——君を決して忘れない。恋しい君の元に戻りたい——そんな愛妻への切ない思いとは裏腹に、運命はいたずらにペンを故郷から引き離していく。
 哀愁を誘うタイ歌謡の調べに乗せて綴られるこの1組の男女の愛の物語『わすれな歌』は、2002年カンヌ映画祭監督週間で上映された佳作。タイ映画界注目の若手監督のひとり・ペンエーグ・ラッタナルアーン監督の『6ixtynin9』に続く長編3作目で、タイの国民的女優といわれるシリヤゴーン・プッカウェートと、『デッド・アウェイ バンコク大捜査線』『快盗ブラックタイガー』で強烈な印象を残したスパコン・ギッスワーンの共演作だ。
 大恋愛の末、結婚したペンとサダウのふたりは、新婚早々、ペンの兵役が決まり離れ離れになってしまう。それだけならよかったが、歌手になってサダウの元に戻ろうと考えたペンは、脱走して芸能プロダクション入り。だが、なぜだかサダウとの距離は広がっていくばかり。ペンが、青々とした川のほとりの村で愛の暮らしに戻れる日はいつ来るのだろうか?
 どこか滑稽にも見える出来事の連鎖が、主人公の人生を狂わせていくところはラッタナルアーン監督の前作に通じるが、今回は甘さのあるロマンス。登場人物たちの心情そのままの挿入歌が多々使われているところにも特徴が感じられる。
 果たして、ラッタナルアーン監督が本作で目指したところは何なのだろうか? 来日した監督にうかがってみた。

$blue ●『わすれな歌』は、2002年12月21日よりシネスイッチ銀座にて上映中$




——前作の『6ixtynin9』とはガラリと変わって愛の物語ですね。
「僕は飽きっぽいんです。だから、似たようなものを何度も何度も作るのは僕の得意ではないものなんです」
——『わすれな歌』には原作がありますが、原作にどのような魅力を感じられたて映画化を考えられたのでしょうか
「この小説を読んだとき、僕はまるで映画を見ているような気持ちになって、ぜひ映画化したいと思ったんです。ストーリーそのものが好きになったわけではないんですよ。この粗筋にはぜんぜん興味がないんです。僕が興味を持ったのは、この小説が持っている雰囲気そのものなんです。つまり、小説を読んだときに匂いがしてきたんです。川の匂いとか土の匂いとか、そういうのをもう一回映画のなかで再現してみようと思いました。どういうふうにしたら、川の匂いのする土の匂いがする、そういう雰囲気を出せるかと」
——そうしますと、ロケーションはかなり気を使って探されたのですね。
「はい、そうです。ひとつ問題があって、バンコクからあまり離れたくなかったんです。バンコクの近郊で地方の雰囲気のよくでている所を探しました」
——なんという場所ですか? バンコクからの距離は?
「3つの県を撮影に使っています。ひとつはアユタヤ県、ひとつはスパンブリ県、それからカンチャナブリ県です。アユタヤ県がバンコクからだいたい1時間、スパンブリは1時間半、カンチャナブリは3時間ぐらいです」
——ペンが兵役に就きますね、そこで訓練を受けながら歌うシーンが印象に残りましたが、歌の使い方がひじょうに興味深いですね。その使い方について伺えますか?
「この映画で使われている歌は、ジャンル的にはルクトゥーン(日本的に言うと演歌)で中でも古典的なものなんです。この歌を私はダイアローグにしたいと思いました。主人公の話すセリフの代わりに、ミュージカルのような感じですね。でも、そのために作った歌ではなくて昔の歌を使ったんです。ここで大事なのは歌詞なんです。僕が表現したいということを歌ってくれないと困るので、そういう意味で歌はとても探しました。作ったのではなくて、探したのです。特に訓練のときい流れる『忘れない』という内容の歌については、ハリウッドの映画でも訓練のときに『彼女のことを忘れない』と言っている人はいないでしょ。僕は、ハリウッドの映画とはぜんぜん違う新しいものにしたいと思ってわざとこういう歌を持ってきたんです。それがそのときの主人公のいちばんの気持ちだから。これは、タイの人なら誰でも知っているような古い歌なんですよ」
——映画館で一緒に歌う観客もいたのでしょうね。
「いましたね」
——この映画のために作られた曲はありますか?
「ひとつだけア・カペラの歌、ペンがコンクールで歌う歌は新しく作った歌です。歌詞を作ったのは、ウィシット(・サーサナティヤン)さんという『快盗ブラックタイガー』の映画監督です」
——映画監督同士で協力し合ったのですね。
「僕の映画のなかに、彼の映画がちょっと出てくるでしょ」





