出来ませんけど」って(笑)。でも石原監督の『大阪蛇道』が先に決まっていたので、ギリギリまでどうなるか分からない状態でしたが、奇跡的にみんなの予定が合って『大阪蛇道』の5日後くらいにクランクインしたんです。

——そこで先ほどお名前が出た『大阪外道』の大宮将司さんと共演となった訳ですね。

仁科:しかも大宮さんがライバル役です。去年は『大阪外道』がすごく注目されましたが、大宮さんや彫さんの、映画の中とはまるで違う腰の低さ、逆に、優しいお父さんを演じられてた方が毛皮を着て闊歩したはるあのイカつさ(笑)。その現実とのギャップも素敵だったんだと思いますね。知り合ってみると、皆さんなんて丸い人なんやって思いました。

——石原さんと田中さんの演出の違いはどう感じられましたか?

仁科:石原さんは「これ美味しそう!」と感じた素材を欲張りにドップリ煮込んで、独特の化学反応を呼び起こすような…逆に田中さんは、粘って粘って一つ一つ丁寧に握ったお寿司を折りにキッチリ詰め込んでいかはるような印象でした。実際『大阪蛇道』はカットされたシーンも随分ありますけど『パンチメン』はほとんどないんですよ。どちらの方も独自の方程式をお持ちの方で、ほんの一ヶ月の間にお二人とご一緒して、凄く良い経験をさせていただけて感謝しています。

——田中さんの現場はどんな進め方でしたか。

仁科:そうですね。田中さんの現場は田中さんがCM制作の現場で培ってこられたノウハウの集大成で、スタッフも田中さんの信頼するブレーンです。横位置でワンカットのやりがいのある長回しもたくさん経験しました。
現場でアドリブはほぼなかったですね。会話が関西人独特のボケとツッコミの微妙なニュアンスで書かれてて、僕にとっては難しいところでもありました。要はどこかに正しい答えがあるんですよね。この台詞はどう言えば正しくオチるのか、中途半端に自分で温めずに全部田中さんに相談して細部まで指示を仰ぎました。撮影期間は2012年の10月、連続9日のうちの7日間 。間が2日ポンと空いたのは、やむを得ず田中さんがサラリーマンに戻ったからです(笑)。撮影期間中、計20時間位しか寝てないんじゃないんですか?

——それは大変でしたね。アクションシーンは事前に練習されたんですか?

仁科:ギリギリまで殺陣師さんが決まってなくて。前半の5日間はオフィスとか諸々のシーンを撮って脚本の40Pくらいをクリア。経験上アクションシーンって普通のシーンの倍はかかるって思ってるんですけど、ほぼアクションシーンしかない残り30Pを2日で撮るなんて絶対に無理じゃないかって密かに思っていたら、終わっちゃったんですよね…凄いです!
最近つくづく感じるんですけど、映画の現場ってに何か説明のつかない力に導かれて物事が進んでいくような。『大阪蛇道』『パンチメン』どちらも色々な困難を乗り越えて作られた作品なんです。

——途中アクシデントがあって、仁科さん肩を脱臼されたそうですね。

仁科:リングのシーン1日目の撮影はコメディテイストなシーンだけで、2日目がいよいよ大宮さんとの対決だったんですけど、1日目の途中で変な倒れ方してしまいまして。リングってバネが利いているんですよ、倒れても痛くないで思いっきり倒れたら「あれ?今(肩)いっちゃったかな」って。そしたらその夜、腕が20cmくらいしか上がらなくなってしまったんです。東京の元JACの先輩に電話したら、テーピングと冷やすしかないって。絶対温めたらあかん、後は鎮痛剤。『大阪蛇道』で協力されていた整体の先生の診療所がロケ現場に近かったので、藁をもつかむ気持ちで連絡したら、快く処置しに来てくださいました。不思議な事に、触ると痛いのに撮影では普通に腕立てとか出来てましたから…お陰様でぎりぎり乗り越えられた感じです。

