製作・脚本=リュック・ベッソン&主演=ジャン・レノという『レオン』コンビが7年ぶりに待望のタッグを再結成。しかも現代の日本をメイン舞台とし、日本の若手女優で人気・実力ともにトップ・クラスの広末涼子が、なんとジャン・レノの娘役で堂々たるワールド・デビューを飾る話題作『WASABI』が、いよいよ2月2日より日本でもロードショー公開となる。昨年4月にクランク・イン後、4月の下旬から6月の頭まで東京都内では秋葉原・初台・晴海埠頭など、そして京都では清水寺で大々的なロケーションを敢行。10月31日より先行公開されたフランスでは、NO.1ヒットを記録した。
 公開に先立つ1月16日、主演のジャン・レノさんがキャンペーンのために来日を果たし、久々の対面となった我が娘役の広末涼子さんと共に、パークハイアット東京にて記者会見が開催された。「東京へ映画を持って戻って来れて、嬉しいです。勿論、広末さんとの再開も嬉しい。彼女はこの映画のために苦労した仲間です。東京は変わってません。私も変わっていません。」(ジャンさん)、「既に一度記者会見もして友達からいつだいつだと言われていたので、やっと2月の公開ですごく嬉しいです。」(広末さん)とそれぞれ挨拶した後、今回の作品やそれを巡る思いなどに関して真摯に方ってくれた。

$darkred ☆『WASABI』は、2002年2月2日より日劇プラザほか全国東宝洋画系劇場にてロードショー公開!$











Q.ジャン・レノさんに、日本ロケで一番印象に残っているのはどこでしょうか。また、広末涼子さんは今回非常にハイテンションな役柄を演じておりましたが、そういった状態を保つ為に何か努力をしたのでしょうか?
ジャン・レノさん——日本の印象を一つ・二つ挙げることは難しいです。日本のいたるところでの印象が、自分の中に深く刻まれています。日本は本当に生き生きとした国で、行く先々でそれぞれの色や顔がありました。今回は東京と京都で撮影を行いましたが、それぞれに感動的な出来事がありました。しいて言えば広末さんと撮影をしていて、道行く人たちが映画の撮影が行われていることに気づいたときの表情には、驚きとともに暖かい眼差しや表情があって、印象に残っています。そうした眼差しがベースにあって、リュックと日本で映画を撮りたいということになったのです。
広末涼子さん——ご覧のとおり、衣装にしろヘアーにしろ日本での私のイメージとは随分違うものだったので、そこでテンションを引っ張ってもらった部分と、現場でも皆がすごく楽しく話をしてくれたり、変にプレッシャーが無く背中を押してくれた感じがあったので、自分ではあまりハイテンションを保とうという意識は無く、楽しませてもらった感じですね。年の設定が若かったこともありますが、いつもより子供の気持ちで遊ばせてもらいました。

Q.ジャンさんに、映画では広末さんと親子という設定ですが、演じられて似ているとか感じた部分はありますか。また、この映画のタイトルになっている“WASABI”とは、どのようなものだったのでしょうか。
ジャンさん——今回私が演じたユベールというキャラクターと自分に通じるものがあるとしたら、子供に対する責任感ということだと思います。ユベールは映画の中で、愛する者を失った孤独で何に対しても責任を持たずに生きていた男ですが、自分に娘がいることを知り、出会ってから娘に対する責任を感じて生きるようになっていきました。ですから、冒頭と結末では全く別の男になっているのです。それは、自分ではないが自分と通ずるものを持った血縁関係を持った者との魂への責任なんです。私も子供がおりますから、ユベールの責任感はよく理解できるし、両親から伝えられてきた文化や道徳をまた伝えていく子供がいるということに対する責任感です。そうした点が似てると思いました。また、コメディでありドラマであるこの作品で、全く違うカルチャーを持っている二人が、一つの血縁関係を演じるということは面白かったし、同じエモーションを共有できたということが素晴らしかったと思います。今回広末さんは、おそらく初めて自分の母国語ではない言葉を用い、あれだけ演じられたということは素晴らしいことだと思います。
私がワサビを食べるシーンは、今回の作品の中でも非常にコミカルで、また作品を象徴するものだと思いますが、強いユベールと強烈な味のワサビがだぶったのではないかと思います。今回の作品はすごく知的な映画というよりは、軽く楽しんでいただけるコメディでそこにスパイスとして登場したのがワサビだと思いますが、東京や日本を象徴するワサビを通して知るユベールだとか、同じくワサビのような強さを持った娘とか、そうしたことも意味が重なると思います。








