暴力とパッションのPUNK YEARS から、実験とエモーションのPSYCHEDELIC YEARS へ……。

 80 〜90 年代を中心に、石井聰亙が新たな境地へと挑んだ珠玉の作品群が遂にリリース。『水の中の八月』『THE MASTER OF SHIATSU 指圧王者』『逆噴射家族』ほか、初DVD 化となる伝説的作品を含む計6作を一挙収録!! 石井作品誕生の裏側に迫る貴重な『水の中の八月』のメイキング・ドキュメンタリーや、裕木奈江主演の舞台『ロンリープラネット』など豪華特典もついてくる。
 また、『逆噴射家族』オリジナルサントラの復刻版CD、『箱男』など幻の作品群の貴重な資料が掲載されたオリジナルブックレットなど、ファン垂涎の豪華特典も見逃せない。

今回はこの豪華ボックスセットを発表した石井聰亙監督にお話を伺った。


過去の作品が収録されたボックスセットが発売されたわけですが、今までこれらの作品は観ることはあったんですか?

「観てこなかったですね。観るのがつらくて」

つらい?

「痛い思いをしたし、いろんな人に迷惑をかけた作品が多かったから。出来れば避けて通りたかった作品ばかりなんですけどね。それに、自分の頭にあるのは常に次の作品のことばかりなので、あえてつらい思いをしてまで過去の作品を見返そうとは思わなかったし。
 でも今回はこういう形になったので、覚悟を決めて。デジタル化ということで、それぞれ全部で丁寧な作業をしましたから。メインカメラマンがいる作品は、基本的にカメラマンに来てもらって。嫌が応でも何度も見ましたね。本当につらかったです(笑)」

ボックス1、ボックス2とくると、ボックス3も期待してしまいますね。『半分人間』とかまだまだネタはありそうですが。

「それはないですね。ボックスに入れられないものもありましたから。すでにDVDで出ている作品に関しては、どうしようもないし。
 『半分人間』も入れたかったんですけど、バンド側とレーベル側とでいろいろともめていたりして。そのへんのことがクリアにならないと入れられなかったんですよね。本当はシークレット・トラックみたいにしても良かったんですけどね(笑)。ジャケットには何も書いてないのにDVDでは観られるという。でもまあ、今回はおとなしくやめときましたけど。
 もちろん今回のボックスでも自分に権利のない作品も入っているんですが、それはお借りして作業しました」

それにしてもすごいジャケットですね。

「どう考えても『水の中の八月』とか、『指圧王者』とか、『DUMB NUMB DVD LIVE FRICTION 1989』とか、全部がひとことでは語れない作品ばかりじゃないですか。あえて名付けるなら、サイケデリックかなと。インドの路上で売ってる曼陀羅の神さまみたいな感じに仕上がっていて、それが気に入ってますね」

今回のボックスで一番驚いたのが、『水の中の八月』のメイキングだったんですが、そんなものがあったんですね。

「僕も忘れてました(笑)。当時、スタッフとしてついてくれてた大学生が撮っていたんですよ。彼は今はプロになっているんですけど、たまたまボックスの話をしたら、こういうのがあるんだけど、どうしますか? と言うわけですよ。ものすごい時間の素材が残ってるというからというんで、まとめてもらってたんですけど」

石井監督のメイキングって珍しいですね。

「ちゃんとした長い作品は初めてですよ。あまりメイキングは好きじゃないんですけどね。舞台裏を見せるのもどうなんだろう、という気持ちがありまして。でもきちんと撮ってあるというから、こういう機会だし見せてもいいかなと思ったんですよ」

それではもうメイキングはない?

「きちんとした体制で全部撮って、ひとつの作品として成立しているならいいですけど、ただチョコチョコとおまけみたいなのを撮って、というのは別にいらないですね。そんなの全く意味がないというか。
 でも観るのは好きなんですけどね(笑)。ハリウッドのメイキングとかも、面白いものは面白いじゃないですか。ロバート・ロドリゲスのメイキングなんか面白いですよ。10分間の映画教室という感じで映画の裏側を見せていくんですよ。タランティーノの『レザボアドッグス』とかのメイキングも面白いですよ。基本はインタビューなんですけど、すごく凝ってますからね。そういうのならいいと思うんですよ」

