子供や家族をめぐる悲惨な事件が相次ぎ、行き詰っている現代社会。その社会のゆがみや心の暗部を描きながら、日本人が本来持っていた優しさや情緒感を見つけ出し、救済されていく魂のファンタジー『長い散歩』。
幼児虐待、アルコール依存症、家庭不和などの問題を鋭い視点で捕らえながら、天使の羽を身に着けた少女と、人生を再生させたい男が旅を通して交流を深めていく姿は、見るものに様々な感情を抱かせ、いつしか感動の世界へと導いていくのだ。

個性派俳優として確固たる地位を築き、映画監督としても新たな挑戦をし続ける奥田瑛二監督が主演として迎えたのは緒形拳。シノプシスの段階から綿密な打ち合わせを重ね、準備稿の段階で緒形から「この台本は詩のようだね、ぜひ監督に委ねるからよろしく」とハグされたと語る。役柄の背景から環境作りなどの細部に至るまで、相談しあい信頼関係を深めていった結果は、映画を見ればすぐにわかるだろう。

さすが俳優である奥田監督のセリフを交えた語り口がとても印象的で、その魅力とエネルギーにぐいぐいと惹き込まれ、あっという間の時間だった。この作品に対する溢れる愛情と熱い想いがひしひしと伝わってくるインタビューでした。






——奥田さんが脚本を家族ぐるみで作っていったそうですが、どのようにアイディアを出して進めていったんでしょうか?
最初の準備稿は山室有紀子さんと二人でこしらえて、2稿までは二人でやっていたんですね。3稿ぐらいになると煮詰まってきますよね。台本の直しや原稿が家のダイニングテーブルに置いてあるとカミさん(安藤和津)が気になりますよね。それを読んで3枚くらいダメ出しがあるわけ。それを読んで、なるほどなと思って書き直していくわけね。男として譲れないところはがんとして譲らなかったんですけど、女の人しか分からないことについては女性の意見を取り入れて書きましたね。終盤もうしつこいんですよ。「分かった。じゃあ、日にちを取って、徹底して直しをしよう」ということになって、朝起こされましてね、助監督である娘とカミさんと、三人テーブルに座って一ページ目から5、6時間かけて。それで良かったと思いました。その後カミさんも調子に乗ってね、「私シナリオを本格的に勉強しようかしら。」とかって言って。桃山さくらの桃は長女だし、さくらは二女だし、山は山の神ってつけたんで、桃山さくらっていうのを家族のペンネームにしたんですね。実際かなりのサポートをしてもらいましたね。

——ご家族は監督の精神的な支えになったんでしょうか?
なりましたね。家族がいない現場現場は何か寂しい。家中の共通テーマが映画なんですよ。長女が助監督で次女が女優ですから。これは雰囲気がいいですよね、零細企業で昭和の頃の風景に似てるんじゃないかなと思ってね、それは温かさだと思いますから、家庭の中で築けているっていうのは、とても幸せな感じがしますよね。女房は言いましたよ。「あなたは幸せな人ですね。長女が助監督で監督を目指し、二女が女優を目指している。そんな子供はなかなかいませんよ」ってね。

——幼児虐待という割と際どいテーマを扱っていますが、注意した点は?
陥らないように気をつけたのは、心理学的に母親の心理や、児童福祉の事務所や団体がどうだとか、そっちに入り込んじゃうと全然違う世界になっちゃうから、そうじゃなくて愛情、人と人とのふれあいを映画にしたかったんで、映画を作る前に徹底的に事例を調べましたね。“幼児虐待が何種類あるのか”、“母親っていうのはどういうことなんだ”とかね。調べてみて一つホッとしたことは、“虐待をする母親は必ず自分も虐待されていた”とよく聞きますよね。でも調べたら全体の30%で、それで映画にできると思ったんですよ。救いがある分、映画にはできる。寓話性を持ったメルヘンの広がりを持てるから、シビアな意味を持って人の心に浸入できるんじゃないかと思って自信をもってやりました。虐待のシーンは勇気が要りましたよね。首を絞めるきっかけに嫉妬というものがあって、大橋君がやっている愛人と少女の関わりをもたせて。単純に虐待していると何の意味もないし、人の心に訴えかけない。それには叩いたりするよりも首が一番鮮烈なんじゃないかなと思って。実際首を絞めている顔はとらずに、高岡君の顔と子供の足ですよね。そういう風に撮って、隣にいる緒形さんのリアクションがあれば十分強烈なシーンになると思いました。
映画を撮ってから似た事件が二つも出てきたから、複雑な心境ですよね。それだけ世の中にいっぱい虐待があるってことですよね。

