砂嵐が吹く厳しい自然の中で生きる母と娘…。娘への頑ななまでの母の愛情を描いた『囁く砂』は、インドネシアの女性たちによって製作されたドラマである。
 そこで監督・原作・脚本/ナン・アハナスさん、主演/クリスティン・ハキムさん、プロデューサー/シャンティ・ハルマティ&デシレ・ハラハップさん(以上、すべて女性)と、カメラマン/ヤディ・スガンディさん(黒一点の男性)にお話をきいてみた。




——母の強い愛について。ナン監督は、学生時代に見たある母娘の姿に強い感銘を受け、そこからこの映画が生まれたとか(バスの中で見かけた母娘。娘は顔が焼けただれ頭髪も耳もなかった。娘の顔の前に、母親は誰の手も借りず、バスに乗っている45分間ハンカチをかかげ続けた。その無条件の愛・力・忍耐にナン監督は強く感じ入った)。その後、テーマはどんな風に膨らんできましたか?
ナン「学生時代に見た母と娘…お母さんが全部の感情をこめて子供を見るその姿。悲しさも喜びも入りまじった姿を見て、私は心を動かされました。それをどういう形で物語にするか、その時は考えていませんでした。が、今回、もとのイメージを膨らませ、膨らませ、このような作品に仕上がりました」
——膨らませた中に、監督ご自身の体験も反映されているのでしょうか。
「私を取り囲んでいた女性の物語が入っています。周りには非常に精神的にたくましい女 性が多くおりまして。特に母は鉄の意志を持った女性だったんです。その女性たちが子供にそそぐ愛情をずっと見てきました。そこからインスピレーションがわいたわけです。
 母親が子供に捧げる愛や感情、女性問題に私はずっと興味を持っておりました。そんなさまざまな問題が寄り集まって蓄積し、この作品になったわけです。
 最初、私のアイディアをプロデューサーのシャンティさんに話しました。その時シャンティさんの周りにいた女性たちも精神的に強い人で、家族問題などに真っ向から向かう人でした。その他、この映画に参加した人はクリスティンも他の人もみんな、母の愛を経験してきた人です。みんなの体験を総合したものがこの形になったわけですね」



——インドネシアの女性はみなさん、強くていらっしゃるんですか?
ナン「非常に精神的に強いですね。それは歴史的なものとの関わりがあると思います。でも女性たちの強さや愛情のあり方が、すべていいとは言えません。否定的なものも肯定的なものも、両方描いていかなければならないと思いました」
——その女性の強さを築いたものはなんなんでしょう?
ナン「ジャワなどの封建的な社会に生きた人たちは少し違うんですが。私の民族は…スマトラなんですけれど…母系制の社会を築いてきたんです。意志の決定や遺産の相続をするのは女性なので、女性はとても地位が高い。今回のスタッフはたまたま、デシレさんもスマトラの出身だし、クリスティンさんも本当に自立しているし、シャンティさんも東インドネシアの方…。ちなみにアティエド地方では、今までに33人も為政者になった女性がいるんです」
デシレ「西イリアンの民族も、女性が田畑を耕さねば男性は食事ができない。女性が経済的にも、労働力としてしっかり社会を支えて いるんですよ」
ヤディ「僕にとっても母はとても重要で強い存在です。時には男性もその強い母親に反抗することもありますが。でもそれは自分の意志を反対されるから反抗するだけで…」
デシレ「イリアンでは男性が部族同志で戦争をするわけだけれど、その大きな理由は女性なんです。女性の取り合いですね。だから女性は重要。そしてインドネシアの場合は、大統領も女性です(笑)」





——とにかく女性は強いんですね。ところで『囁く砂』の中で、みなさん、特にお好きなのはどのシーンですか?
ナン「とても難しい質問です。今までいろんな映画を撮ってきましたが、失敗ばかり見えて“次にはその間違いをしたくないなあ”と思うものばかりなので」
デシレ「私は、プロデューサーとして全体を見ている立場として“ここが印象深い”とは言えないんです。しかし、みなさんがお互いに協力しあって素晴らしい演技をした姿は忘れがたいですね。それに感動しつつ、私はプロデューサーとしてのお金の算段をしなければなりませんでした(笑)」
シャンティ「私はふたつ好きなシーンがあります。お父さんが舞うシーン。とても素晴らしい俳優が演じているんですが、あのシーンになるといつも感動します。
 それから最後のシーン。娘が“ひとつ、ふたつ、みっつ”と数えていくシーン。この映画のすべてを物語っていると思います」
クリスティン「(娘が数を数えるシーンが象徴的に出てきますが)あれは、“みっつ数えたら必ずお母さんはこっちを向くだろう”というような、母と娘の強い絆を表しているんですね。心と心がしっかり結ばれている。
 私自身は好きなシーンが三つあります。まず、私にとっては難しい演技をしなければならなかった夫殺しのシーン。無表情な感情を殺した演技をしなければならない。母として人間として妻として、娘の父親を殺すわけですから、とても大きな感情のうねりがあるわけですけれど。無表情の中に、心の中の愛も嫉妬も怒りも嫌悪も表現しなければならない…むずかしかったですね。
 二つ目はエンディングでの娘との別れ。これもいろんな感情が錯綜する場面です。それ まで濃密に母娘の絆を持ってきたわけですけれど、でも別れなければならない。その別れが、お互いに心が通いあった瞬間だった。
 三つ目は、家を焼いて、これから娘が旅立って行く場面。今まで生きてきた複雑な過去をいったん解消し、新しい人生に立ち向かわなければならない。母親の凝縮した過去を消し、新しい生に向かっていく瞬間だったと思います」
ヤディ「私にとっては最初から終わりまでとても印象深いシーンです。あの撮影をするのはとても大変だったので。たとえば家の中でワンシーン撮って、次のシーンになると壁を破って砂をほじくってカメラを低い位置に据えて撮って…。寒いし風はすごいし、埃も立つし。そういう中でひとつひとつシーンを撮っていった思い出は忘れがたいです」
クリスティン「そうですね。私も大変だったわ(笑)。ロケ現場は大変厳しい砂漠地帯なんです。そして撮影をする時間は夜明けや夕暮れ。砂漠ですから朝方の気温は0度くらいになります。ところが私が監督から与えられた衣装というのは大変薄いもので、とても寒い思いをしなければなりませんでした。そして太陽が昇ると今度はどんどん気温があがり、たいへん暑くなります。それと同時に風が吹き、砂埃があがり、呼吸がとても困難になるんです。でも私は自分のスタミナをできるだけ温存して“若い人がこのような厳しい状況で映画作りをするという情熱、その映画作りに参加するということ”にとても喜びを感じました。一番うれしいのは、若い人たちが、困難な状況にあっても映画作りをする情熱があるということですよね」
——ありがとうございました。

     取材・構成/かきあげこ(書上久美)

*最後に、みなさんに日本映画では何がお好きか聞いてみた。ナンさんとシャンティさんは『羅生門』。
クリスティンさんは『羅生門』と『死の棘』。ヤディさんは『寅次郎』。デシレさんは「黒沢作品、小栗作品と『寅次郎』『黄色いハンカチ』とのことであった。

執筆者

かきあげこ(書上久美)

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