本年度サンダンス映画祭最優秀監督賞(ドキュメンタリー部門)を受賞し、アメリカに生きる“リアル”な10代を鮮烈に描いた等身大ドキュメンタリー『American Teen/アメリカン・ティーン』。アカデミー賞ノミ ネート監督のナネット・バースタインが、10ヶ月の歳月をかけてインディアナ州に暮らす5人の“本物の高校生たち”をドキュメンタリーの手法で撮影している。

身の周りに起こることだけが世界の全てだったあの頃。そんな誰もが経験しながらも、誰にでも一度しかやってこない高校生活最後の一年を過ごすティーンたち。様々な問題を抱える彼らのドラマ以上の日常を描き、“本物”だからこそ表現できる10代の複雑な心境やその姿を絶妙に写し出すことで、世代を超えて観るものに共感と感動を与えてくれる鮮烈の傑作ドキュメンタリーだ。

ナネット・バースタイン監督に話を伺った。



いろいろな題材がある中で、なぜティーンで、しかも17歳を対象に選んだのですか?

アメリカでも世界でも、ティーンエイジャーというのは人生においてすごく大きな転換期だと思うんです。大人に成長してきてはいるけれども、まだ社会で独り立ちはしておらず、同世代の友達、仲間からのプレッシャーも多い。他人が見ている自分の像というものに自分を合わせなければならなかったり、自分らしくいられなかったり、また、自分の将来について親からのプレッシャーをかけられる年齢なんです。中でも特に17歳というのは、非常に混乱していて難しい時期だと思ったんです。
アメリカでも10代を描いたティーンムービーはたくさんあるけれども、どこかファンタジーだったりして、そういった問題にすごくリアル焦点を当てている作品がないな、と感じたので、ティーンの抱えているものにちゃんと誠実にアプローチして描きたいと思ったのが動機でした。

あの5人を選んだ理由は?そして撮影に10ヶ月もの時間を費やしたのはどうしてですか?

まず、経済的なバックグラウンドが違う子どもたちを選びたかったんです。本当にいろいろな学校に行って、何千人もの人に会ったんですが、その中でこの5人に決めたのは、残り1年間の学校生活の間にこんなことがやりたい、ということを自分の中に思い描いていて、同時にそれに対してすごくプレッシャーも抱えている子たちだったからなんです。表面的には彼らのイメージしているものは伝わるけれど、実際は内面にもっと複雑なものを抱えていて、そこに驚かされたというのが決め手の一つでした。
撮影期間については、一つは1年を通してどういう形で実際のドラマが発展していくのかを見届けたかったのです。学校を卒業したときに一つの結末を彼らが迎えるわけで、そこまでを追いたかったという気持ちがありました。もう一つは、彼らはティーンエイジャーなので、大人が「話してください」、と言ったところでなかなか信用してはくれないし、心を開いてくれるまでには時間がかかります。親密な場面を撮りたかったからそれだけ時間をかけたし、実際かかったのです。

この作品はドキュメンタリーと言っても他のドキュメンタリー作品と違って、ドキュメンタリーとフィクションの境目の作品のようにも見えるが、これは何か意識していることがあるのか?

自分ではそこまでドキュメンタリーとフィクションの境目にあると意識はしていません。確かに作品の作られ方、構造においては、フィクションの映画作りに使われている手法を用いています。例えばストーリー展開においても全体を3章仕立てで見せていたりキャラクターがそれぞれ掘り下げられたりという見せ方や、アニメーションの使われ方などの様式はフィクションのルールを使っています。でも、実際の撮影現場は大変少人数のクルーで小さなカメラを使用しましたし、非常にリアルな映像をドキュメンタリーとして撮ったものなんです。そのようにおっしゃっているのは、編集室での作業においてフィクションの映画作りに使われるルールを用いたからだと思います。それもやはり、観客にとってよりエンターテインメント性が強く、何かを強く感じ取れるような、引き込まれるようなものに仕上げたからでしょう。

長編映画としては本編が3本目でそれも全部ドキュメンタリーものですが、何かドキュメンタリーへのこだわりなどがあるのでしょうか?

