『ペルセポリス』はパリ在住のマルジャン・サトラピ監督自身による自伝的グラフィックノベルを映画化したもので、2007年カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出され、見事審査員賞を受賞した話題作!本国フランスでも大ヒットを記録した。

1970年から90年代の混迷する祖国イランで、ロックとユーモアとちょっぴりの反抗心を胸に少女から大人へと成長していく主人公マルジの激動の半生に加え3代に渡る母娘の愛情が描かれる。

マルジとマルジのママの声を演じるのは実生活でも母娘であるキアラ・マストロヤンニとカトリーヌ・ドヌーヴ、マルジの祖母にはカトリーヌ・ドヌーヴと何度も母娘を演じてきたダニエル・ダリューと、豪華な声優の競演が実現した。

何ものにも揺るがない強さと知性、ユーモアを兼ね備えたマルジャン・サトラピ監督にお話を伺った。





——どうしてご自身の半生をグラフィックノベルにしようと思ったのですか?
私は政治家でも歴史学者でも社会学者でもありませんから、今回のテーマがパーソナルなものだということを人々に分かってもらう必要がありました。これは私の視点であり個人的な意見ですから、誰かの立場を借りるのではなく、責任を負うために自分の名前を出さずにはいられなかったわけです。でも実はこの映画はそれほど自伝的な作品ではありません。自分のことばかりを語っているわけでも私自身の欲望で書かれたものでもありませんから。マルジというヒロインを通じて他のことを語っていることの方が重要なんです。他の私小説であれば人生で解決できない人間関係の問題を消化させるために書く人もいると思うんですけど、私は実生活で小説の形を借りなくても好きな人には好き、嫌いな人には嫌いとはっきり言っているので個人的な問題は解決しています。ですから作品で仕返しをするようなことはない。アーティストだからあくまでも主観性の責任を取るための形を取っているんです。

——長期間リサーチをしてスクリーンでどう見えるか試行錯誤をしたそうですが、その内容を教えてください。
リサーチには三年間かかりましたね。最初にシナリオを書き始め、何度も考えて実現しては改良を繰り返していきました。普通アニメーションの世界では一旦決めてしまうと方向転換することはないんですが、私と共同監督のヴァンソンは自分たちに方向転換の自由を与えたんです。例えば白黒のスクリーンは人間の目にはハッキリしすぎていて10分くらいしか耐えられないので、1時間半の映画に持ちこたえられるようにグレーのトーンを加えていきました。そうして完成した映画が自分たちの望む姿でした。私たちにとって初めての映画でしたからゼロからの出発で、映画がどういうものかを学びながら全てが自分たちの発明でした。

——マルジャンの家族環境の中でも特におばあさまがすごく面白かったのですが、映画に出てこないおばあさまのエピソードを教えてください。
私のおばあちゃんはこの映画以上にもっと極端な人でしたよ。誰か家に人が訪ねてきても、好きな人じゃなければ「あんたなの」と言ってバタンとドアを閉めるようなダイレクトな関係を徹底していましたね。だから客観的に見れば耐えられない女性だったかもしれません。でも彼女にとっての好きな人、嫌いな人というのは、その人を傷つけようと思っているのではなく、絶対的な判断なんです。だから彼女の人間関係はとてもシンプルだったと思います。彼女はいつも本当のことを言っていたわけですから。受け入れられた人は本当に彼女が自分のことを好きなんだと信頼できるし、単に社交辞令で言っているのではないことがわかる。ある意味、彼女に受け入れられた時点ではつきあいやすい人だったと思います。彼女は笑うこと、生きることが好きで正義感や愛も強い人でした。例えば貧しい男性が好きな女性と結婚したい時には、たくさんの結納金が必要になるのですが、その人がなかなかお金が集められないでいると、おばあちゃんが色々な人に声をかけて、その人の職業に応じて必要なだけのお金を集めてあげていました。とても親切で全く意地悪なところがなくて、好きな人にはすごく好きっていう人でした。彼女が好きじゃなかったのは頭の愚かな人や意地悪な人など、根本的に良くない人に対しては率直に嫌いと言うような素晴らしい人でした。

