1993年から2008年現在までの15年間、女性殺害事件がメキシコのフアレスという町で連続的に起きている。公には300〜500件など少なく見積もられているが、実際には5000件に及ぶとも推計されている。手口がバラバラで複数犯であることは明らかなのに、犯人が一人も捕まらず、被害者は相変わらず増え続けているのだ。未解決事件として闇に葬り去られようとしているこの事件。なぜこのような事態を招いてしまったのか・・・。

巨大なる権力によって事件を公にせず、被害者の声に耳をかさないどころか、助けを求める彼らの悲痛な叫びを無理やり封じてきた汚職まみれのメキシコ政府、警察。まるで知らん顔の企業。権力に怯え、真実を公表できないメディア・・・
腐敗したこの現状に、「この映画はこの事件に対しての警告と受け取ってもらってもいい」と言い放った、グレゴリー・ナヴァ監督がこの危険な題材に体を張って踏み込んだ理由とは──?

一連の事件の被害者で、唯一生還することのできた少女・エバに助けを求められた敏腕女性記者のローレン(ジェニファー・ロペス)は、かつてのビジネスパートナーであるディアス(アントニオ・バンデラス)の力を借り、犯人を突き止め、この酷い事件を世界に発信しようとしていた。だが、真実を知りすぎてしまった彼らを待ち受けていたのは、思いもよらない悲しい結末だった。

本作は、ジェニファー・ロペスが事件を世間に広く知らせた功績を称えられ、2007年人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルによって選ばれるアーティスト・フォー・アムネスティ・アワードを受賞したことでも話題となった。






世界には未解決事件が数多くありますが、その中からなぜこの事件に焦点をあて、映画化したのでしょうか。

私も事件現場のフアレス同様に国境近くで生まれ育ち、メキシコの血をひいているのでとてもこの事件を身近に感じていたんだ。今回、事件の被害者やそれを取り巻く遺族たちの中には、私が知っていた人たちも含まれていたしね。だから事件が最初に起こり始めた1993年から、ずっと関心を持っていた。一番最初に事件が起こり始めたのは1993年のことだったが、それから15年間も事件は起き続けている。でもまだ一人として犯人が捕まっていないんだ。

世界市場の発展が著しい中、この事件と本作はそれに対する警告と受け取ってもらってもいい。このまま何もせずに放っておいたらもっと恐ろしいことが起こる、という警告だと私は考えているんだ。大企業の欲みたいなものによって、人間の命が軽んじられて捨てられていくということは、非常に悲劇だと思う。殺された女性たちの命だって、同じように価値があって尊いものだったはず。被害者となってしまった彼女たちのためにも、多くの人に人間性を取り戻そうと訴えかけたくてこの映画を撮ったんだ。

また、本作に登場する被害者の少女・エバは、どん底に落ちても自分の人生を生き抜こうという強い気持ちの中で自らの本当の姿を発見するが、そんなエバの姿は観客にとてもインスピレーションを与えてくれるんじゃないかな。それらのことが、この事件を題材にして映画を撮りたいと思った理由だね。

この事件を映画化するにあたって多くのリサーチが必要だったと思いますが、この事件を公にしたくない人たちから妨害はされませんでしたか?

リサーチをする上で一番問題だったのは、メキシコ現地で自分の顔が知られているということだった。このような危険な題材を扱うということで、顔が知られた私が現地へ出向いて取材活動を行うのは非常に困難だったため、代わりに製作総指揮を務めた私の妻・バーバラにリサーチをしてもらったんだ。
イギリスで“レーダーに引っかからないように低空飛行しろ”というような言葉があるんだが、まさにこのときの自分はそのような体制でリサーチをしていたね。作戦としてはバーバラに最大限の下調べをさせて、遺族や当事者たちの信頼を経てから私が乗り込んで本格的なリサーチをしていくという方法。警察当局や政府なんかにこういう題材の映画を撮っていることがバレたら即続行不可能になるのは目に見えていたから気をつけていたんだが、いざ撮影が始まると一気に情報がリークされてしまい、政府や警察から強迫文が届いたりしたよ。でも、それは私たちが真実を伝えようとしている証拠でもあったから、そういう意味では“軌道に乗ってるぞ!”という実感があったね(苦笑)。

