カリフォルニア生まれ広島育ち、80歳の日系人老画家ジミー・ミリキタニはニューヨークで路上生活を送っていた。

憤った様子で日系人強制収容所や原爆を描く彼だったが、猫も好んで絵の題材にしていた。作品に魅せられた女性監督が彼に話しかけたとき、二人に友情が芽生え、その出会いはお互いの人生を大きく変えることになる。

戦争と人種差別が生み出す傷の深さ、アートと友情がもたらす癒しを親密な視点から描いたドキュメンタリーを監督したリンダ・ハッテンドーフにお話を伺った。




そもそもこの映画はどのようにしてスタートしたんですか?

「最初は路上アーティストの四季というテーマで撮り始めたんです。しかし段々と彼の歴史的背景が見えてくるにつれ、彼には語るべき物語があることに気付きました。ドキュメンタリーというのは常に変わり続けるものなんですよ」

この映画では日系人の強制収容所がテーマとして出てきますが、監督はこの歴史的事実をご存知だったのですか?

「いえ、ほとんどのアメリカ人と同じように、このことを私は知りませんでした。ジミーを通じて、強制収容所のせいで、どれほどの人の人生が壊されていったか、財産を失っていったかということに気付いたわけです。それは決して遠い過去のことではなく、つい近年までそうだったということを忘れてはいけないと思います」

だんだん戦争も過去のものとなり、こういったことを語り継ぐのは大変なことなのでは?

「確かに強制収容所にいた方で、亡くなった方も多くなっています。ご存命の方でも、その時のことをなかなか喋ろうとはしてくれません。
 しかし彼らの子孫が二年に一度ずつ収容所のあった場所に、巡礼ツアーをしています。そこで何があったのかを理解しようとしているんですね」

ジミーさんは収容所の絵を描いていましたね。

「アメリカの歴史の本流には残されていないことなので、彼らにそれを覚えてもらうために、ずっと彼は同じ絵を描いていました。山があって、収容所があって、ゲートがあって、フェンスがあって、そのフェンスの中に彼が居るというね」

ラストにジミーさんは収容所に向かいます。それ以降、彼の絵に何か変化はあったのでしょうか。

「非常に興味深いんですが、強制収容所に行ったあとに彼の絵は変わったんです。
 山はあるんですけど、門は開かれるようになり、自分の姿は描かなくなりました。実際に強制収容所のあった場所に行って、その歴史に心を痛めている人と繋がったことで、自分自身もその呪縛から抜け出たんだと思います。あれほどの深い傷から癒されるなんて、非常に希望に溢れた出来事だと思いました」

執筆者

壬生智裕

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