第12回CO2助成監督インタビュー(3)藤村明世/〝泣き屋”を選んだ女性が見る人生最後の餞の場
2004年度より、映像制作者の人材発掘と大阪を映像文化の創造・発信拠点とする事を目指して助成作品のバックアップを行って来たシネアスト・オーガニゼーション大阪(CO2)。
これまでにCO2を通過した個性的な面々とその後の作品を挙げると、『コープスパーティー』監督/山田雅史、『ソウル・フラワー・トレイン』監督/西尾孔志、『スキマスキ』監督/吉田浩太、バンクーバーの朝日』監督・石井裕也、『ウルトラミラクルラブストーリー』監督/横浜聡子、『Playback』監督/三宅 唱、『大阪外道』監督/石原貴洋、『Fly Me to Minami〜恋するミナミ』監督/リム・カーワイ(監督)他、数々の映画制作者が活躍中だ。
実験的・個性的、時には無謀と思われるような企画が通ってしまうところがCO2の特徴であり面白さでもある。企画を支える俳優の演技力も重要視され、昨年度より助成企画3枠のうち2枠を【新人公募枠】、1枠を【俳優特待生起用枠】とし、CO2ワークショップで演技を学んだ俳優特待生5名の中から1名を主演にするという、演技力向上を目的とした新たな試みも行っている。
この度、選定された15企画の中から一次選考、最終選考、選考委員会を経て3本の第12回CO2助成企画と監督が決定した。3月の大阪アジアン映画祭での上映を経てその後作品をどう観客に届けていくのか、彼らの長い戦いは続く。挑戦者となった3名の監督たちにインタビューを行った。
■CO2助成作品・新人公募枠
『見栄を張る(仮)』藤村明世
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<ストーリー>
吉岡絵梨子(29)は疎遠だった姉の訃報を聞き、大阪へと戻ってくる。両親も他界し女手一つで息子・和馬(10)を育てていた姉は、葬儀で参列者の涙を誘う“泣き屋”の仕事をしていた。身寄りのない和馬を引き取り、“泣き屋”の仕事で生計を立てようとする絵梨子だが、「死ぬときまで見栄を張る」この仕事の大義が理解できずにいた。
(※現段階でのストーリのため、変更になる場合があります)
●映画の画面の奥に見えたもの
——企画を一言で表すと?
藤村:「人の為に泣くという行為もある」
泣くって、自然に自己から出てくるものですけど、人の為にすることもあるんだなって。
——「泣き屋」という特殊な職業を取り上げようと思ったのは何故ですか?
藤村:高校生くらいの時にこういう職業があるということをニュースで知りました。人ってお葬式の時まで見栄を張りたいんだなっていうのと、それを職業にしてる人がいるというのに驚いて。ずっと頭に残ってたんですけど、いつか映画化したいと思ってました。
——映画に向かおうと思ったきっかけは何ですか?
藤村:父親が大学生の時に映画を勉強していたんです。家にビデオがいっぱいあって。3歳くらいの時に『ホーム・アローン』(監督:クリス・コロンバス)を観て、字幕は読めなかったんですけど画だけで楽しかったんですね。何度も何度も繰り返し観て、私もこの画の中に関わりたいって自然に思っていました。
中学1年の時には、『問題のない私たち』(監督:森岡利行)って映画のエキストラに行って、現場が楽しくて。
沢尻エリカさんたちと同じ楽屋で、“みんなめっちゃ可愛い!”みたいな(笑)。“キラキラしてる、この世界は!”って思って。現実はぜんぜん違うんですけどね(笑)。そういうこともあって、小・中学生の頃から映画を仕事にしたいとずっと思ってきました。
——その気持ちが役者ではなく監督に向かったのは何故ですか?
藤村:最初は「映画作る」イコール「役者さん」、見えてるものしか分からなかったので、あそこに居たいと思っていました。それまでハリーポッターとかハリウッド映画しか観てなかったんですけど、中学2年の時、岩井俊二さんの『リリイ・シュシュのすべて』や中島哲也さんの『下妻物語』を観て“こんな映画を作ってる人がいるんだ!”って思って。作家として監督を意識した最初でしたね。
——岩井俊二・中島哲也作品はどういった部分に惹かれましたか?
