日本近代史の黎明となる秩父事件。国の強引な政策に翻弄された民衆が埼玉県秩父郡一体で一斉蜂起という、わが国近代史における自由と民権の戦いの真実が、屈指のスケールと豪華キャストにより現代に甦る!『草の乱』は、かねてより秩父事件の映画化を願ってやまなかった、神山征二郎監督(『大河の一滴』『群上一揆』など)が、4億5千万円の巨費で映画化する自主製作超大作だ。自主製作?そう、本作の製作資金は特定の企業・団体からの出資ではなく、この作品の趣旨に賛同した一般市民からの寄付や募金、そしてボランティア、エキストラ協力などによって支えられているものなのだ。
 撮影は地元埼玉各地で大半が行われ、10月1日より本編の撮影がクランクインし、年明けに北海道で行われる主人公・井上伝蔵の晩年のロケでクランク・アップ。2004年3月の完成、そして秩父事件120周年となる2004年秋に全国ロードショー公開される予定だ。
 現実の秩父事件決起から丁度119年の記念日でもある2003年11月1日、埼玉県秩父市で本作のクライマックスともいうべき、大群衆シーンの撮影と製作発表記者会見が開催された。佳境を迎える撮影に、強い手応えを感じさせる監督、出演者のコメントと、熱い撮影現場の様子をお伝えしよう。

$navy ☆『草の乱』は、2004年秋全国ロードショー公開予定!$












 記者会見は、本作の主人公・井上伝蔵ゆかりの埼玉県吉田町にて行われた。会見場となったのは、本作の撮影のために地元吉田町が5000万円をかけて復元した井上伝蔵邸。その精巧な作りは、実際の居住が可能で、神棚等は実際に井上家で使われていたものをしつらえてある。本作の撮影終了後は、「秩父事件資料館」として一般公開される予定だ。
 会見には、神山征二郎監督をはじめ本作の中心人物3名を演じる俳優陣が登場し、作品と役柄への思いを熱く語った。

神山征二郎監督——私は30歳の時に監督になりまして、32年目なんですが、その頃が秩父事件に正当な評価が当てられ始めた頃であり、ある雑誌に連載された井出孫六先生の『秩父困民党群像』という連載を読んでいるうちに、監督になったんだからこれはいつか必ずやろうと思ってました。ですが、この三十数年間は日本映画の受難の時代で、お客さんは減る、アメリカ映画ばかりが増えていくような状況で、大変苦しい日本映画界だったんです。そうした中では、これだけの規模の映画というのはやりたくてもできなかったんですね。それが今、できるようなことになり、今日で丁度1箇月撮影してまいりましたが、本当に出演者の方、それから裏方の方が多数、そして日々何百人と言うエキストラ、ボランティアの方が参加され、実現不可能な仕事が、毎日笑顔で、文字通り団結して共同で作っている状態で、自分では第24作目になりますが、こんなに気持ちよく仕事が出来たのは初めてという感じで、充実した日々を送っております。兎に角、愛と勇気が溢れた物語を、大スクリーンで展開して、ご協力くださった方々、また『草の乱』の完成を待ちわびている人々に、プレゼントしたい心づもりで進めております。
演出に関しては、ドラマは人が出てきてやるものですから、実在したか架空かでどちらが難しいかということはありませんが、この秩父事件は現代劇だと思っていますのでそういう作り方をしています。面立ちは羽織に白たすき、一刀挿したり、刀の無いものは槍を持ったりしてますが、近代の黎明に起きた今日の日本を予測したかのような事件じゃなかったかと思ってまして、名前も高利貸し側以外は全て実名でやってますし、圧力に向う心みたいなものが描けたらいいなと思います。この前、「監督はもっと恋愛映画を撮らないんですか?」と言われましたが、これは民・大衆に燃えた人たちのドラマですから、『草の乱」は愛の映画ですと申し上げました。

緒方直人(井上伝蔵役)——こんなに素晴らしいセットを立てていただき、11歳でこの丸井商店に六代目井上伝蔵を襲名して、26歳の時には村議会の副議長だったり、村で困ったことがあれば「伝蔵さんに頼めば何とかなる」とそういうお人だったそうで、その器の大きさみたいなものを、なんとか表現できればいいかなと思っています。それと、65歳で亡くなるわけですが、その65歳の時の伝蔵さんも演じますので、老け役というか、そちらの方も頑張りたいと思います。
井上伝蔵さんの写真は残ってまして、面長で鼻筋が通っていて、僕と全然似てないんです。ですから、気持ちだけで演じて、見終わった後にオーバー・ラップしてくるように、気持ちで演じています。