このボックスの収録作品などは特に顕著ですが、作品のジャンルが幅広いですよね。

「それは作られなかった作品が数多いということに尽きますね。前半は作りたい映画と出来た映画とが全部一致しているんですよ。でも『逆噴射家族』や『半分人間』以降は、作ることが出来なかった作品がはるかに多いんですよ。作られた映画が10本あったとしたら、作られなかった映画が30本くらいあったから。なかなか複雑な思いですけどね。でも常に前の映画と違う映画を作ろうと思っていましたし、チャレンジングなことをやろうと思ってきましたから。ずいぶん遠いところまで来たなとは思いますけど。でも、もうそういう可能性を追求するのはいいかなと。もうそろそろ素直に映画を撮ってもいいかなと思ってるんですよね」

そうすると、このボックスが今までの集大成になると。

「いえ、葬り去ろうかと(笑)。さようなら、と」




するとこれからが期待ですね。

「また違ったものを作るでしょうね。確かにこれが集大成といえば集大成なのかもしれないですけど、単純に美しくて激しいものを作りたいといつも思っているだけですからね」

とはいえ、最近は美しいものにシフトしている気がしますが。

「そうね。でももう静かで美しいものは『鏡心』でやりたいことは全部やった感がありますからね。もういいかなと思ってますけどね。両立すればいいと思うんですよ。美しさの中に激しさもあるし、激しさの中に美しさもあると。それはそんなに自分の中では矛盾はしていないんですよね。
 でも、単独で切り離してみると極端になっちゃうかなと思いますけど。今は次の作品群のために、ものすごく脚本を練りこんでいますからね。だからそれぞれ出来るシナリオライターの人と組んで、物語のしっかりした映画を作ろうとしています。そういう中にいろいろと織りこめばいいと思ってますから。実際に、ここ数年はそういうことをやってます。次回作はウェルメイドな作品、人間ドラマになります。それをエンターテイメントと鋭いテーマに置き換えていければいいのかなと」

監督の活動を俯瞰で見てみると、作品を連続して発表している年と、ブランクがある年と交互に現われているように思います。もちろん物理的に企画が通らなかったという面もあるとは思うのですが、創作のペースとして意図している部分というのはあるんですか?

「逆に作品を発表出来てないときの方が、企画もいろいろ考えているし、脚本も書いてますからね。だから自分の問題というよりは、単純に物理的な問題ですね。逆に作品を撮ってるときは、時間もどんどん過ぎていきますから。
 『五条霊戦記』なんて1年くらいかけてますからね。あと『箱男』なんかは1年くらいかかりきりでしたから。そういう時の方が他のことは出来ない。シンプルなんですけど、世に出てないときの方が大変。作ってるときは楽。だから本当に楽したいですよね(笑)」

観客の側からすると、『鏡心』からも少し間が空きかけていますからね。

「『DEAD END RUN』も『鏡心』も実験的な映画だし、『ELECTRIC DRAGON 80000V』も『五条〜』の前から撮っていましたからね。自分の中では『五条〜』からは大きな作品を撮っていないという意識があるんですよね。
 その分、脚本の強化とか、演出力の強化というのはずっとやってきたことなんで、それはかなりパワーアップしたというか、筋トレしてますね」

『鏡心』なんて特にそうですけど、最近はデジタルを積極的にとりいれていますよね。

「それはありますね。それまでパソコンとか、キーボードも使えない人間でしたから。ワープロも使ってなかったですからね。それこそ『五条〜』が終わった2000年頃から集中的にやったことですね。
 そういう意味でも自分の技術のブラッシュアップとしては良かったかなと思いますけど、ただ作品を残せてないというのは残念ですね」

その技術をブラッシュアップする期間に、デジタルを使った習作は撮ったりしていないんですか?