——マルジャン・サトラピ監督の故郷のイランは宗教的に女性として厳しい世界ですが、イスラム社会でなくても程度の違いこそあれ存在し、それがこの映画を普遍的なものにしていると思います。フランスで暮らしていて女性であることでストレスを感じることはありますか?
この映画は女性の問題というよりも人間の問題を扱っていると見てほしいんです。抑圧と言うのは何も女性に限ったことではなくて、イランにおいては、例えば若い男性も戦争に行かなくてはいけないとか、別の意味での抑圧を被っていたわけです。私自身の育てられ方でいうと、私は両親から女の子として意識して育てられたことはなくて、「女の子だからこうしなさい、ああしなさい」とは一切言われたことがないんです。しかも抑圧というのは男性から女性に対してもたらされるものではなくて、実は女性同士の抑圧が脈々と続くことがあるんです。例えば、自由を与えられていない女性が自由を謳歌している他の女性を見ると耐えられなくなってくるわけで、女性同士の方が足の引っ張り合いをしたりする。私が生きているフランスのバンドデシネの世界は男社会です。とてもやりやすいし、その中で女性性を感じない形で普段生きています。もう一つ、抑圧というのは自分自身の受け止め方にもよるんですよ。例えば抑圧されているからといってそれを受身的にするのではなく、「何よ!」と言い返すぐらいのパワーがあり、向こうから差し出されるものに対して入っていかなければ抑圧もなくなると思うんです。私自身女性であることでストレスを感じたことはありません。私が女性だなと感じるのは恋をしている時だけですね。

——自分のグラフィックノベルが映像として動きを持ち音楽や絵をつける上で自分の予想していなかった発見はありましたか?
シナリオからプロセスを全て見てきましたから完成した映画を観た時の驚きというのはなかったんですが、製作過程での驚きはありました。この映画は他のアニメーション映画に影響を受けているわけではないし、何か前例を見習っているわけでもないんです。何物も必要としない作品でアニメーションなんだけど実写のような感じで作りたいと思いスタッフに説明しました。そして私が思った以上にスタッフが理解してくれたことが嬉しい驚きでした。

——この映画を拝見している時、想像力を含まらせるようなところがあり、自分の内面に語りかけられているように感じました。映画が完成してから監督が観た時にはどのようなことを感じましたか?
実はこの映画は600回ほど見直しているんです。監督として技術的なところがとても目に付くんですよね。ですから客観的に観客として見ることがなかなかできないわけです。しかも要求の高い完璧主義ですから完璧じゃないと我慢がならない。ですからなかなか楽しめませんでした。カンヌ映画祭の時は正式出品だからドキドキしますよね。心臓麻痺で死ぬんじゃないかと思い、それを避けるために精神安定剤を飲んだら頭がボーっとなって、何を見てるかわからない状態だったわけです。そしてやっと余裕を持ってこの間ニューヨークの映画祭で見ることができました。今でも欠点は目に付きますが、それでもなかなか悪い作品じゃないな、良い作品が作れたなという満足感はありますね。

——素晴らしいキャスティングですが、カトリーヌ・ドヌーヴ、キアラ・マストロヤンニ、ダニエル・ダリューと仕事をした率直な感想は?
この三人は色んな人と仕事をして経験もありますし、プロ意識のある女優ですからとても簡単でしたね。私の初めての映画だと見下すこともなくプロの人間としてコラボレーションしてくれたので、とてもやりやすかったです。難しいのはアマチュアの人達で、例えば「元気?」というフレーズでも「フィーリングが合わないから言えないなんて言ったりする。プロの人はきちんとしてくれるので、全く問題ありませんでした。

——監督が声優としてマルジャンを演じようと思ったことは一度も無かったのでしょうか?
それは全く考えませんでした。私は女優ではありませんし、俳優、声優というのは一つの職業ですから単にテーマを知っているからといって生半可な気分で演じられるものではないんです。でも脇役の声優としては活躍しています。実はウイーンの家主やゴジラの声は私なんですよ。

——映画が描かれている時代から世界は色々なことがあって様変わりしていますが、今後30代のマルジがいつか描かれることはあるのでしょうか?
私のことを話すのはうんざり(笑)。私の次回作はラブストーリーで悲恋です。「ロミオとジュリエット」もそうですが最後は悲しく終わるのが美しいわけで、もしロミオとジュリエットが結婚して二人の子供を持っても全然美しくないじゃないですか。ですから、みなさん期待してください。

——監督を成功に導いた『ペルセポリス』は監督にとってどういう作品ですか?
この作品はすでに私の過去のものです。他にも本を書いていますが時間と共に皆さんに届くだろうと思っていて、作り終えたことに対して満足はありますが結果を引きずるタイプではないんです。常に次へと前進するタイプですから。

執筆者

Miwako NIBE

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