Q.広末さんに、ホテルでのファッション・ショーのウォーキングの場面は、何かで研究などされたのでしょうか。また、ジャンさんは、ゲーム・センターでダンシング・バトルをする場面がありますが抵抗はなかったですか?もう少し長く観たかったのに、さわりで終わってしまったのですが…
広末さん——キャット・ウォークは普段しないものなので(笑)。兎に角楽しんで自信を持って遊んで欲しいと言われ、カメラも一緒に動いたり好きな音楽をかけさせてもらったり。特に研究はしなかったのですが、ミシェルやジャンとリハーサルを何度もさせてもらいながら楽しませてもらいました。
ジャンさん——あのシーンは私も見ていて驚きました。確かモデルの経歴はなかったのに…と思うほど素晴らしかった。ゲームの場面ですが、ユベールは元々非常に固い警察官なのでダンスをするなど考えられないわけだけど、娘の手前やむなくやったということなので、あれくらいで丁度よかったのではないでしょうか。世代のギャップがよく出ていたと思います。それにあのダンスはとても難しくて、私自身とてもできるものではないと思いましたし、あれだけ足を動かせるのは16歳くらいじゃないかな。

Q.広末さんに、製作発表の時に涙を流されていましたが、公開が決まった今、あのときの気持ちをお話しいただけますか。
広末さん——あの時はスタッフと一緒にいられそれがすごく幸せで、嬉しかったんですよね。こういう発表の場で気を張り詰めている中で、初めて近くで守ってくれる人がいる中での会見で、あらためて喜びを感じてしまって。皆がついていてくれるって気持ちが嬉しくって。失礼しました。
ジャンさん——あの時の涙は、私にはとても理解できます。あれは撮影の最中であり、この作品んがどのような作品になるのかということが誰にもわからない時期であったし、広末さんが我々と映画を撮るにあたっては演じるわけですから、算数や物理のように解けば答えが出るというものではなく、その間の気持ちの動きが作品の価値として現れるのです。広末さんはまだお若いですし、そういう途中の状況で緊張感もあったでしょうが、それは辛いとかいう涙ではなくて、大きな機会を与えられたことの緊張感と喜び、そしてどのように撮影が行われるのかという気持ちが混ざり合った涙、喜びに包まれた涙だったと思います。そしてそうしたものが、ゴルフ場の場面での「パパ」と呼びかけるところの心に残る響きに変わっていったんだと思います。記者会見で役者さんが涙を流すことはそぐわないことかも知れませんが、あの時の涙は最高のプレゼントだったという風に思いました。







Q.広末さんに、撮影中ジャン・レノさんにアドバイスを色々いただいたと思いますが、特に心に残っていることはなんでしょう。
広末さん——役者というものは嘘がつけないからと言ったジャンの言葉がすごく好きです。わからないことがあったらなんでも聞き、辛いことは相談し、自分の内にと持っていかないで、開放されもっともっと自由になった方がいいと言ってくれたのが、心強かったし自分の気持ちにビンゴで嬉しかったです。
ジャンさん——アリガト

Q.広末さんに、この作品を通じて世界にはばたかれたことと思いますが、その中で楽しかったこと、辛かったこと、これからさらに世界を目指していく気持ちなどをお聞かせください。また、ジャンさんは、既に世界中で羽ばたかれている俳優として、広末さんにアドバイスなどあればお願いします。
広末さん——そうですね…本当にそこまでは欲張っていないんですが、兎に角一つ一つの出会いを大切にして、景色や言葉が変わればテンションや受け取る気持ちも変わりますし、視野も広がりますので、チャンスがあれば是非違う国でもと思っています。

ジャンさん——国際的なキャリアをつんでいくということは、演じる者たち自身にコントロールできることではありません。だからそのことは勿論大変なことなのですが、あまり意識することないようにとアドバイスしたいと思います。自分達は演技者であるわけですから、沢山の人々の中の出でていって演じている自分達を見るわけですが、我々はプロデューサーや監督ではないわけです。彼らがどの役者に、どういうものを望むかということが作品に繋がるのであって、私達が作品を動かすことはできないのです。キャリアを積むと言う事をあまり意識せずに、一つ一つの仕事に対して誠実に接していくことが必要だと思いますし、今後もいろいろな国からオファーが来ると思いますが、その仕事の内容に自分が何を感じるか、自分の感性を一番大事にしてその結果が蓄積されていった中で、広末さんがどのような位置にいくかを、自分も楽しみにしていたいと思います。

執筆者

宮田晴夫

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