去る3月6日よりユーロスペースで開催された「Bio06 アイスランド映画祭」は、映画をはじめアート、音楽など小国ながらも着実に独自の文化を育んできたアイスランドに着目し、これまで体系的に紹介されたことのないアイスランド映画をまとめて紹介する上映あり、またライブ、イベントあり盛りだくさんの内容で行われた。
自国での映画製作本数はまだ少ないものの、『エターナル・サンシャイン』や『007 ダイ・アナザー・デイ』『バットマンビギンズ』などハリウッドの大作映画へのロケ誘致なども積極的に行い、新しい映画産業の場として国際的に注目を集めつつあるアイスランド。なかでもアイスランド出身の新鋭監督として注目を集めているのはダーグル・カウリ監督だ。
日本でも公開された『氷の国のノイ』はまだ記憶に新しいところだが、今回の来日で紹介されたカウリ監督の最新作『ダーク・ホース』では、エキセントリックなラブストーリーが描かれる。コペンハーゲンの町を舞台に、冴えないグラフィック・アーティストのダニエルとパン屋で働くフランの出会いから始まる、ユーモラスでファンタジックな世界がモノクロームの映像で広がっている快作だ。
また、映画製作のかたわらで活動する自身のバンド「スロウブロウ」はこれまでのすべてのカウリ作品の音楽を担当してきたという。その朴訥で手作り感いっぱいの音楽センスもユニークだ。
フリドリック・トール・フリドリクソン監督やヴョークなどを輩出したアイスランド・カルチャーの次世代の旗手として目される新鋭カウリ監督にさっそく会ってきました!







—— 前作『氷の国のノイ』は日本でも好評でしたが、今回の『ダーク・ホース』への制作はどのような経緯ではじまったんですか?
「『氷の国のノイ』(以下『ノイ』)は2001年の作品でしたが、ヨーロッパでの公開は2003年でした。仕上げをしていた頃に取り掛かっていたのは「the good heart」という作品でしたが、その作品が完成する前に企画が持ち上がって製作会社からオファーをいただいてつくることになったのが、この作品でした。低予算でデンマークで製作したんですが、私にとってとてもよかったです。というのは『ノイ』は完成するのに時間もかかりましたし、内容も重苦しいものでした。また、次の「the good heart」も重々しいものになりそうだったので、その間に一本気軽に即興的に作れるものが入ってきてよかったんです。」

—— キュートでちょっとヘンテコなラブストーリーですね。シナリオはどのように作っていったのですか?
「即興的にはじまった企画だったので、最終的にこういうものにしよう!という考えはあまりなかったんです。まったくまっ白なところからはじめていきました。脚本は友人のRune Schjøttと作ったものですが、映画作りの現場においてどれだけ楽しめるかということを念頭において書き始めました。私のシナリオの書き方は、ストーリーから書くわけではなく色んなアイデアをためて、アイデアがノートいっぱいになったところで彼とノートを交換したりしてそこから物語が生まれていきます。まるでパズルのピースを組み合わせていくように物語が生まれていくんです。ですから、ラブストーリーをテーマに考えていたのではなく映画のなかの瞬間を組み合わせて映画を作っていきました。」

—— なるほど、瞬間を組み合わせたというお話は作品を拝見するとすごく納得できます。ではそのアイデアをつなぎ合わせる作業はどのように進めていったのですか?
「シナリオを書く作業は映画制作の中でも私にとって一番辛い作業なんです。シナリオ執筆というのは朝9時に起きて4時まで仕事をして…というようなきちっとした段取りで進められるものではないんです。7時間ぐらい喫茶店でブラブラして、30分くらいやっと何かを書けるような気になってくるという、そういう無駄が多いので、自分なりの方法で変えていこうとしてきて、それが今この瞬間面白いと思うことを“書き出す”ということでした。脚本の筋やプロット、転換点はあまり気にせずとにかく書いていく。それを3年くらい続けていくと膨大にアイデアがたまるので、その中のいくつかを組み合わせていくと一人の人物像が出来上がっていきます。そしてそのキャラクターを動かすには…というところでまた発想していくと新たなアイデアが生まれたり、ノートの中のアイデアと結び付けていったり、まるで赤い糸を結びつけていくようにストーリーをつくっていきます。アイデアの70%はゴミ箱行きなりますが、苦しいシナリオ書きを楽しんで進めるために自分で考案したやり方です。」

—— 全編通してモノクロを選んだのはなぜですか?またラスト近くのシーンで、眠っている彼女の髪の毛が一瞬赤く描かれますがそのシーンのみパートカラーにした理由は?
「そんなに多くの準備をかけられないまま撮影に入ってしまった企画だということもそうですけど、もうひとつこの映画で表現したかったのは、ヨーロッパの60年代のヌーベルヴァーグの精神に則った、自由で無防備であるものにしたかったんです。当時の映画に対するオマージュとしてモノクロを選びました。
私が映画作家として心がけていることは、リアリティを映し出すことではなく映画的な、新しいリアリティを作り出すことだと思っています。それぞれの映画に固有な映画表現を生み出すのが映画作家の仕事だと思うんです。撮影したコペンハーゲンという町は、みんながよく知っているのでそれをそのまま映してしまうと、みんなが知っている現実がそのまま映画に映し出されてしまうとも思ったので、新しいコペンハーゲンの町を映し出すためにモノクロというのも効果的だった思います。通常あまり撮影されていない場所をロケに選んだり工夫は凝らしました。
カラーのシーンは、あの瞬間に彼女を見ている主人公の男の子がどんな感情を抱いていたのかを言葉を使わずに描きたかったからです。あの瞬間は思いがけず訪れたもので、まるで時間が止まったように、その瞬間にすべてのものが非常に明晰に覚醒したような感覚を強調したかったんです。」

—— 監督ご自身はデンマークでも映画を撮られていますが、映画監督になるまでの経緯は?
「生まれたのはフランスでしたが、その後アイスランドで育ちましたが、映画がつくりたかったので、映画学校に通うために21歳の時にデンマークに移り住みました。それから9年間をコペンハーゲンで過ごしましたが、2004年にはまたアイスランドに引っ越してきました。」

—— アイスランドでは映画は年に数本しか製作されていないとお聞きしましたが、映画産業が本格的にはじまったのも70年代に入ってからだとか。そんな中でどのようにして映画監督を志すようになったのですか?
「15歳か、16歳ごろに決意していました。当時から色んな趣味を持ち合わせていて、ロックバンドで音楽もやってましたし、物を書くことも好きだったし、絵を描くことも好きで、何か1つを選ばなきゃと思ったんですがそれは不可能だった。ある時、映画祭があったんですけど、「映画作家になれば1つを選ぶ必要はなく自分の好きなものすべてを同時に行うことができる!」と思ったんです。1つを極めるという選択をしなくて済むには映画監督になるしかなかったんです(笑)。それはかなり大変な決断でした。一年に3,4本しか作られない環境だったのでそれは大変でしたが、私は幸運だったのでデンマークでも映画を作ることができましたし、アイスランドでも作れるようになった。コマが増えて本当にラッキーです。」

執筆者

綿野かおり