ジャン・ヴィゴ賞を受賞した長編第2作目の前作『明るい瞳』が上映された2005年のフランス映画祭、その『明るい瞳』の日本公開プロモーション時に続き、今回が3度目の来日となった俊英ジェローム・ボネル監督。長編第3作目となる監督&脚本作『誰かを待ちながら』は、小さな田舎町でカフェを営む子持ちのバツイチ中年男ルイと若い娼婦サビーヌのほのかな情愛を中心に、ルイの妹夫婦など、男女5人の人生の一幕を暖かい光線の中でスケッチした珠玉の群像ドラマだ。フランス映画界の期待の星である監督にじっくりと話を聞いた。






Q=第1回目の上映が10/21に行われ、上映後はティーチインもなされていますが、日本の観客の反応は如何でした?

A=素晴らしかったです。こんなに遠い国である日本の皆さんが僕の映画に興味を持ってくれ、感動して下さるなんて、本当に嬉しい限りです。映画を通して交流できる喜びもひとしおなので、是非とも、また新しい作品を携えて来日したいですね。

Q=前作『明るい瞳』に主演したナタリー・ブトゥフさんを始め、ボネル組とも言えるマルク・シティさん、ジュディット・レミさんら常連俳優陣は今回、脇役として起用なさってますね。

A=彼ら3人とはとても親しい間柄なんですが、ナタリー・ブトゥフに関しては、今回の映画において全く当てはまる役がありませんでした。別に彼女を起用したくなかったのではなく(笑)、役柄が合わなかったのです。でも彼女が出ないのは淋しいなと思い、撮影の前日に、シナリオにはなかった3匹の白い犬を連れた婦人の役を急遽こしらえました。そして彼女の役を、この映画に出てくる登場人物全員の“孤独”を反映するキャラクターにしようと思いました。だからこそ彼女は昼も夜も、犬だけを連れて一人ぼっちでいるのです。またマルク・シティもジュディット・レミも、とても好きな俳優なので何らかの役で起用したいと考えていました。そこでマルクと僕はバナナを多食するユニークな人物ブシャルダンを2人で練り上げ、ジュディットには「次回は大きな役をまわすからさ」って言いわけし(笑)、ホテルの受付というチョイ役にあまんじてもらいました。

Q=今回の主要キャラクターの1人、ルイの妹のアニエス役を演じたエマニュエル・ドゥヴォスさんは、監督が初来日したフランス映画祭の時に、やはり主演作「髭を剃る男(原題:LA MOUSTACHE)」のゲストとして来日していた彼女を横浜でくどき、出演を承諾してもらったそうですね。それでは他の主要人物の起用はどの様に?

A=最初に起用を決めたのはフロランス・ロワレ=カイユです。彼女は僕の長編デビュー作「LE CHIGNON D’OLGA」でも大きな役を演じています。今回はシナリオを書いている段階から彼女をサビーヌ役に想定していました。他の配役については、シナリオを書き終わってから決めたんですが、それぞれの役の第一候補であった俳優が出演をOKしてくれました。ルイ役のジャン=ピエール・ダルッサン、アニエスの夫役のエリック・カラヴァカ、ステファン役のシルヴァン・ディユエッド。これほど才能に恵まれた俳優に囲まれた僕は本当にラッキーでした。

Q=街並みの美しい町が舞台になっていますが、ロケ地はどこですか?

A=実は10ヶ所、別々の町で撮影しました。これが映画のトリックで(笑)、あたかも1つの町であるかのように見せているわけです。それぞれの町はパリの近郊にあります。と言うのも、映画の制作にあたりパリ地方圏という自治体からの助成を受けていたため、パリ周辺での撮影が必須条件になっていたからです。でも1ヶ所では僕の想い描く舞台の背景にマッチするところがなかったため、色々な町の色々な場所で撮影することにしたわけです。

Q=ルイの愛読書がフロベールの半自伝小説「感情教育」だと知るたびに周囲の人は驚きますね。お国ではフロベールを読むタイプの人間に対して、何かある種のイメージがあるのでしょうか?

A=フランスでは教養と社会階級がかなり結びついています。有名な作品を読んでいないというだけで恥をかく場合もあるんです。なので、そんな風潮を逆手に取ろうと思いました。カフェの主人は子供っぽい男です。冗談好きで、ナンパもすればセクハラまがいの行為にもおよぶ労働者階級なんですが(笑)、そんな彼が高尚な小説「感情教育」を4回も読み返している。つまり、まさに驚きの対象となるわけです。そのギャップが彼を面白く、興味深い人物にしているのです。

Q=「自分が死んだら、棺桶に誰か女を一緒に入れて欲しい。素っ裸の死んだ女を。そうしたら別々の棺桶で腐るよりずっとイイだろう」と言うルイのセリフがありますが、それは監督ご自身の望みでもあるのですか?

A=残念ながら答えはノーです(笑)。ですが、とても綺麗な表現ですし、僕には面白い感動的なアイディアだと思えたので、登場人物ルイの口を借りて語ってもらったわけです。

Q=『明るい瞳』ではシューマンのピアノ曲が幾つか使われていて印象的でしたが、今回はオープニングとエンディングにピアノ曲を流されていますね。監督はピアノ曲が特に好きなのですか?

A=常にシンプルな音楽の使用を心がけています。デモンストレーション的な派手な映画音楽は、僕の映画には使いたくないですし、合わないと思っています。僕が求めるのは抑えた感じの音楽。そしてピアノのソロ演奏こそが、それにマッチしていると思います。それもたくさん使うのではなく、少しだけ使うのが好みなんです。前作ではシューマンの曲を、第1作目の「LE CHIGNON D’OLGA」ではドビュッシーとシューベルトのピアノ曲を使いました。今回はグリークの曲を使用しています。

Q=物語は若い2人が列車に乗り込み、犬を連れた婦人がカフェに入り、黒い犬が道をトットコ走り去っていく姿で終わります。この余韻の残る結末は、希望と新たな出会いを予感させますね。若いカップルと熟年カップルが誕生するのではないかという予感です。

A=仰る通りです。まさしく、そのつもりで描きました(笑)。でも心外だったのは、フランスの観客の多くから「ちょっと悲しい映画だね」って言われてしまったことです。僕としては、かなり希望のある映画を作ったつもりなのにね。なので、とっても嬉しいご指摘です。

執筆者

Y.KIKKA

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