■韓国テコンドーアクション映画の巨匠イ・ドゥヨン監督の作品で一番日本で知られているタイトルと言えば、コリアンエロスの『桑の葉』シリーズだろう。また、『食人族』のバート・レンジ監督作として流布されている珍作『秘録・ブルース・リー物語』、実はアメリカで撮影されたイ・ドゥヨン監督作品だ。

今回『Korean Retrospective:Dynamic LEE DooYong』として開催された回顧展では、ハン・ヨンチョルさん主演の『龍虎対錬(Manchurian Tiger)』(’74)、『帰ってきた一本脚の男(Returned Single-legged Man)』(’74)、『続・帰ってきた一本脚の男(Returned a Single-legged Man : 2)』(’74)、『憤怒の左足(Left Foot of Wrath)』(’74)、『秘密客2(Secret Agents 2)』(’76)、チョン・ヨンオクさん主演『トライ(Imbecile
)』(’85)など、日本ではなかなか観る機会がない作品群が一挙6本上映された。

韓国テコンドー映画の巨匠にして、様々なジャンルの映画を撮り続けてきたイ・ドゥヨン監督にお話を伺った。











イ・ドゥヨン監督インタビュー
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■『人生もアクションも「生産と破壊」の連続だよ』
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——まず、当時の製作状況についてお伺いしたいのですが。
イ監督:私は今まで映画を60本ほど撮っていて、そのうち20本ほどがアクション映画で、その大半が70〜80年代に作られた作品です。アクション映画を撮るようになったきっかけは、韓国的アクション物を作る必要があると感じたからです。映画産業的な面でもそうですが、ハリウッドはウェスタンムービーが得意、フランスはアラン・ドロンが出るようなサスペンスやアクション物が得意といったように特色がありました。欧米は銃、東洋は体と刀を使ったアクション。日本は刀、中国は拳と刀で戦うような映画ですね。ところが韓国では、特色のあるアクション物が作られていなかったんです。当時は世界的に韓国のテコンドーが非常に人気があったので、足を使った韓国ならではのアクションを撮るべきだと考えました。
それまでにも71年に『晴天の雷(Sudden Calamity)』、72年に『逮捕令(Arrest Warrent)』と2本のアクション物を撮っていたんですが、日本に例えるとヤクザ物のような映画でした。これでは十分ではないという事で、テクニカルなアクションに挑戦する事になりました。

全国から武術の得意な人を募集すると、テコンドーや合気道ができる人々が300人程応募してきました。彼らを道場に集め、オーディションで70人程を選抜しました。普段、演技経験がない人をいきなり映画に使うなんてあり得ないでしょう(笑)。彼らに芝居を教えながら作ったテクニカルなアクション物の第1作目が、『龍虎対錬』です。

——今回『龍虎対錬』を含めて、ハン・ヨンチョル氏が主演の作品を4本拝見しました。長い足を最大限に生かした蹴りのアクションの素晴らしさと、動作から動作に移る際のバランスの良さが印象的でした。彼を主役に選んだ時のことは覚えていらっしゃいますか。
イ監督:薄々と(笑)。選抜した人々の中には主役クラスの人材がいなくて、助監督に「足が長い人を見つけてくれ」と注文しました。ハン・ヨンチョルはアメリカ系の韓国人ですが、会ってみると足が長い。足を使ったアクションを演出したかったので、これならぴったりだと思いました。

——『龍虎対錬』を公開して反応はいかがでしたか。
イ監督:非常に反応は良かったですね。青少年や中高生には「これこそが韓国のアクションだ!」と、全国的な人気を獲得しました。何故なら韓国の社会では武器を使えないんです。長い足を利用したこの作品はウケが良かったので、他の監督達もテコンドーを使ったアクション物を作るようになりました。

——毎回悪役が同じ俳優陣なのが面白かったんですが、どうしてそういった配役になったんでしょうか。
イ監督:選抜した70人を中心にしてアクション物を撮るようになりましたが、人それぞれに得意分野があるんですね。足を使う人、刀を使う人、という風に配分していったためです(笑)。『帰ってきた一本脚の男』に出たファン・チョンリー、彼は香港ではトップクラスの悪役として活躍するようになりました。

——日本のカンフー映画ファンの間でも人気があります。日本人の悪役で毎回登場する三白眼のぺ・スチョンさんもインパクトがあって面白い俳優さんでした。甲高い声の1本調子なしゃべり方は、当時の韓国社会における日本人のイメージを典型的に表現したものでしょうか。
イ監督:彼が日本人の悪役として登場すると観客は大喜びでした(笑)。それでずっと彼を使っていました。しゃべり方は特にそういう訳ではないです。彼の容姿はおっかない剣幕のキャラクターにぴったりでしたね。

