パリ13区立モーリス・ラヴェル音楽院。
そこには子どもからティーンエイジャー、日々仕事に追われる大人、老人に至るまで幅広い年代の合唱団員、総勢100名余りが所属している。
彼らは週に一度、指揮者クレール・マルシャンのもとに集まり、厳しくも楽しい練習を重ねていく。
オーディション、身振りを交えた独特な発声法、グループごとのパート練習、そしてオーケストラを迎えてのリハーサル。教会でのミサ・コンサートを目指し、アマチュアならではの努力と苦労、そして成長していく様子が綴られる。

彼らの「歌いたい!」という強くてひたむきな思い、歌うことの喜びがスクリーンから溢れ出し、劇場はいつしか音楽院の教室となる。共に練習を重ね、ドキドキしながら本番の緊張を疑似体験することになる。

フランスでは公開後、合唱団への入団希望者が殺到したのだそうだ。以前は誰でも入れた合唱団なのだそうだが、現在は毎年9月に行なわれる厳正なオーディションによってのみ入団できるということで、特に大人は一度入団すると辞める方は稀なので枠が空かないのだそう。
合唱指揮者、指導者が天職であるというクレール・マルシャン。彼女からは、教育者としての自信と喜びに満ち溢れた素敵な大人の女性という印象を受けた。合唱団員はきっと合唱の魅力だけでなく、彼女の魅力にも惹きつけられているのだろう。






——「合唱ができるまで」が映画になるきっかけは?
ある日、マリー=クロード・トレユ監督からコンサートまでの稽古の様子を映画にしたいという話を持ちかかけられました。トレユ監督とは以前からの知り合いでした。彼女の息子さんが合唱団に2年ほど所属していたことがあり、それで彼女は私たちが合唱を作り上げるまでの過程を良く知っていたのです。
最初は映画化したところで興味を持つ人がいるのか半信半疑でしたが、完成した作品の反響がとても大きくてびっくりしました。合唱がどういうものか知らない方が多かったようなので、合唱団員の苦労、そして歌う喜びを少しは知ってもらえて良かったと思います。

——映画を拝見して、合唱指導を受けているような臨場感を感じ、ついつい一緒に口ずさんでしまうこともあったのですが、マルシャンさんは作品を観て、現場の雰囲気は伝わっていると思いましたか?
実は最初に映画を見たとき、微妙な印象を受けたというのが正直な感想です。というのも私たちは4ヶ月間もの間、稽古を重ねたのですが、撮影スタッフは毎回参加していたわけではありません。映画という構成上、仕方がないことなのかもしれませんが、撮影した映像を編集して使っているので、私たちにとっては何かが欠けているという印象になってしまったのだと思います。特に大人の合唱団員は、稽古の厳しさばかりが目立ち、私たちが稽古を続ける理由である合唱の楽しさや喜びがあまり描かれていなかったことを不服に思ったようです。
ですが、合唱を知らない方々が合唱の概観をつかむためには十分な内容になったのではないかと思います。

——稽古場にカメラがある時の周囲の反応はいかがでしたか?
子供たちは全く反応が無くて、これにはちょっとびっくりしました。稽古中にカメラがあることを居心地が悪く感じたのは最初だけで、早い段階で稽古に集中できるようになったようです。でもやはり撮影が終わってカメラがなくなったら、やっといつも通りにやれるとホッとしていましたね。

——マルシャンさんにとって、「合唱」とは何ですか?
これは壮大な質問ですね(笑)、合唱は私にとって、生きていくためにとても大切なものです。まず一つは生きる喜びを与えてくれる栄養のようなものです。合唱によって、私は歌う喜びをみんなと分かち合うことができます。そして生計を立てるための仕事としての役割もありますね(笑)。
合唱とは、たとえ楽器が奏でられなくても、自らの声で音楽を表現できるものです。私の仕事は、個々が持っている才能を高いレベルの芸術表現へと導くことであり、その役割をとても気に入っています。

——指揮者になろうと思ったきっかけは何ですか?
それは大きな偶然が関係しています。私が音楽を始めたきっかけは、15歳に始めたクラシックギターです。大学にもクラシックギターをやるために入りましたが、授業で、グループで行なう授業が必修科目だったのです。ソロがやりたかった私にとってしぶしぶ参加した合唱のクラスで、同じ年代の仲間と初めて歌い、そこで開眼したのです。ああ、何て楽しいんだろう、そして自分自身から美しい声を出せるということも発見でした。このことは私にとって素晴らしい経験となりました。そんな時、これも偶然なんですが、代理で子供の合唱指導をするように頼まれたことがありました。その楽しさが今でもこうして続いているのです。

——マルシャンさんが教育者として喜びを感じる瞬間はどんな時ですか?
私が喜びを感じるのは本当に些細なことが多いんです。みなさんが思われるようにコンサートで披露することが喜びの到達点ではないのです。もちろん私たちはコンサートに向け、日々稽古を重ねているわけですが、それよりも、ある日の稽古で一人の子供の声が突然出るようになったとか、そういう些細な発見をすることがとても大事で、喜びも大きいのです。それは、団員にとっても同じことです。苦しい稽古もあるけれど、そういう喜びがあるからこそ、彼らも稽古を続けていけるのだと思います。

——劇中に体を使ったユニークな指導がありましたが、このような指導はよく行なわれているのでしょうか?
体を使った発声練習をすることは、少しずつ広がり始めていますが、まだそれほどではありません。でも私は昔からこのアプローチを信じていますし、これからもどんどん取り入れ、発展させていきたいと思っています。というのも、楽器である私たちの体が美しい音色を出すためには、体が自由であり、エネルギーが充電されていることが重要です。例えば、素晴らしい弦が張られたバイオリンであっても、そこに布を当てていたのでは良い音色が響いてこないように、体も開放しなければならないのです。また、エネルギーともにリラックスした状態であることも大事です。私が教えているアマチュアの方たちは優れた発生技術を持っているわけではありませんから、体を通して発生練習をすることを教えてあげないと、ずっと固まったままでいてしまいます。それは自分たちが持っている表現の可能性を閉じることにつながります。ですから、体を動かすことから入る方法がベストだと考えているのです。

——よりよい合唱を築き上げるためにどのようなアプローチを行なっていますか?
まず、稽古に入るまでに、私自身が楽譜をよく理解し、理想的な合唱の形を固めておくことが大事です。その後は、子供、ティーンエイジャー、大人のそれぞれのグループを私の理想形に近づけていきます。まず音を正確に取れるようになること、次に私が思い描く声質を出せるようになること。音楽の種類によって必要とされる声が違ってきますから、その音楽性に合う理想的な声を出せるようになること。そして最後は、合唱の統一感を持たせることが大切です。このような様々な要素によって、論理的に、そしてスムーズに理想形へと導いていくことを心がけています。

執筆者

Miwako NIBE

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