ええ、私はドキュメンタリー作家ですから。
実は次回作にはフィクションのものを作ろうと思っていますが、でもドキュメンタリーは大好きなんです。それは実際にリアルな生活や物語には非常に豊かなものがあるからで、次はフィクションものを作りたいとは言いましたけれども、やはりリアルライフをベースにした作品になると思います。なぜなら、作られた物語よりも実際の出来事の方がより強く訴えかける何かがあり、私たちの心に響くもの、共鳴するものができるからなのです。

『くたばれ!ハリウッド』について。ロバート・エヴァンスの映画を撮るきっかけは何だったのでしょうか。彼自身を撮影することはなかったと思うが、実際に彼と関わってみてどうでしたか?

彼は私の人生で出会った人の中で最もおもしろく、興味深い人物でした。とてもチャーミングだし、人をその気にさせるのがうまく、同時に大変気まぐれでもあるんです。彼は非常にユニークな人生を歩んでいて、私にとっては(彼にとってもですが)、映画界で彼が関わっていた時代や作品がアメリカの映画史の中でも最も面白い時期だったからこそ、映画にする価値があると思ったんです。彼が関わったことで素晴らしい作品が生まれただけでなく、自分でスタジオを経営し、ものづくりをすることもできた。今の時代にはない「自由」をもって映画製作をしていたんです。もちろんチャンスと同時にリスクも背負っていましたが。興味深いのは、彼が自分の中にあるイメージを作り上げていくことによって成功し、また、自ら作り上げたイメージによって転落もしてしまったわけで、それが非常におもしろいところなんです。
実際に会った彼の印象は、一緒にいてつまらない瞬間が一秒たりともない人でした。確か当時70歳くらいだったんですが、その年齢でも世界中の美女を惹きつける魅力をもっていました。それに話も大変面白く、映画業界や映画ビジネスというものがどういったものなのかを彼の視点を通して学ぶことが出来ました。

『くたばれ!ハリウッド』の製作はあなた自身にもすごく影響を与えた経験だったんじゃないんですか?

『くたばれ!ハリウッド』を作ったことは、ビジュアルの見せ方を自分でいろいろ実験する機会を与えてくれたので、そういった意味では影響を与えてくれたと思います。ロバート・エヴァンスとの出会いから学んだものは、むしろさっき言ったような映画業界がどう機能しているかや、実際どのように映画が作られるのかといったような実務的なものでしたし、私は『くたばれ〜』までは映画はドキュメンタリー1本しか撮っていなくて、まだまだ知らないことだらけでした。彼は非常にパワフルな人物で業界にもパワフルな友人がたくさんいましたから、そういった人達を撮影することで業界全体についてもすごく学ぶことができました。

#劇中で使っている音楽は学生たちが聞いていたipodから使用したと聞いたのですが?

そうなんです。実際に彼女たちのipodに入っていた曲をダウンロードして、そこから選んだんですね。ただ、編集作業中に映像と重ねてみて合わなかったり、音楽レーベルの権利が取れなかったりしたももの、今の流行とずれているものは外しましたが。それでもだいたい全体の50%くらいは彼女たちが聞いていた音楽を使っています。

ティーンたちを長い期間に渡ってすぐ傍で見続けてきて、監督自身が何か感じたことはありましたか?

自分が10代だった頃をすごく思い出しましたが、一番感じたことは彼女たちが直面している問題というのは、いつの時代も変わらないんだなということでした。私自身も17歳のときに非常に変化したんです。映画を作りたいということを自覚したし、自分らしくあろうと決めた時期でもありました。大変なことや、胸が痛くなるようなこともあったし、友達を失ったり新しい友達ができたり、という体験を自分もしていたことを思い出しました。と同時に、今の彼女たちが経験することというのは、普遍的で変わっていないんだなと思いました。
ただ、自分たちの時代と非常に異なっていると感じたのは、彼女たちにとってテクノロジーがいかにコミュニケーションの中で大きな役割を果たしているかということでした。というのは、ある女の子が上半身裸の自分の写真を携帯電話で男の子に送ってしまい、それがいつの間にかみんなに広まってしまっていたり、男の子がメールで交際している彼女に別れを告げたりなど、テクノロジーというものに潜む、冷酷さや残酷さに彼らが気づかずにいることが心配になったし、悲しくもなりました。やはり、利便性の高いものであるからこそ、冷酷さとうものが際立ってきてしまいますし、テクノロジーはこれから進化していくばかりですから、将来的にこれからの世代の子たちが、どういう風にテクノロジーと向き合っていけるかなということに心配と悲しさを感じました。テクノロジーが進化して、一番初めに飛びつくのは、ティーンたちですからね。

クイーン・ビー、ジョック、ギークなどのヒエラルキーが出てきましたが、日本でも同じようなものは存在しますので大変興味深かったです。ちなみに監督は学生時代どのグループにいましたか? その位置から見て、周りの人々はどんな風に映っていましたか?

