『自殺サークル』の園子温監督最新作『HAZARD』が11月11日(土)よりシアターN渋谷にて公開される。いまや日本映画界では欠かすことのできない存在となったオダギリジョーを主演に迎えたこの作品だが、制作は『自殺サークル』の直後2002年。オダギリジョーが現在の地位を獲得する以前の作品なのだ。
オダギリジョーは演技に詰まったときこの映画をよく観るのだという。それは、何の保証もないままアメリカにわたったオダギリジョー自身の経歴と、”眠たい日本”から”ハザード”を求めてアメリカにわたった主人公シンがシンクロしたからかもしれない。そしてそれが事実だとすれば、そこにはもう一つ、大きな分子が加わっていたことはもはや確実だ。それが監督・園子温である。常に”死”というものを意識し、同時に”死の先にある生”を求め続ける園子温。その彼が、言わば”死と隣接した”『HAZARD』を語った。





—園監督の作品としては割りとシンプルな映画ですよね。
そうですね。当時は物語的になるものはあんまりいらないなってくらいすごいシンプルなものが撮りたかったんですね。今と発想が全然違うんですけど。

—そもそもこの映画を作ろうと思ったというのはいつ頃なんですか?
当時『自殺サークル』が終わって、次は全然違うもの作りたいなって思っているときに、『青春☆金属バット』の熊切(和嘉)君が脚本を書いてくれたんです。その中にたった3行だけ、主人公のアメリカの回想シーンがあったんです。一言、「あの頃はぁ、熟れてたぜ。」みたいな感じで、風景が一個だけしか入ってないような。それでちょっとロケハンしようかってアメリカ行ったら、俄然アメリカが良くて(笑)。あぁなんかもったいないなぁと思ったんです。それで、全部回想にしてこっちで全部撮っちゃおうよって(笑)。全部回想ってことは要するに今までの脚本、全部要らないってことなんですけど。しかもすでに回想じゃないですし(笑)。全部こっち(アメリカ)で撮りたいなってことになって、ロケハンしてそこでアイスクリームカーが目の前通ったら「アイスクリームカー!これも入れよ!」みたいな感じで変えて、あの映画を作り出したんですね。だから、きっかけは一つの脚本です。でも、それを基にして全く別の脚本に仕上げたってことですね。

—そうすると結構衝動的なものが大きかったんですか?
うん、結構衝動的ですよね。シナリオの作り方も衝動的だし、あらゆるものがすごく・・・・・もう突っ走ってみようかなって思って。で、ニューヨークで撮影10日間くらいだったんですけど、10日間で全編撮りきるなんてありえないってプロデューサーも降りましたし。だから全部勢いでやったんです。パンクのアルバムでよく一発撮りってあるじゃないですか。勢いで撮るっていう。あれをこの映画にあわせてみようかなと思って。とにかく1テイク主義で、変にマイクが映ってても、ちょっとくらい失敗してても勢いがあればOKっていうような感じで撮影を進めていったんですね。

—舞台をバブルの残る1991年にしたというのは?
ニューヨークぎりぎりそれくらいの時の方が、無理してるんですよ。当時のアメリカニューシネマにでてくる『真夜中のカーボーイ』とか『タクシードライバー』とかそういった古き悪きニューヨークを舞台にしたかったんですよね。要するに、僕が日本に来たら、京都を撮っているようなものなんです。東京駅ついたら、「うわぁ、五重塔が並んでて芸者が来てる!」みたいな、そういうニューヨークなんです。今のニューヨークじゃないんで汚い落書きがあるところを探しては、「これだよ、ニューヨークってのは、絶対これだ」って。代官山みたいなとこは駄目だって言って(笑)。汚いペイントがしてあるところばっか探して、無理に作り上げた想像の中のニューヨークなんで、その時代の設定じゃないと無理なところがあるんですね。

—そういった衝動的なものの中にも、なにか反社会性みたいなものを感じたんですが、やっぱりそれは9.11の直後ということであの事件がこの映画に影響を与えていたりしたんでしょうか?
うーん・・・逆に邪魔でしたねぇ。反社会性というか、僕の大好きな『明日に向って撃て』とか、『俺たちに明日はない』とか『タクシードライバー』とか僕の中の大好きなそういったアンチ・ヒーロー型のアメリカ映画みたいなものをやりたかったんですね。確かにアンチ・ヒーローということは反社会的かもしれないけど、もうすでにファンタジーですよね。僕が同じものをつくりたいっていうなぞり方をしたんですよ。だから、ロバート・レッドフォードとポール・ニューマンがどっかの銀行強盗するみたいな、ああいう感じでやりたいなっていう。だから反社会的って言えば、反社会的かもしれないけど、ディズニーランドのカリブの海賊と同じで、カリブの海賊も反社会的な存在ではあるけど、でも今ああいうことをやることはファンタジーになるじゃないですか。それと同じですね。今やってるジョニー・デップのあれ(パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズ)だって、反社会的なことやってますけど、ノリはそれと同じですよね。だから、反社会的なことやっているようで、反社会的なことをやろうとしている映画ではないんですよね。

