東京国際映画祭の一部門として、今年より開設された「ニッポン・シネマ・フォーラム」。この中で10月29日に行われた「NCFトークショー」は、映画への熱い思いに満ちた映画祭プロデューサーである小松沢陽一氏をホストに、世界を相手に挑戦しつづけるゲストを招き、熱烈トークが繰り広げられた。その中から、『猿の惑星』『パールハーバー』などの大作でも、強烈な存在感を見せる俳優ケリー・ヒロユキ・タガワ氏を迎えてのトーク・ショーの一部を紹介しよう。







 ケリー・ヒロユキ・タガワ氏は、1950年東京で日本人の母親と日系2世の父親との間に生まれた“日本人”(現在の国籍はアメリカ)で、奇しくもホストの小松沢Pと同い年だとのこと。トークでは、父親の転勤で5歳から移り住んだアメリカでの少年期・青春期の話しから、35歳というどちらかといえば遅いハリウッド・デビュー後、17年間の間に100本以上の作品に出演していったケリー氏の生き様が、ご自身の日本語によって語られた。純粋な日本人の母と、思考は東洋系アメリカ人だった父との間で、アイデンティティに悩まされながら育ったというケリー氏だが、アメリカ人が持つ日本人のステレオ・タイプなイメージを覆すべく、尊敬される日本人を目指した青春期には、例えば白人が多勢を占める高校において学園祭の演劇『アーサー王』で主役のアーサー王を獲得したほどだそうだが、それでも尊敬される日本人の限界を感じ、またベトナムで虐殺を行ったアメリカ社会への不信感から、早稲田大学留学を機にアメリカを捨てるつもりで故郷へ戻るが、その時の日本は、彼が夢みていたサムライ(プライドを持った人たち)の国から、ビジネスマンの国へと変貌をとげていて、ここでも失望を味わうことになる。「日本語=気持ちのこもった言葉、英語=交渉する言葉」と考えていたケリー氏は、傷心のうちにアメリカに戻るが、その傷心ゆえにアメリカと日本の文化を真摯に深く学ぶようになり、東洋の武術や思想への興味を深めていったそうだ。
 そして85年、エキストラとして俳優デビュー。「小さな頃から映が好きだったから、人生は映画だと思っていた」と語るケリー氏、東洋人役者の扱いとしてありがちなパターンだが、B級映画の悪役が大部分を占めたが、それを凄まじい悪役として演じてみせた。「プライドでね(笑)」。そして次第に大きな映画からのオファーも増えてきたが、ただ出演するわけではなく、演じ甲斐のある役割を演じるために、オーディションの時にもスタッフと役柄について話し合い、また誤った日本の知識等に関しては他のスタッフが言い出せない中でも監督に進言していく。様々な作品の現場、スタッフとの経験が、次々と語られ実に興味がつきない。それこそ、いくらスペースがあっても紹介し尽くせないくらい、その生き方は魅力的だ。
 当初の予定時間をオーバーしつつ、客席からの質問にも丁寧に答えていたケリー氏。最後に、ハリウッドで活躍したいと思う日本人へのアドバイスを紹介しよう。「一つは、自分が日本人であるアイデンティティを持ちつづけること。映画は全て虚構の世界を演じるもので、メソッドアクティングというものも、決して真実ではありません。だからこそ、自分のアイデンティティが大事なのです。そして、人間の精神面での勉強を続けること。最後に、SFX大作しか見るべきものがなくなりつつあるハリウッドは、これから下降して行く場所です。だから、徒にハリウッドに憧れるよりも自分達の場所で、夢への情熱を失わずに行くべきです」。

執筆者

宮田晴夫

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