第22回東京国祭映画祭・アジアの風部門出品作品『麦田』。1990年『双旗鎮刀客』、1993年『哀戀花火』で世界的評価を受けた中国人監督、ハー・ピン監督の待望の時代劇大作だ。周、秦、趙などの国々が勢力争いを繰り広げる戦国時代を疾走する男たち女たち。主演は『墨攻』、『新宿インシデント』の人気女優ファン・ビン・ビン。
本作は2009年上海国際映画祭のオープンニング作品でもある。

戦国時代の中国。趙の武将は町のすべての男たちを率いて戦地に赴き、まだ若い彼の妻の驪をはじめとする女たちだけが残された。兵士たちが誰ひとりとして帰還しないなか、敵方である秦の兵士たちが無許可離隊のすえ、町にやってくる。生き延びるために趙の男であると主張した兵士たちは趙軍が勝利したと嘘をつく。喜んだ女たちは彼らを歓待するのだが、驪だけはこの英雄たちに疑いの目を向けていた。冷酷な盗賊が町を襲撃した時、驪と味方のフリをしたふたりの兵士たちは、<英雄>の本当の意味を示すことになる−。

監督・脚本・プロデューサーを務めた、ハー・ピン監督にインタビューを行った。


——ハー・ピン監督は今まで様々な年代の時代劇を撮ってこられましたが、本作でこの戦国時代を選んだ理由は何でしょうか?

「歴史的に名高い、長平の戦いを時代背景にしました。この戦いは一回の戦いで最も犠牲者を多く出した有名な戦役なんです。最近の中国の若者はトレンディーなものに熱心ですが、歴史を深く知る人はだんだん少なくなってきています。ですが、この長平の戦いは中学校や高校の教科書に載っている有名な戦いなので、若者も知っているストーリーということでこの時代に設定しました。」

——タイトルの『麦田』とはどのような意味が含まれているのでしょうか?

「『麦田』というタイトルはこの映画を象徴するようなタイトルなわけです。ですが、聞いた感じだと映画のタイトルらしくなく、ストーリー性もタイトルを見ただけだと思い浮かびません。この『麦田』というタイトルに託した意味は、ストーリーが麦の収穫に関係あること、そして麦という穀物は当時の中国の人々にとって一番大事な命の糧、理想でもあったわけです。また、『麦田』は命の象徴でもあり、土地の象徴でもある象徴的な意味もあります。」

——ハー・ピン監督には珍しく、アクションシーンが少ないと思いました。直接的な戦争シーンを使うのではなく、逃亡兵や女衆の心理的な側面から戦争を描いていたと感じましたが・・。

「はい、それは私が意図したことですね。今まで世界の映画というのは、戦争を正面から捉えた映画が多かったわけです。今回の私の映画はそうではなく、戦争の背後に隠れた心理的なものを描写しようという意図がありました。そして私は二人の逃亡兵に戦争を語らせるという手法をとりました。いかに戦争が残酷であるかを二人の語りの話術で描写することで、人間性をより深く追求できるのではないかと思ったわけです。」

——主人の帰りを待ち続ける驪(り)の心理的描写がとても伝わりました。そのあたりで監督が工夫した演出方法はありましたか?

「驪(り)の心の変化を描きました。驪(り)の持っている情欲などを描くのに、性の部分を露出させるような直接的な表現はとりませんでした。彼女が主人を待ち侘びている情念の部分を美的に、幻想的に演出しました。待つということは非常につらいことです。彼女はいつまで待てばいいか分からない状態にいるわけです。それによってますます情欲が高まっていき、思いが深くなっていくわけで、そこの部分を幻想的に描くようにしました。」

——監督は今まで時代劇を撮り続けてこられましたが、監督にとって時代劇の魅力とは何でしょうか?

「歴史的なものを題材にすることは創作上の自由を多く与えられます。歴史というのは必ず空白があります。史書に記載されているもの、ないもの色々あるわけです。そういった史書は帝王を描いたものが普通で、民や百姓といった一般庶民のことは記載されていません。しかし歴史には普通の人々もずっといたわけですよね。普通の人がいて、普通の生活があった。そういうところに我々は注目すべきだったわけです。映画監督としてそこを見るべきだと思います。史書に記載されている帝王のことであれば、歴史学者に研究させておけばいいことであって、芸術分野の人間である映画監督としては史書には記載されていない一般庶民の生活、心に注目して撮るということです。私にとってはそれが使命感ですね。歴史の背後には色々な人がいて、感動的な事が起きているはずです。そういったものを膨らませて想像力を働かせて、物語を組み立てていくことによって、より歴史を豊かにしてくれるはずです。そして歴史の空白を埋めて、完全なものが見えてくるのではないかと思います。」

——最後に、監督が本作で伝えたいこと、そしてねらいは何でしょうか?

「この映画にはたくさんの意義が含まれています。観客それぞれの立場で様々な見方によって観ることが出来る作品だと思っています。私は自分の作品について、ある一定のテーマを持たせるということは好きではありません。こういう風に観て欲しい、観るべきであるということは設定したくありません。なので、人それぞれの見方で観て頂ければ良いと思います。広い意味合いで色んなテーマを見つけて下されば良いわけです。
本作『麦田』で私がねらったことは、戦争に対する私の見方です。秦の国であれ、趙の国であれ、どっちの国から見ても戦争というものがどういったものかを考えた映画です。そしてこの映画は現実的な意義も込められています。現代でもいつもどこかで戦争が起きています。その戦争の背後には必ず苦しんでいる人がいますよね。この映画は戦争への反省でもあるわけです。」

執筆者

竹尾有美子

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