藤村:今まで見てきた映画は、例えば14歳くらいの子が主役の映画だったら、14歳の好奇心いっぱいでキラキラとした世界から見た映画といったものばかりだったんです。
『リリィ・シュシュのすべて』は全く真逆で、中学生の主人公の視点から見る陰鬱として閉塞感たっぷりの映画で、今まで見てきた映画とは違うなと思ったし、実際自分もその時14歳くらいだったので主人公に共感できる部分も多くて、どの映画よりもリアルだなと思いました。
リリィ・シュシュのことばかりになってしまうのですが、映画の中盤にハンディカメラの映像を長く使っていたり、主人公の心情とは対照的で綺麗な田園風景など、衝撃的な映像ばかりで見たあと1ヶ月くらいはずーっと、授業中も部活中もリリィ・シュシュのことばかりを考えていました。誰かと共感し合いたいと思ったのですが、友達は誰もリリィ・シュシュを見ていなくて〝この気持ちをどこにぶつければいいんだ!!!”と思っていました。
●受け身から脱却して映画制作へ
——そんな出会いがあって、実際に自分で映画を作り出したのはいつですか?
藤村:大学に入ったんですけど、美大じゃないので映像の理論ばかりを勉強する学科でした。シネマ研究会っていう映画を作るサークルにも入ったんですけど、作りたい人が人を集める感じで、作りたいって自分から行けなくて。大学3年の終わりに、このままだと映画を作らずに終わってしまうんだなって思い、ニューシネマ・ワークショップに入ったのがきっかけです。
小学4年のいとことその後助監督をやってくれるようになった友達に出演してもらって、屋上で話してるだけの映画を撮りました。
毎日が楽しくない主人公が、女の子に会ったことで日々が楽しくなってくる、という2人の交流がテーマです。カット割りも決めずに、脚本もあったのかどうか。いま観ると苦しくなるくらい酷くて(笑)それから自分の映画は3本くらい撮りました。
——撮っていく間に作り手として意識が変わってきたことはありましたか。
藤村:無意識なんですけど、2作目の『彼は月へ行った』が友達の死を題材にしていたり、今回もお葬式の仕事をしている人がテーマってことで、“人の死に対して興味があるんだね”ってみんなに言われました。そんなつもりではないんですけど、もしかしたらそうなのかなって。
——卒業後に東宝系の商業映画の制作部や助監督として活動した時は何作品くらいに関わりましたか?
藤村:フリーランスのスタッフをしていたのは、1年程ですのであまり作品に関わってないのですが、東宝系の商業映画は2本と、あとは東宝とは関係ない小規模な映画やCMに少しだけ関わりました。
——印象に残っている作品のタイトルはありますか?
藤村:『図書館戦争 THE LAST MISSION』です。準備期間と撮影期間合わせて約半年の現場で、撮影は毎日緊張してましたが楽しかったです。何が大変だったかとか、何に緊張していたのかは今となってはよくわからないんですけど、現場の先輩方は自分の仕事に誇りを持っていて、映画を絶対に完成させるぞって気持ちで働いていてかっこよかったですね。
——商業映画の世界で学んだこと、身についたことはありますか?
藤村:商業映画の世界に入るまでは、映画のことは何も知らなかったので、毎日が勉強になる日々でした。身に付いたことは…カチンコを全く打ったことがなかったので、少しだけ上手くなったとは思います(笑)
●人は無意識に死んだ後の体裁を気にしている
——CO2を知ったきっかけは?
藤村:ニューシネマ・ワークショップに、一昨年、第10回助成作品『僕はもうすぐ十一歳になる。』の監督・神保慶政さんがいました。神保さんの作品がすごい面白くて、CO2で助成作品を撮ったと知ったのがきっかけだったと思います。
あと、去年ぴあフィルムフェスティバルで短編の『彼は月へ行った』を上映してもらったんですけど、一緒に上映されたのが鈴木洋平さんの第9回CO2助成作品の『丸』でした。その時に『丸』のプロデューサー・今村左悶さんにCO2の話を聞いて、応募しようと思いました。
——CO2はどんなイメージでしたか?
藤村:去年の助成作品『デュアル・シティ』(監督:長谷川億名)とか、石井裕也さんの『ガール・スパークス』とかぶっ飛んでるものが多いなと思っていました。私は現実的な企画だったんで、通らないかなと思ってたんですけど。
——どんなところが評価されたと思いましたか?
藤村:皆さん「泣き屋」って職業に興味を持ってくださったので、そこかなとは思います。
——〝死ぬときまで見栄を張る”という行為について何を感じますか?
藤村:たまに、〝今自分が死んだらあの子は自分のお葬式に来るのかな”とか、〝あの子は最近会ってないから来ないだろうな”とか、〝今遺品整理されたら嫌だな”とか、〝この写真は絶対遺影にして欲しくない”とかって考えることがあって、やっぱり人は自分の死を、もっと具体的に言うと死んだときの体裁なんかを無意識のうちに意識してると思うんです。なので、〝死ぬときまで見栄を張る”行為は理解できるし、そういう心理から来るものなのかなぁと思います。
——CO2で制作するにあたって挑戦したいことはありますか?
藤村:全然知らない土地で孤独になりそうですけど、新しく出会った人と作品を作ることで、新鮮な作品を目指したいです。
執筆者
デューイ松田