「それはないですね。それは『DEAD END RUN』であり、『鏡心』であるわけだから。シナリオは他にも書いてましたからね。『DEAD END RUN』は劇場公開というレベルで展開したけど、『鏡心』は映画祭の依頼で作ったんで、劇場公開していないですからね。そもそも美術館でやりたいと思っていましたからね。あれは劇映画というよりは一種のファインアートのようなものなので。そういう意味では自分の中で整理が付いたかなと思いますけどね」

僕は『鏡心』を立川のシネマシティで観たんですが、音と映像の組み合わせがすごく良かったんですよね。個人のパソコンレベルでここまで出来るのかと思いました。

「あれはものすごく少ない人数で撮ったんですけど、それぞれ達人たちがやっているから、個人作業で出来ることの極みを目指してますね。全員パーソナルな持ち物で。だからお金をかけた映画が撮れないときは、こういう方法で題材を作ってもいいんだなと思いました。ただ、次にああいう方法で映画を作るなら、次はアクション映画を作りたいですね。同じ事はやりたくないですから」

アクションですか。最近はスピリチュアルな作品が多かったので、それは楽しみです。

「でも今、企画が進行しているのは、ほとんどアクション映画ですよ。近未来の戦争映画だったり、殺し屋の映画だったり、サスペンスだったり。学園ホラーもあったんですけど、それはなくなってしまいましたが。ジャンルものですね。そういう既成のジャンルものを新しく生まれ変わらせることに興味ありますね。今まで好きなことばっかりしてきましたからね」

こういうボックスをリリースすることによって、石井監督のファンの期待も高まってくると思うんですが、そういうことがプレッシャーになったりはしませんか?

「一度リリースしてしまったら、もう自分とは関係ないですからね。こういうボックスをリリースするのも、観たいという人がいてくれるからという意識が強いんで、もう何を言われても関係ないですね。『狂い咲きサンダーロード』のファンがいかに多いのかというのは驚きましたけどね(笑)。今だにいるんだとね。古い作品だから、もうそれ以上の作品や同じようなものがあるんじゃないのという気持ちはありましたからね」

とはいえ、そういうファンが喜ぶだろうなというものをあえて作るわけでもないという。

「そうですね。そういう器用なことが出来るなら、『狂い咲きサンダーロード2』とか『3』なんかを作ってますよ。それが出来ないから。冒険者魂がそれを許さないというかね。
 ただ、今は素直になって、こういうのに向きあうことが出来たというのがあるから。あれも決して完璧な作品ではないからね。粗も多いし。次にはこういうことを、頑張って克服していって、もっと良くしていくとかね。
 うーん……、でもやっぱり『狂い咲きサンダーロード』や『爆裂都市』なんかは今やろうと思っても出来ないかな。時代の熱とかもあるし、計算して出来たものではないですからね。何かに作らされたという感じですよ。トランス状態で作ってましたからね。それを形だけなぞっても、まったく意味がないと思いますね」



そういう意味で監督にとっての創作活動というのは、今までやってないことをやっていくということなんですね。

「でもそういう意味での作業は『鏡心』で打ち止めかな。今後は、優れた脚本家や、僕とやりたいと思ってくれたプロデューサーと共同作業をする。本当に作りたいものは、個人でも作業をする。それは、どういうものになるのかはよく分からないですか」

そのお話を聞いて、『濱マイク』シリーズを思いました。ある種、自分の世界観ではない仕事もきちんと石井監督なりに染めあげていましたからね。そういう考えは、例えば『濱マイク』がきっかけになったというのはありますか?

「まあ、『濱マイク』は、永瀬君に頼まれたというのがあるんで、そこでやったんですけどね。永瀬君の気持ちも分かるし、テレビドラマを作るのも、1回くらいはやってもいいかなと思って。とはいえ、やっぱり大変でしたけどね」

あれは、テレビドラマをフィルムで撮るんだという、かつては当たり前だったことを今の時代にやってみようという試みが面白かったわけですが、そういうところに惹かれたというところはありますか?

「いや。確かに永瀬君の気持ちは分かるんだけど、予算が少なかったんで、デジタルで撮った方がいいんじゃないかなとは思ってましたけどね。フィルムで撮るのは大変ですからね。お金もかかるし。DVで撮った方がいいんじゃないかなとは思ってましたけどね。そうするとカットも割れるし、その分、別のものに予算を回せるから。撮影日数が少なかったのもありますしね」

こちらの勝手な先入観なんですが、石井監督はデジタルなどにあまり興味のないアナログな方なのかなと思っていました。そういう新しいものを取り入れることに拒否反応はないんですか?