——監督としては幸(サチ)のつける羽にどういう思いを込められていたんでしょうか?
なぜか昔から天使に興味があって、天使って善と悪の両方を持ち合わせているじゃないですか。どっちに転んでも強烈に生きる二面性を持っているわけで、その羽は自由の象徴でもあるし、虐待がテーマだから、単純に女の子がぽつねんとたたずんでいるとあまりにもリアルすぎて嫌だったんですね。だからそこで彼女が羽をまとうことによって自分に存在価値を持たせるとビジュアルとして安心して見てられるし、世の中でそうそうないスタイル、それが空を飛ぶということにリンクしていきます。

——杉浦花菜ちゃんのケア、生活について気を使ったところは?
一番気をつかったのは虐待のシーンの前で、いよいよ虐待のシーンだと思ったときになんか胸がざわついたんですよ。あまりにもリアリティのあるアパートができたので、楽しくて夢中になっている自分がいることに気づいて、ネガティブなシーンに夢中になっている自分がいけないって思いましてね。次の日朝7時にアパート前の広場にスタッフを呼んで、「僕は反省しました。良いシーンが撮れてもフィルムに悪魔が乗り移る。これから過激なシーンを撮るのに我々が尖った眼差しで見ていると、演じている花菜ちゃん、高岡さんがとんでもないことになりますので、我々は優しい心とあったかい気持ちで見守りながら撮らなくてはいけないと思います。そうすれば磁場、邪悪なものが侵入する隙間がないはずですから」。それをしなかったら多分杉浦花菜ちゃんがトラウマになっていたんですよ。おかげさまで、花菜ちゃんにはあれ以来二度ほど会いましたけど、すくすくと成長していました。そういうことってすごい大事なんだよね。

——その花菜ちゃんの演出はしやすかったですか?
宇宙人でしたね。オーディションで一発で決めたんだけど、その時、助監督にちょっと観察してこいって言ったんですよ。30分くらい見ていたら、みんなをみながら、一人ですかして挙動不審になったりして。勘がいいし、僕が言ったことにすぐ答えてくる。5歳はすごいチャレンジだと思ったけど、演技指導しないで済んだところもありました。

——緒形さんとは共同作業だったんですか?
まさに共同作業でしたね。壁際で緒形さんが虐待を聞いていて弁当を食っていて立ち上がって追いかけていくシーンで「腑に落ちてこない」とおっしゃるわけ。「腑に落ちない方がいいんじゃないですか」って言ったら。「えっ、腑に落ちなかったら芝居できないじゃん」、「台本に書かれても実際は見えないわけですから、腑に落ちないですよね。だから追いかけるわけですよね、これから首絞めのシーンを撮りますから、見ていたらいかがですか?」と言ったら、「分かった、腑に落ちた。」そこからですね。後はダメ出しの百連発をさせていただきました。「5ミリ左に動きました。」「なんでそんなテレビ的な小芝居になるんでしょうか。」とかね。刑務所を出るシーンはロングで撮っていて、たくさんのギャラリーがいる中、メガホンで指示していたんですけど、緒形さんのマネージャーが休憩時間に「あんな大声でダメ出しだされていやじゃないですか?」と緒形さんに聞いたら「いや、気持ちいい。」と答えられてて。むちゃくちゃうまくいきましたね。

——2007年問題と言われていますが、これから年を重ねる方へのメッセージを
メッセージというよりお願いですよね。ちゃんとした大人だったのに、それを放棄しているんじゃないですか?昔の大人はきちっと倫理観とか愛情を持って子供なり孫に接してきて、どんな面倒くさいことも指導したり、注意したり、かわいがることも惜しまなかった。それを知っていて今の大人は面倒くさがってやらない。その内、次世代も、その次世代も面倒くさいということを平気でしちゃう。じじいも、おばあちゃんも、我々団塊の世代も果敢に立ち向かっていかなくてはいけない。もっと長く生きていることの自信とプライドを持とうぜ、もうちょっと人と向き合わないとどんどんこの世の中が壊れていくと思うんですよね。

執筆者

Miwako NIBE

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