——イ・ドゥヨン監督の作品の魅力は、アクションだけではなくコメディ要素もあると思います。85年に撮られた『桑の葉』ではエロティックな描写に加えて、庶民の姿を瑞々しくコミカルに捉えていたのが魅力的でした。様々なジャンルに、こういったコミカルな描写を交えることはお得意なんでしょうか。
イ監督:人生は「生産と破壊」の連続だと思うんです。アクションもそれに通じるのではないでしょうか。アクション映画が公開されると、周りの監督はよく「イ・ドゥヨンの作品だ」って言うんですが、特別アクションだけが好きというより、全体的な流れとして、一種の風刺とも言えるでしょう。残酷一辺倒ではなく、ある時は痛快に、ある時は面白おかしく、作品に合わせて取り入れるようにしています。

——今回は、コメディタッチの『続・帰って来た1本脚の男』を一番面白く拝見しました。他の作品では、童顔のハン・ヨンチョル氏に髭があって高圧的なキャラクターを演じていたのが可笑しかったんですが、この作品だけ髭がなく、人の良い表情がイキイキしていて、一番無理なく役にはまっているように思えました。
イ監督:それはいい指摘ですね(笑)。私も同感です。髭をつけたりメイクで工夫しましたが、なかなか険しい道を歩んでいました。ひと工夫、ふた工夫してみたんですが、今おっしゃったことは私も認めます(笑)。
彼は童顔ですが、ずっと起用してきたのは訳があるんです。ハリウッドで言えばクリント・イーストウッドが60超えても銃を使ったり馬に乗ったりして激しくアクションしますが、私はあまりリアリティがないと思います。人間の肉体的な機能は働きざかりの20代がピークです。それは科学的にも証明されているんです。それで彼の年齢が丁度いいんじゃないかと思ったんです。私の年齢でアクションするのはあり得ないでしょ。恋愛もそうです(笑)。20〜30代の範囲内でと考え、…特別誰かを批判している訳ではないんですが、彼を起用しました。

——80年代に入ると作品が圧倒的に人間ドラマで占められるようになりますが、これはどうしてですか。
イ監督:それは重要な質問ですね。今まで60本の作品を撮って、70〜80年代の20年間に撮ったのが50本。そのうちアクション物は15本程でした。70年代、世界的にはマカロニウエスタンやフランスのジャン・ギャバン、これはガンアクションなんですが、世界的にセンセーショナルを巻き起こしていました。それに対して私も足を使った韓国ならではのアクションで世界的に人気が出るものを作りたかったんですが、韓国の製作状況は非常に劣悪でした。製作費用を確保するのもままならないし、アクション物を撮るシステムが整備されておらず、私の思う通りにはいかなかった。韓国の市場そのものが規模が大きくないし、お金を投入するのが難しかったんです。私が望んでいる完成度の物は出来なかった。出来ないなら止めてしまおうと考えたんです。

——当時、世界の映画でお好きなアクション物はありましたか。
イ監督:1作を選ぶのはとても難しいですね。アメリカのウエスタンムービーとか、フランスのロマンティックなアクション物、あと日本の任侠映画っていうんでしょうか。それからアクション物ではないですが、1960年代の映画で『武士道残酷物語』。後は60年代の黒澤明映画が好きでした。

——最後に現在の韓国でのアクション映画を取り巻く状況について教えてください。
イ監督:韓国ではアクション映画はいい待遇を受けているとは言い難い状況です。色々な理由があると思うんですが、アクション映画=暴力映画という考え方があるんです。一部の殺人一辺倒の作品の影響もあるとは思いますが。アクション映画は一般の作品に比べて非常に資金が要ります。3倍は投じるべきでしょう。なのになかなか大きな資本が投じられることもないし、システムの整備もされていない。カーチェイスシーンでは技術もいるし、専門のスタントマンを使うべきなんですが、インフラが整っていない。なかなか完成度の高い作品が発表されていないのが現状で、若い監督たちは苦戦を強いられています。これを投資家達が理解してくれるといいんですが、中々うまくいかないですね。世界で発表される映画の半分がアクション物と言えるのに。若い監督たちには、「いい作品を作りなよ」といつも励ましてはいるんですが。

執筆者

デューイ松田