「いや、昔はあったんですけどね。克服しましたね、徹底的に。ま、映画を作る期間が空いたというのもありますし、これを機会にここらで1回やらなきゃということで懸命にやりましたけどね。
 最初はパソコンという考え方も分からなかったですからね。何じゃこれ、と。考え方自体も別の国の言語という感じでしたから。今でも日進月歩ですから。ちょっと注意をそらしていると、どんどん新しくなっていきますしね。でも1回基本が分かったんで、あとは楽でしたね」

作品にもよるとは思いますが、大きい作品はフィルムで、パーソナルな作品はデジタルで、という棲み分けになりそうですか?

「基本的にはフィルムが好きなんですけどね。ただ貧乏人にはデジタルは味方なので。そういういい面しか見ないことにしてます(笑)。もちろんデジタルも駄目なところもあるわけですけど、フィルムにも駄目なところもあるわけですからね。どっちもどっちだと思うんですね。
 ただはっきりしている事実としては35ミリのフィルムは高いです。なかなか許されないこともありますね。だからハイビジョンの映像でパーソナルなことをやることになるだろうし、そのことを悔やんでもしょうがないですよね。
 実際、世界中の尊敬する監督たちがいち早く、意識的に取り組んだりしてますからね。ゴダールだって、ソクーロフもそうですしね。ベルイマンだって最期の作品はHDで撮ってましたし。そういうのはナンセンスだと思うんですよ。フィルムだってだらしない作品はだらしないし。デジタルだって頑張ってる作品はフィルム以上だと思うからね。

 アレックス・コックスの最新作『リベンジャーズ・トラジティ』。あれもフィルムで撮って、それをデジタル化した後にいろいろな処理をして、最終的にフィルムに戻したと言うんだよね。あれが一番クオリティが高いんだと。確かにその通りだなと。お金もそんなに、聞いたら日本映画よりも少し予算が高いくらいだということだし。だからデジタルもどう使うか、ということだと思うんですよね」

デジタルで撮影するということは、上映もデジタルでやるわけですよね。立川シネマシティでの『鏡心』はデジタル上映だったんですか?

「あれは映写機を持ちこみましたね。フィルムにすると、とんでもないお金がかかりますからね。下手するともう一本あの作品が出来そうなくらい。パナソニックさんに協力してもらって、映写が出来るようにしました。音も画も、別のものに置きかえると劣化しますからね。ピュアな状態で写しだすというのが、テーマだったんで、きちんと映し出すと。自分たちでやればそういうことも可能なんですよね。
 ただ立川は日本で一番いい映画館だと思います。シネマシティ1,2はイマジカの試写室よりもいいですから(笑)。実際、音響の技術者に聞いてもらって、そう言ってましたからね。それは映画館の館主さんがそういう環境でやりたいと」



石井監督ほど、上映環境にこだわる方もいないですよね

「それは8ミリから入ったというのも大きいと思うんですよ。上映するまでが表現だということでね。それと、映画の音は映像に比べて圧倒的に貧しかったんで、それを調整しないといけないと思っていたんですよ。お客さんに申し訳ないですからね。正しく表現したいと。今はデジタルになって、映画館もかなり良くなってきましたから、きちんと上映してもらえれば大丈夫かなという気もしていますが。
 『五条〜』のときもかなりこだわってやったんですけど、キリがないんですよね。メイン館はいいとしても、全国でやられたりしたら、もう手に負えない。キチッと自分のいい状態で仕上げるというね。そのツボが分かったのかな。
 『ELECTRIC DRAGON 80000V』も、ハリウッドのヒッチコックシアターまで行って徹底的にダビングをしたんですよ。最終的な音の調整までして、そこで何となく極まったというか、ツボが分かったというか。まあ、それと同じ環境をまったく別の映画館で再現できるというのはありえないんですけどね」

試行錯誤の末に見えてきたということですね。

「けっこうプアな環境においても、ベストになるようなミックス方法なんかをかなり研究しましたね。それは『濱マイク』でも生かされていますよ。あれはテレビでやることが決まっていたので、どうこちらの狙いを際立たせるかということなんですよ。たぶん他の『濱マイク』シリーズのソフトと比べてもらえば音の基本クオリティの違いが分かると思いますよ。かなりのことをやってるんですけど、目立たないんですよね(笑)。
 だけど、自分の望むことを完璧に目指すのであれば、『鏡心』のようなアプローチでやるだろうし、ポピュラリティという部分でやるんだったら、いかなる状態であっても、ベストな妥協点が探れるように入れておくと。あとは映画館の好みですからね。当然、こうしてくれというのはありますけど、どういう状態の映画館でも満足しないといけないかなとは思いますけどね。もちろん自分がその場にいたら言いますけどね」

ここを直してくれと(笑)。そういうのは、石井監督くらいなんですかね。たとえばそういう意識が他の監督に波及したりはしないんでしょうか?