最初はクィーンビーではなかったのですが、人気者のグループに属していました。それが次第に上手くいかなくなり、心からの友達ではないと思うようになっていっきました。そこから、極端なのですがパンクロッカーになり、ピンクのモヒカンにしていました。どちらかというとハンナの用になっていきました。それが自己発見でもあり革新にもつながったと思います。そういったことで、比較的色々な層の人と付き合っているような高校生でした。

17歳の子たちと触れ合う中で、もう一度当時に戻りたいと思ったり、逆に絶対に戻りたくない!と思った瞬間はありましたか?

どちらかというと、二度と体験したくないことの方が多いです。でもあの時期は楽しいし、開放的であって、先を考えるわけでもなく、何かしても結果を背負い込まなくてもよい時期です。初恋など、初めて体験することが多い時期でとてもパワフルです。ですから、少しは昔に戻りたいなーと思うこともありますが、同時に痛みを伴う時期でもあります。自分はいったい誰なのか?とか、友人を失うとか、プロムの前夜に彼氏の家の前で泣き崩れるとか、そういったことはもう二度と体験したくないですね。

いじめや恋愛面もしっかりと映していますが、公開前になって、生徒たちに嫌がられたりはしなかったのでしょうか?その後の人間関係にも影響があるかと思うのですが…。

実際に、公開前に全員に観てもらったところ、凄く反応がよかったです。驚いたことに、カットして欲しいという意見は一つもでませんでした。特に、仲が良かった(監督と)メーガンは、よくない部分を多く描いていたので、気にするのではと思っいまいしたが、「自分は高校生の時にホントにビッチだったから」と受け止めていました。というのも、この映画はティーン特有の欠陥を描き出していますが、同時に彼らの人間らしい部分をしっかりみせています。とてもリアルな部分をちゃんと描くことにより、観客がそれを受け入れ、好きになってくれているのだと思います。彼らもそのようになると分かっていたのだと思います。メーガンの場合も“姉の自殺”の部分を描いたり悩みの部分をみせたことにより、全員ではないが、多くの方が彼女を応援してくれるようになりました。そういったことで、みなこの作品を気にいってくれて、またサポートしてくれました。私はそれに関してとても感謝しています。

公開後、若い世代と年配の世代からはそれぞれどんな声がありましたか?

それは良い質問ですね。ホントに色々な世代に受け入れられた作品だと思います。特に高校生はリアルタイムに自分の人生をみているように感じていたようだし、20代〜40代の観客は自分の体験に重ね合わせてみたりと、ちょっとノスタルジックに感じたようです。例えばフィクションですが、『ジュノ』や『スーパーバット』などと同じように、10代の作品が様々な世代に受け入れられたと同じような感じだと思います。

5人の子供たちは、映画がきっかけで成長したり、人生が変わったことなどあったのでしょうか?

映画が完成し、ニューヨークやカリフォルニアでの試写会場で観客と共にこの作品を彼らが観たときに、彼らの変化を感じました。特にジェークはすごく不安を抱え、自信がないタイプでしたが、自分の喋ることに対して観客が笑ったり、頑張れと応援しているのを見たことにより、凄く自信がついたみたいです。一番影響が大きかったのは彼じゃないかなと思います。

これからの未来を担うティーンに向けてメッセージは?

本でも社会的なヒエラルキーがあるかもしれません。例えば他人から、こうであって欲しいといったようなイメージを押し付けられたり、親などから、将来はこうであって欲しいというようなプレッシャーを感じていたりとかするかもしれませんが、ただありきたりではあるが、やはり自分らしくあって欲しいと思います。この映画でいえば、ハンナのように、自分は誰なのか?自分の夢は何なのか?そしてそれを見つけたら、その夢やイメージをかなえる為に、例え親に反対されても、やってみる。そうすることによって自分を好きでいられてハッピーでいられる。シンプルだけれども、とても大変なことだと思いますが。

提供:アンリミテッド

執筆者

Naomi Kanno

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