メキシコでの撮影中に妨害があったそうですが、最悪な状況を考えて撮影を中止するという選択肢はなかったのでしょうか。

もちろん監督としてはスタッフや出演者の安全が第一だ。だから本当に危険なシーンの撮影には、主演のジェニファー・ロペスとアントニオ・バンデラスは同行させなかったよ。二人が登場するシーンの大半はメキシコではなく、アメリカのニューメキシコ州で撮って、実際の事件現場フアレスよりもう少し安全で同じ国境のノアレスという場所をメインに撮影したんだ。俗にB班と呼ばれるセカンド・ユニットがフアレスを撮影し、後から他の場所で撮ったシーンを組み合わせていった感じだね。それでも常に危険ととなり合わせだったから、撮影時間や撮影場所は絶対に漏れないように、嘘の告知や情報を流したりして本当に厳重体制で行った。フアレスの撮影では、実際にB班のスタッフが警察に連行されて拷問をしたり、撮影を中止させようと圧力をかけてきたので、私たちも銃を持ったボディガードを雇ったり、機材の周りに人をたたせて撃たれないようにしていた。けれど最終的にはホテルの部屋にまで警察が踏み込んできて機材を没収していったんだ。

でもここで言いたいのは、被害者の母親たちが自分達の危険を顧みずに協力してくれたということ。私たちに協力すれば、政府に目をつけられる可能性は十分あったはずなのにとても助けられた。私たちスタッフより、母親たちの方が何十倍もの勇気があったよ。

この事件に関して、メキシコ政府も警察官も企業も全く動こうとしないことに苛立ちと危機感を覚えましたが、事件解決のため、また新たな被害者を出さないための政策や捜査等は現時点で進んでいるのでしょうか。

世界的に有名な人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルが本作に関して後援・協力してくれているんだが、そのアムネスティを通じてこの事件を大々的に伝えることで何とか終わらせよう、状況を改善させよう、という動きは徐々に出てきているよ。

アムネスティのWebサイトにはこの映画のコーナーも設けられていて、事件に関する事実や報告書、統計があがっている。一般の方が何か協力したいと思ったときに、どうやったら助けられるかという方法も載せているんだ。

社会的・政治的に凝り固まってしまうと観る人が限られてしまいますが、本作では人間ドラマにも重点を置いて描かれていたので夢中になって観ることができました。そのように誰もがすんなり入っていける作品作りをするために意識したこと、注意したことは?

それがまさに自分がやろうとしたことなので、そういう風に観ていただいてすごくうれしい。大事な事実を伝える政治的・社会的映画ではあるが、根底にあるのは人間ドラマなんだ。人間の本質が一番出るのは、まさにこういう悲惨な状況や死と隣り合わせになった時。だからすごくいい題材だったと思うよ。

映画自体はサスペンスとして観ていただきたいね。そしてこの人間ドラマを作る上で核にあるものは二人の女性の友情。被害者となったエバという少女がボロボロの状況で這い上がり、そこからまた自分を取り戻していく──。ジェニファー・ロペス演じるローレンは、キャリアでは成功しているけど実際は本来の自分を見失っている。その二人が出会うことによってお互い立ち直り、本来の自分に気づいて救われていくというのがこの映画の核になっていると思うんだ。

遺族の方々にお話を聞いたということでしたが、遺族の方々はこの映画をご覧になったのでしょうか?

もちろん。一番最初に観ていただくときはやはり緊張したが、特に気を遣ったのはレイプシーン。あの事件の恐ろしさを知ってもらう上で非常に大事なシーンではあったんだが、センセーショナルな描き方はしないように気をつけたね。でも被害者の親だからきっと辛い思いをするだろう……と、「無理して観なくてもいいですよ」と言ったんだが、「この物語の全てをしっかり観たい」ということで皆が観ていた。

でも自分が一番気にしていたレイプシーンより激しいリアクションが起きたのが、砂漠の中からレイプされて埋められたエバが這い出て家まで戻っていくというシーン。そのシーンを見た途端に遺族のお母さんたちは叫び出して、泣き始めて、ショックのあまり劇場から出て行ってしまう人たちもいて……。彼女たちは自分の娘を失ったが、毎晩共通の悪夢を見ている。それは殺された娘が自分の元に帰ってくる・・・そういう夢だ。だからあまりにもその光景が生々しくて、ものすごくショックだったんだろうね。

そういう意味では遺族の方には辛い映画になったかもしれないが、それ以上に腐敗した政府・警察当局・企業のこと、そして犯人はまだ捕まらずに永遠にこの殺人が繰り返されているという事実を伝えることが何より重要だと思ったので、非常にその点は共感してもらったよ。

執筆者

Naomi Kanno

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