「でも今の若い人たちは耳がいいですよ。持ってるシステムもいいし。どんどん家庭環境の中でいい音で楽しむことが出来てますからね。あとはバランスですよね」

バランス?

「セリフもよく聞こえて、音楽もよく聞こえるというバランスですよね。よくあるじゃないですか。セリフが聞きづらいんで、音量を上げると音楽がバーッと鳴ってビックリして、結局は下げちゃうということが」

日本映画なんかだと特に多いですね。

「あれはバランスに気を使ってないんですよ。一番重要なのはセリフがきれいにハッキリ聞こえて、気持ち良く音楽を聴かせるということだから。『ELECTRIC DRAGON 80000V』は、意図的に音を大きくしてますけどね。映画館で見る人はそれを望むだろうなと思ったんで。もちろん家庭で見る場合はほどよいバランスにしてますけどね。ことさら破壊的な音を入れているわけでもないですからね。ややデジタルっぽい音だとは思いますけどね。
 その後で『濱マイク』をやって、学びましたからね。音響に関しては大丈夫かなと思ってますけど。ある種の自分なりの結論は出ているから、それはおいといて、まずは脚本(笑)。それからお芝居。役者さんの演出ですね。今までそこは弱かったと思いますし、強い興味がなかったんで」

興味なかったんですか?

「もちろんまったくないというわけではないんですけど、それだけを見ていたわけじゃなかったですからね。画と音響で語るというのは映画の醍醐味だと思っていたから。そこが舞台やテレビなんかとは違うと思っていたんで、ことさらそれだけを取り扱うということはしなかったんですよね。すべて一体化したものだと思ってましたから。どっちかというとサイレント映画的な考え方ですよね。8ミリから来ているから、染みついたものだったんですよ。トーキー初期の映画がすごく好きなんですよ」

トーキー初期というと、どんな映画が?

「『M』とかですね」

フリッツ・ラングの。

「そう。あとはトーキー初期ではないですけど、『勝手にしやがれ』ですね。あれは完全にトーキー初期の映画という感じがありますね。おそらく同録が出来ないというところから来るスピーディさや街をカメラで映しだす音と画の使い方とか。カール・ドライヤー監督の『吸血鬼』とかもしびれますね。まさに画の表現と音の表現が極まっていますからね」

原点はトーキー初期の映画だと。

「画と音が両方とも表現になっていて、ビジュアルインパクトがあり、胸に響くという。ことさらセリフで語るだけの映画に、あまり興味がなかったんですよ。映画はそうじゃないだろ、と。自分の中でトーキー時代がまだ始まってなかったのかもしれないですね(笑)。
 映画はクローズアップを使うとか、モンタージュを使うとか。大きくスクリーンに映して見せるということじゃないんじゃないかなと思っていたんですよ」

なるほど。ところで、『指圧王者』も含めて、監督のフィルモグラフィの中に短編映画がちらほら出てくるんですが、監督の中で短編の位置付けはどういう風になっているんですか?

「依頼されるんですよ。『TOKYO BLOOD』はWOWWOWだし、『指圧王者』もイギリスのテレビ局からの依頼だったし。短編はフットワークよく実験的なことが出来るという魅力がありますね。今でもそういう依頼はあるんですけど、今は長編の方が作りたいから断ってる状態ですけどね」

『シャッフル』とか『指圧王者』など、石井監督には短編のイメージもあるから、依頼する方にも是非、石井監督に、というのがあるんですかね?

「いや、自分だけじゃなくて、作りやすいんですよね。短期間で撮るということもありますし、今だったらウェブで公開するとかもありますからね。役者さんも出やすいし、かなり実験的なことも出来るじゃないですか。だから好きは好きなんですけど、そればっかり続くと物足りなくはなりますよね。『ELECTRIC DRAGON 80000V』とか、『DEAD END RUN』『鏡心』と『濱マイク』もそうか。これだけ続けばもういいだろうと。今はとにかく長編が撮りたいですよね」

執筆者

壬生智裕