—もしかしたら反社会的なものというよりも“東京ガガガ”(園監督が主催した街頭詩パフォーマンス)の精神と言うかそういうものを感じたといった方が正しいかもしれないですね。最初のオダギリさんのオープニング曲『HAZARD』でも監督の詩『スカル』が読まれますよね。“一日がつるつるしててしょうがない”って。
まぁねぇ、最終的には通じちゃうんだろうな。・・・・・ただまぁ、もう一回見直すと、若気の至りの映画だなと思うんですよ。ちょっと恥ずかしかったりするので。“当時の”っていう弁解の仕方をすれば、確かにガガガなんですよね。うん。だから、ラストシーン渋谷で終わるのも、どこかガガガを意識したりとかしてましたね。

—そのラストシーンなんですが、シンが渋谷に帰ってくるっていうところが結構驚きました。
僕、我に帰るってシーンが好きなんですよ。だからニューヨークだけで終わるとファンタジーで終わっちゃうんですけど、渋谷がパッとでると、すごい現実に戻る感じがするじゃないですか。そういう意味では、渋谷でパッと夢から覚めるみたいな感じのカットがほしかったんですよね。

—なるほど。園監督の作品に結構一貫してあるものって、観客にそういった現実を突きつけるってことだと思うんですよね。どの映画でも現実っていうことが重要な位置を占めていて。
そこでしか勝負できないんですよね。勝負というか、作れないというか。例えばパンクスがパンクミュージック作るみたいなもので、突きつけるっていう意識もないまま突きつけてるって感じですか。そういう曲しか書けないみたいなものですよね。

—あと、“死”と“死の先にある生”っていうものもどの映画にも多く描かれていると思うんですね。舞台が誕生日になるのも園さんにとっては一端の死なのかなと思うんですが。
うん、僕は生まれ変わることが好きなんですよね。常に生まれ変わりたいっていつも思っているし、今の現状の自分よりはもっとましなもんがあるって常に思ってるんですよね。抜け出したいとか、脱出したいとか、飛び出したいとか、変わりたいって意識が常にあって。そういうものがやっぱり映画にも反映しちゃうんじゃないかな。

—特にこの映画ってハザードに向かっていくわけで、ある意味、死を体験するといいますか、そういうものが特に強い作品だと思うんですけども。それはやっぱりこの作品の根底とかにはあるんですか?
うん、そうですね。岡本太郎も“二つ道があって安易な道と困難な道があったら、困難な道を歩め”ってことを言ってますけど、やっぱり若い青春時代は楽をしないで困難な道を歩んだほうが、人生の幅がでると思うし。だからハザード地点を歩くのは大切なことだと思うんです。

—オダギリさんをキャスティングしたのもそういったところですか?当時オダギリさんて、今ほど知名度はないですよね。
ないですね。素朴でウブな田舎の少年でした。泥がついてましたね、靴に(笑)。田んぼのあぜ道歩いてきたみたいな(笑)

—(笑)。
そこがよかったんじゃないかな。垢ぬけてない感じがあって、主人公にそっくりじゃないですか。で、なおかつこれからハザードを歩みたい顔をしてたんで、そういうとこもそのままなぞれるというか。彼はアメリカ生活もあるしね。だから全部事前的なものになれる、そう思ったんですね。

—オダギリさんとはこの後の『夢の中へ』と「時効警察」でも一緒にお仕事されていますけど、やっぱりオダギリさんには一緒に仕事をしたいという何かがあったんでしょうか?
ないです。

—えっ?(笑)。
全然ないです。ただの飲み友なんで。しょうがないなぁって感じで。出してやるかぁみたいな。

—じゃあ「時効警察」とかも?(笑)
まぁ、オダギリくんが呼んだからしょうがないなって。

—あぁ、そうなんですか(笑)。
毎回オダギリ君もインタビューで僕のことひどいこと言ってるんで、僕も仕返ししてやるってつもりで今言ってますけど(笑)。だから今の・・・ちょっと嘘でした(笑)

—先にも出た、オダギリさんのオープニング曲の『HAZARD』ですが、それはもともと使う予定のものだったんですか?
いや、彼が撮影中に、「音楽決まってんですか?」って言うから、「いや、決まってない」ってなりまして、「ちょっと作ってきちゃったんで、聞いてください」って言われたんですね。・・・その頃「聞いてください」なのに今は「聞いてよ」だけど。