——さて、キャスティングについて伺います。スパコン・ギッスワーンさん(ペン役)とシリヤゴーン・プッカウェートさん(サダウ役)を起用した理由は?
「シリヤゴーンは、脚本を書いた段階から彼女をヒロインにと決めていたんです。以前からいろいろなことで友達を通じて彼女を知っていて、この人とぜひ一度仕事をしてみたいものだと思っていたのです。この映画はいいチャンスでした。スパコンは、神様の引き合わせかな。僕がこの企画を持っている段階で、彼は僕を訪ねて来たんです。30分ほど話しただけで、彼しかいない、ペンの役は彼にやってもらおうと思いました。演技なしでいい、彼そのものでいいと。彼の人生そのものがペンととても似ている。そういうことでノー演技でやってもらおうと思いました」
——彼はなかなかよかったですね。歌もけっこううまいなと思いました。
「彼はとても努力しましたよ」
——最初からシリヤゴーンさんをと思っていたのは、どういった部分でそう思っていたのですか?
「僕は脚本を書いているときに、この女性には小柄な女性をイメージしていたんです。手とか腕とか雰囲気とか、彼女しかいないなと。脚本を書くときは(頭の中で)絵が動いているので、どの人が演じるにしてもだいたいのイメージがあるんですが、特にサダウについては(はっきりと)浮かんだのです」
——脚本段階で頭の中で映画が完成してしまうんですね。
「そうそう、僕はそのタイプです」





——ラッタナルアーン監督の映画にはなんとも不思議なユーモアがあって、どういうところからそういう発想がくるのだろうかと思います。前作の『6ixtynin9』にしても本作にしても、サスペンス的であったりロマンチックであったりしても、思わずくすっと笑ってしまうところがあって、それがなんとも特徴的で面白い。意識して笑わせようとしてらっしゃるんですか?
「僕は意図していないんです。が、僕の世界観というか……『6ixtynin9』みたいにひどいエピソードが重なっていくと、どこか人間というのはおかしくなっちゃうということあるじゃないですか。僕に脚本を依頼してくる人には、コメディ映画を作ってくれと依頼してくる人が多いんです。でも、僕は書けないからと断っているんです。ただ、僕が書けるのは、悲しい中に可笑しさのあるものなんですよ」
——では、ご自分がお好きな映画あるいは映画監督を教えていただけますか?
「僕が本当に好きなのはウディ・アレンです。」
——この映画のプロデューサーはノンスィー・ニミブット(『ジャンダラ』近日公開予定)さんですが、ニミブット監督の『ナン・ナーク』の大ヒット以来、タイの映画シーンは変わってきていると聞きます。そのメインストリームの中のおひとりがラッタナルアーン監督だと思いますが、実際にタイの映画界でお仕事をされていてそのように言われるようなものは感じられますか?
「卵が先か鶏が先かわかりませんが、タイ映画も外国の映画祭で紹介される機会ができて、そうなるとタイ映画をまた作ろうという動きが出てきまして、それで私たち若手監督にもチャンスが与えられるようになりました。私たちが作ると、それがまた外国の映画祭で紹介されてタイ映画がよく知られるようになってきました。そういう動きがここ数年ありますね」
——タイ国内の観客の反応は変わってきていますか?
「タイの人も観客として、5、6年前に比べると、この2、3年は映画を見るようになってきて、観客動員数が増えました。これはタイの映画の質がよくなってきたことに原因があると思います。くだらない映画も多のいですが。外国では紹介されていませんが、マンネリとかくだらないものもあります」
——監督はこれからどういった映画を撮っていかれるご予定なのですか?
「次回作は、日本とタイとフランスの合作で、日本から浅野忠信という役者に出てもらいます。彼は妙な映画が好きですね(笑)」



<<後日談>>
 監督が帰国された数週間後、タイ大使館でタイ映画の振興を目的にした業界向けイベント「タイ・フィルム・ナイト」が催され、本作のヒロイン女優シリヤゴーン・プッカウェートが来日した。ラッタナルアーン監督がぜひ一緒に仕事をと切望したシリヤゴーンは、実にナチュラルな魅力を持った女性。「ラッタナルアーン監督は、タイでももっとも優秀な監督のひとりです。一緒にお仕事できたこと、そしてこのような作品ができたことをとても嬉しく思っています。とても面白い人で、とても楽しくお仕事ができました」と。また「この映画を撮っていたときは、人生の中でもとても静かでとても快適な、都会でのストレスを忘れさせる期間でした」とも語っていた。たしかに、この映画の風景は癒し系といえるだろう。

執筆者

みくに杏子

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