——サラリーマン役はいかがでしたか。

仁科:サラリーマンって最も自分から縁遠いもので(笑)、楽しくもあり怖くもありでした。怒られてるところはめっちゃ好きですけどね。頭ごなしにどなり散らす上司役の金子珠美さんの芝居がまた素晴らしくて。
後、僕が関西に戻ると必ず会う南谷峰洋っていう俳優がいて、大親友なんですよ。今回会社の後輩役で出演しているんですけど、彼が側に居てくれたから僕も精神的に助かりました。田中さんの計算だったのかもしれませんね。

——気の置けない友人という感じはよく伝わって来ました。

仁科:南谷って真面目な奴でして、二人で散々稽古してその時はいい感じになったぞ!って思うんですけど、本番になるとまたガチガチになってて(笑) でも出来上がったものを観ると他の誰にも出せない彼の味が出てるんですよね。スタッフの方から、“個性派の俳優さんというと、南谷さんは関西圏では筆頭に挙がる方ですよ”と初めて聞かされて…またそのフレーズを使って最近イジってます(笑)

——撮影時の印象深いエピソードなどありますか?

仁科:『パンチメン』は、リングサイドの観客役として来てくれはった方々がいないと絶対成立しなかった作品です。ロケ場所が最後まで決まらなくて、2日前から声を掛けたのにも関わらず延べ60人くらいの皆さんが集まってくださいました。行き来にも苦労する場所だったのに、1日目に来て楽しかったからってまた来てくださった方もいて。エキストラって言葉ってなんやろうと思います。僕らにとってはお一人お一人が俳優さん、いやそれ以上の存在でしたから。

——落ちこぼれサラリーマンの主人公がパンチメンスタジアムに通うことで成長していきます。演じてみて感じた菊池というキャラクターの魅力、共感した部分などありましたら教えてください。

仁科:菊池はまるで無償の”殴られ屋”みたいな(笑) なりゆきで最強の相手・北直樹に立ち向かう事になってしまう。このお話は菊池を中心に描かれていますけど、実はそこにまつわる人達の心の叫びがストーリーの芯にあって、サラリーマンとしては決して優れてないけど自分なりに真っ直ぐ生きようとしている彼が、巻き込まれた様な体でありながら、実は皆の気持ちをいつしか結び付けていくって言う…田中さんが作り出しちゃった、全く新しい逆説的なヒーロー像だなって思います。

あと、ジャンボマシンダーが象徴として登場しますけど、僕らの世代には堪らないアイテムですよね?このジャンボマシンダーがまた考えれば考えるほど深い意味を投げかけてくるんですよ(笑) 実はあれは東京の友達から僕が送ってもらった物なんです。

——これから公開に向けて準備される訳ですが観客のみなさんに一言。

仁科: この映画は、ラブシーンがある訳でもなければ、誰かと誰かが殺しあう訳でもないし…単純にアクション映画と言うより純粋な人間ドラマでもあります。田中監督のご実家に合宿して、寝る間も食べる間も惜しんで…『大阪蛇道』もそうですけどコメンタリーなんか付けたらどちらも映画の尺を遥か越えてしまいますね(笑)
とにかくこの映画も皆でヒィヒィ言いながらこさえましたんで、その心意気はきっと皆さんに届くんじゃないかと思ってます。公開の暁には是非一人でも沢山の人に観ていただきたいです。

——では最後に、仁科さんにとってゆうばり国際ファンタスティック映画祭はどんな場所ですか?

仁科:閉会式や『大阪蛇道』の上映もあったアディーレ、18年前に親父と最後にスクリーンで映画を観た場所なんですよ。そこに自分が出た映画がかかるなんて。本当に感慨深いです。
ゆうばりは出会いの場所です。例え不景気やなんやでお店の数や人の絶対数が減ったりすることがあったとしても、この一点 だけは変わりません。映画関係者と、スタッフと、観客と、それぞれが垣根を越えて純粋に映画の話が出来る場所。ゆうばりファンタがなかったら、なかった作品も星の数ほどたくさんありますもんね。

執筆者

デューイ松田

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