—(笑)。
あぁ、いいんじゃないって。僕もいい加減なタチなんで、じゃあこれテーマソングにしよっかって。まぁノリで言ったら、「じゃあちゃんと作ってきます」って言って。

—オダギリさんの『HAZARD』もそうですけど、この作品の音楽は比較的今までよりもポップになってますよね。
うん、まぁ比較的っていうより年代が違いますからね。でも撮影は前なんですけど、音楽つけたのは結構最近やったんですよ。先月か。当時の考え方をちょっと改めて音楽を付けてみたんですよね。自分自身もこの映画はもう、僕の若気の至り、若いなぁって感じでみたんでちょっとポップにしちゃおうかなと思って。それで音楽を足したんですよね。

—でもこの映画と音楽の相性ってすごいいいですよね。そう考えると、この『HAZARD』が制作完了から公開まで結構時間が空いて、その時間が空いたことによって結構時代にあってきたっていうのを感じるんですけど。
うーん、そうですね。それだったら最高にいいですけど。・・・・・それだったら最高に嬉しいですね。公開はいつにしようかなぁなんて、みんなには曖昧なこと言ってたんですよ。浦島太郎の箱開けるみたいにいつ開けようかなぁなんてみんなで考えてて。で、まぁオダギリくんもずいぶん老けたし、・・・(笑)顔も全然違うから、この辺だったらいいんじゃないみたいな(笑)。まぁそういう意味で今公開かなっていう感じですね。

—今度12月に公開される『気球クラブ、その後』では深水元基さんが主演していますけど。
そうですね。深水君すごい好きなんですよ。この映画で出会えたわけですけど。なんかこれからも何回か出て欲しいなぁと思っているんですよ。

—どんな俳優さんなんですか?
すごく真面目で、めずらしいくらい役者根性が座ってる男ですね。彼はいいと思いますね。

—ジェイ・ウエストさんはどうだったんですか?
もう、オーディションのときすごいふてぶてしかったんで、普通だったらキレちゃいそうな感じなんですけど僕はすごくいいなぁって思って。これぞ『HAZARD』にうってつけみたいな感じだったですね。で、彼にはそのまま行けって。それをさらにデフォルメしてくれって(笑)。
でも彼は生意気だけどすごい真面目で、あの役になじむために僕ら撮影隊よりもずいぶん前にニューヨークに乗り込んでいたんですよ。それで、セントラルパークで野宿していて、警察官と追いかけっこしてたりとかしていたらしくて。僕らが着いたら「なんでウエスト、こんなとこにいるの?」って言ったら「なじむためにずっと野宿してました」って(笑)。そういう意外と真面目なとこもあったりするんですよ。・・・真面目というか結構とんでもないですけど(笑)。

—結構ジェイ・ウエストさんのセリフとかはアドリブが多かったりするんでしょうか?
アドリブもありますけど、・・・うーん思い出せないなぁ。深水君もオダギリ君も結構真面目な役者なんでセリフにないことをパッと切り返すって言うよりはセリフ一個一個を大事にするほうなんですよね。でも、このときはパンクフィルムにしようと思ってたんでアドリブが結構あることはありますね。もしかしたらアドリブだらけかもしれないなぁ。どのくらいアドリブかはちょっと洗ってみないと思い出せないけど、全体的にアドリブが多いかもしれないですね。

—『紀子の食卓』ではあまりアドリブがないと聞いたんですが。
『紀子〜』は全然アドリブないです。アドリブっぽく見せることは上手くなったんですよ。『HAZARD』とか『夢の中へ』やっているうちに、アドリブじゃなくてもアドリブっぽいことはできるってことがわかってきて。だから、基本的には僕、ノーライトなんですよ。現場でライトたかないんです。ライトたくと役者の動きを制限させちゃうんですよね。あと、ないほうが生々しくなるんですよ。写真と同じなんだけどザラザラした感じが出せるんですよ。だからセリフのアドリブよりも、役者の動きを重視することがアドリブなんですよね。

—今後予定されている作品とかはあるんでしょうか?
『紀子の食卓』に続く親子と、そして恋愛のドラマを作ろうと思っています。あとはとにかく面白い映画を、月1くらいで撮っていきたいですよね。公開も今うまいぐあいにどんどん出ているんで、そのハイペースで次へ次へと撮っていきたいなぁ。昔の映画監督みたいに、年に6本くらい撮っていきたいですね。

 

執筆者

林田健二

関連作品

http://data.cinematopics.com/?p=44995