林隆三(田代栄助役)——伝蔵さんや、織平さんに担ぎ出されて、困民党の総裁になる田代栄助役の林隆三でがんず。本当に地元のエキストラ、ボランティアの皆さんの情熱に刺激されて、負けてなるものかと力を合わせてやっております。どうぞ宜しくお願いいたします。
監督が今に通じるものだとおっしゃりましたが、僕らはその都度いろいろな美学をやらさせていただいているわけですが、以前ある演出家が「役者は演じるキャラクターとギャップがある方がよい」と言ってまして、僕はそれを信じて演じてきましたが、田代栄助という方は身に余る素晴らしい方だと思いますので、そのギャップを現代の林がどう創造できるかを自分でも期待しております。

杉本哲太(加藤織平役)——今日はこれから椋神社の方で、ナイターで決起のシーンを撮るということで、すごく緊張・興奮しております。その気持ちを芝居に繋げてやっていきたいと思います。
加藤織平に関しての資料や写真はありませんでして、兎に角脚本を通してその中での今回の『草の乱』での加藤織平像を作っていけたらなと思っています。僕は勝手にイケイケ博徒と言ってるんですが、それがだせればなと。






 吉田町に作られた大宮郷のオープン・セット。事件決起から119年目のこの日は、その歴史の事実に呼応するかのように、大掛かりな撮影が行われた。ここではまず、老若男女700名に及ぶ困民軍の一行が、歓声をあげながら大宮郷を駆け抜ける場面。そのエキストラの多さと、セットの広さで、撮影の準備と撮影指示の伝達だけでも結構な作業だ。神山監督のビジョンがスタッフに伝えられ、スタッフがまた監督が直接エキストラに指示を与えていく。濛々たる砂塵を巻き上げながら、脱兎のごとく街路を駆け抜けるエキストラの表情は真剣で、リハーサルが終わるたびに酷く息を切らせている。なんでもエキストラは、募集数をはるかに超える希望者の応募があり、やむをえず「おことわり」をすることもままあるとのこと。それは作品にかけるスタッフ・キャスト心意気に、心を同じくする一般市民に支えられていることの証でもある。実際のところ、これだけのモブ・シーンは、今や国産メジャー映画でさえ、いや国産メジャー映画では当然お目にかかれそうもない大迫力と熱気に満ちている。撮影には2台のカメラが使われ、アングルを変えて2パターンの撮影が行われた。だから実際にエキストラの皆さんが全力疾走したのは、リハーサルを入れると6回ではきかない。その迫力は、完成した作品で是非堪能して欲しい。
 その後、こちらのセットでは、困民軍が占拠した町並みで、決起の幹部一同を歓声の中で迎える場面の撮影も行われ、多数のエキストラの歓迎の中、林、杉本、緒方、渡辺哲ほかによる入場場面も撮影された。さらにこの後、エキストラの皆さんは、キャスト陣が次の撮影場所へと移った後も、歓声の音撮り等を暗くなり始めるまで熱心に繰り返した。
 その後撮影場所を、吉田町椋神社の境内に移し、ここでまさに119年前に行われた蜂起集会の撮影が行われた。かがり火が焚かれる中、参集した700名の農民達。のぼりの位置や、境内でのエキストラの配置などで、こちらも準備にかなりの時間を要する。そうして林の朗々とした「皆の衆」の声が響き渡る頃には、日もとっぷりと暮れた晩方。秋の景色深い境内だが、それでも映画にかける熱気に満ちた現場には寒さを感じる気配も無く、その後夜遅くまで撮影は続けられたのだった。
 撮影の合間に繰り返し、本作の現場の充実ぶりを口にしていた神山監督。現在にも通じる題材を選んだ本作で、平和慣れした現代人にバイタリティと戦いに立った者たちの思いを感じて欲しいと、優しくしかし不敵な笑顔を浮かべていたのが印象的。来年秋の公開を、楽しみに待ちたい。

執筆者

宮田晴夫