監督・高橋伴明、主演・奥田瑛二。人間の深淵を、まさぐるように表現する2人が組むことで描かれる〃生〃と〃性〃の饗宴。「丘を越えて」「禅 ZEN」「道〜白磁の人〜」などの人間ドラマで充実期を迎えた高橋伴明監督が、日本映画初のヘアヌードで話題となった「愛の新世界」(主演:鈴木砂羽)から20年ぶりのエロスに挑んだ、この秋話題の1本!

「みっともなさの中にこそ人間の人間たるゆえんがある」と嘘ぶく主人公・映画監督・時田には奥田瑛二。時田の愛人・唯には名監督のもと実績を積み重ねてきた不二子、時田の人生を狂わせる女子高生・律子にはオーディションで選ばれた期待の新人・村上由規乃、同じく学生からオーディションで選ばれた土居志央梨、花岡翔太、さらに、柄本佑、高橋惠子らが集結。

主演の奥田瑛二さんのインタビューが到着しました。

$red Q:伴明監督とのお付き合いはいつ頃から? $

奥田 僕ら映画人が集う酒場が新宿、六本木にはいくつかあってね、そんな店の一軒で30年くらい前にたまたま出会うことがあった。その時も互いに顔と名前だけは知ってた。そしてそこからずいぶん経って、2001年に小樽で僕が主演する刑事ドラマで、伴明が演出する撮影があった(「北の捜査線・小樽港署」/2002年1月TXN系列放送)。撮影が終わった後、僕は夜一人で街を歩いて呑み屋を見つけて、そこで呑むようになった。そうしたら通って3日後くらいに店に行ったら、いつも僕が座っている場所に高橋伴明が座ってたんだよね。お互いに怪訝な顔しながらも、そこで初めて2人きりで呑む機会に恵まれて、撮影が終わるまで毎日通ってた。それからですね、監督が「俺を伴明と呼べ」と。じゃあ僕も「奥田と呼べ」と。そこから同世代の鎧がはずれた「伴明・奥田」の付き合いが始まり、今に至るわけですよ。






Q:そして、今回の時田という役がオファーされることに。

奥田 うん。ある日、電話がかかって来て「会えないか?」と。その時に思ったのは、大学講義のゲストか、講師、映画の出演依頼のどれかだろうなあ、と。我々の世代は「会って話したい」と言われれば「これは重要な話だな」と思うわけ。だから相手の立場、自分の礼儀も含めて仁義を通して話そうと思うから、電話でなくて直接会って話すことが大事なんだよね。で、会って呑みながら話していると、今回の映画の話になった。だけど、まだ台本もない、予算も決まっていない。しかし映画の内容を聞いていくうちに、僕はこの映画の内容に全く同調したんですよ。「そうなんだよなあ」と。今の日本は映画の製作本数は多いし、外国映画と比べても興行成績も伸びてきている。しかしながら映画の質という点ではどうなんだと。演技が巧い、下手とかでなく、俳優の抵抗、監督の抵抗が表面に出て来ない、エロス=艶=社会的に訴えるものが足りないとずっと思っていた。そこで「お前でやりたいんだ」と言われたら、「いいよ。いい脚本を書いてくれよ」と言うしかないでしょう。それがこの映画の始まりですね。

Q:そこには奥田さんのある種覚悟もあるわけですね。

奥田 うん。伴明がこういうものを撮りたいと。それに対して100%言うことを聞こうと。そしてそれなら俺も一緒になってさらけ出す、裸にならなければいけないと決めたね。それと大人としてこの映画を成立させようということだよね。エロスというものに今まで関わってきた我々団塊の世代がアンチテーゼとして、ストレートに表現するために、今まで懐に隠してしまっていたものをもう一度包み隠さずに開けて出していく、そのきっかけになればいいなと。そういう意味での伴明との共同正犯、確信犯になろうと。そこが脚本の段階で伴明が当て書きとして「時田は奥田だ」と言いながらも、時田は伴明でもあるわけなんですよ。そしてある意味、映画産業に対する抵抗と、中年の男が揺れていることへの二重構造が、僕が時田という男を演じるうえでの背中で表現できたらいいなあ、と思っていましたね。

Q:では監督は撮影現場で時田をどのように表現されていったのでしょうか?

奥田 僕は現場では台本を開かないというルールを持っている。もちろん台詞を自分の身体の中に入れて行くんだけど、忘れることもあるわけ。でも台詞の意味は分かっているからそれと同じような台詞を言うわけ。そうすると「奥田、そこの台詞は台本通りに言ってくれ」と言われる。スクリーンの中でも僕が普段絶対にしない仕草を要求される。それが伴明の考えている時田なんだよね。僕は確信犯だから、監督が意図していることを分かっているので、それ以上のものを静かに見せようと思うわけ。だから僕は伴明の思うことを咀嚼して見せていこうと意識して時田を演じてましたね。

Q:映画では時田の背中には、奥田映二という俳優、そして高橋伴明、若松孝二の2人の映画監督もいたように感じました。

奥田 うん。それは正解だろうね。伴明も若松監督の腹心だし、僕のことも若松さんは日本で一番好きな俳優だって言ってくれてたし、3人は同じ同胞なんですよ。イデオロギーは違っても、映画に対する思いは3人とも一緒だしね。そこが伴明が書いた時田という男を通して現れているんだと思う。

Q:映画の中では時田はずっとあがき続けていますね。

奥田 この映画の大きなテーマのひとつなんですよ、それが。ある種、人間一人一人が抱えている純文学的な部分でもあるわけで。だから川端康成も三島由紀夫にも通じていくものでね。この映画はすごく高尚なところを描いているんですよ。僕自身も若い頃と比べてあがきについて考えると、分別のある人間でなくてはいけない、と世間では言うけれど、本来あるべき年齢相応の人生と、クリエイター・表現者としてあるべき行動力学の両方を考えてしまうんだよね。そこで表現者として縮こまってはいけないのではないか、というあがきが僕の中にはあるわけ。そうすると、本来あるべき自分でありたい、という思いが生まれてくる。でもそこにうまく折り合いをつけにくい年齢に差しかかってきてる気はしてるんだよね。だから、定期的に映画というお祭りの世界で爆発していかないとダメなんだなあ、と思うんですよ(笑)。そこで僕自身はあがきというものに折り合いをつけているんだろうなあ。

執筆者

Yasuhiro Togawa

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