“これは生身の医療が初めて人の目に触れたすごい映画です” 『チーム・バチスタの栄光』原作者・海堂尊インタビュー
第4回『このミステリーがすごい!』大賞受賞のベストセラー
『チーム・バチスタの栄光』(宝島社刊)が、待望の実写映画化!!
現役医師・海堂尊(かいどう たける)が描くコミカル、かつリアルなミステリーは、’06年2月4日に刊行。発売開始から5日目にして重版が決定、早々に映画会社、テレビ局各社による映像化権の争奪戦になった話題作だ。
田口と白鳥という主役二人の抜群なキャラクターが人気を呼び、二人が活躍する続編「ナイチンゲールの沈黙」三作目「ジェネラルルージュの凱旋」もハイペースで刊行されている。また、角川書店から白鳥の部下を主人公にした番外編も出版され、話題を呼んでいる。
注目のキャストには、外科は素人の心療内科医師・田口公子に、日本を代表する美しさが魅力の女優・竹内結子。厚生労働省の破天荒なキレモノ役人・白鳥圭輔には、常に独特の存在感で観客を魅了する俳優・阿部寛。
また監督は、「アヒルと鴨のコインロッカー」、『クイール』の脚本で才能を発揮した新鋭・中村義洋がメガホンをとる。
今回は本作の原作者、海堂尊氏にお話を伺った。
先生はハイペースで作品を発表し続けていますが、そもそも作家の仕事と医者の仕事というものは両立できるものなんでしょうか?
「もちろん患者に接するような外科の場合でしたら難しいかもしれないですね。僕は外科を7年くらいやっていたんですが、その間は本を読むことも出来なかったし、書くことも出来なかった。でも今は病理という仕事をしているんで、時間をコントロールできる。それで書けるようになったということですね」
小説を書こうと思ったきっかけは?
「外科医の時と、国家試験のときは忙しくて読めなかったんですが、それ以外のときは小説をよく読んでいたんです。それでそういうものを書いてみたいと割と素直に思っていたんですが、ずっと書けなくて」
時間がなかったということですか?
「それもありますけど、時間があった時でも書けなかったんですよ」
それは精神的な問題ですか?
「いえ、単純に技量がなかっただけですよ。44になって、いろんな経験を経たところで、ようやくたどり着いたのかなと思います」
それはご自身にとって、いい準備期間だったと思いますか?
「いえ、要するに『チーム・バチスタの栄光』も書けるようになったときに書けてしまったというだけなんです。昔から、いつかは小説を書いてみたいと思っていました。でも正直な話、一生のうちに一冊でも書ければいいかなと思っていただけですからね。そういうのは割と誰でも持っている夢なんじゃないでしょうか。だから一冊出せるんだったら、死ぬ間際でもいいかなと」
デビューされてからは順調に作品を発表されていますが、書けるようになったきっかけのようなものはあるんでしょうか?
「それは単純な話で、フルマラソンを完走した人と、途中までしか走ったことのない人の差のようなものなんですよ。実は『バチスタ』の前に、Ai(剖検時画像診断:死因を究明するために、解剖と、MRI等の画像診断<CTスキャンなど>を併用することを提唱した診断法)を広めたくて、医学書を2冊仕上げたんです。
本を作るということは、物語を書き上げた時点で終わりというわけではないですから。原稿を書いて、それがゲラとなり、校正をする。そうやって本が作られる仕組みがわかってきました。ゴールにたどり着いたことがないと、だいたい今は自分がどのあたりにいるのかが分からないですからね」
白鳥に田口、それぞれのキャラクターが面白いですよね。これらのキャラクターを生み出すときには、どのようなインスピレーションが沸いたのでしょうか?
「他の人はどうかは分かりませんが、僕の場合は最後の場面、いわゆるオチが分からないと始められないんですよ。『バチスタ』の場合はダブルのゴールがあったわけです。
まずは最初のゴールに向かって話を進めていきました。最初は、田口と院長の設定だけだったんですよ。院長が田口に事件を押し付けるというだけで。だからあの年代になったのは偶然ですし、ある程度喋らせてみると性格がハッキリしてくるんで、またスタートに戻して書き直すといった感じでした。それで1部の終わりまではスラスラ書けたんですが、最後に自分には解決不能だと田口が告白するところで、もうそれ以上はどうしようもなくなってしまって。未完だったんですよ。
ところがその後、休みをとって遊びに行ってるときに、白鳥という田口と正反対のキャラクターを外部から投入するアイディアを思いついたんです。それがあえて言えばキャラクター作りということですかね。田口のキャラクターはある程度ガッチリ決まっていたんで、その正反対のキャラクターということで。そのふたりが合わさると問題解決に当たれるなと。そういう作り方でした」
先にオチは決まっていて、あとはキャラクターが勝手に動いていったという感じですか?
「そういうことです。終着点は決まっているんだけど、どこを通るのかは全く分からない。制御不能でしたからね。小説を書けるようになったひとつの理由としては、制御不能になっても、何とか軌道修正が出来るようになったということなんです」
その制御不能のあたりをもう少しお聞きしたんですが。
「制御不能というのは、つまり物語が続かないということなんです。だからそういう時は投げ出すわけです」
しかし、それまで書いてきたものに対する執着はないんですか? ここまでせっかく書いてきたのに、というような。
「それはないですね。終わらない話は物語ではないので、それは仕方ないですね。だから最終地点が決まらないと書き始められないんですよ」
最終地点はしっかりと決めると。
「そうですね。最終地点があるのに、途中で物語が止まるということは、おそらくその直前の何かに原因があるんですよ。もしくは初期設定に問題があるかですね。理由はこの2つだけなんですよ。だから何かにつまづいたときは、とりあえず放っておいて、頭が冷静になったときに考え直しますね」
現時点で放り投げている物語はありますか?
「最初に物語を書いたのが10年前なんです。瀬名秀明さんの『パラサイト・イヴ』がすごく面白くて。大学院のときにあの主人公と同じようなところで研究していたんですよ。だからこういうのも書けるんじゃないかと思って書き始めたら、5枚で物語が止まってしまったんですよ。それが未完の話なんですけど、『バチスタ』を書き始めたときに、この設定で今、書けるかなと思って書き始めたのが『螺鈿迷宮』なんですよ。それの他はないですね。
今は芽があって、ゴールが見えている話はいくつかあるんですが、それは時間がなくて書けていません」
いろいろとお話を聞いていると、冷静に物語を作られているような気がするんですが、医者であることが小説家であることに役立つということはあるんでしょうか?
「医者の仕事は書く仕事が多いんですよ。カルテを書く、紹介状を書く。チームで診療するときには、チームのみんなに分かるように状態を書いて報告する。これ全部、文学なんですよ。正確に伝えなければいけない。そこには学術という様式がある。だけど、学術だけでは伝えきれない部分があって、そこを磨き上げていくと名医になるわけです。
患者さんは医学のことを知らないわけですから、患者さんにきちんと伝えなければいけない。これはやはりコミュニケーションツールがしっかりとしていなくてはいけないですし、それは文学にも通じてくると思うんです。だから医者が文学を書くことはそんなに驚くべきことではないと思います」
ということは、名医は名作家になれる確率は高いということなんでしょうか?
「そういうわけでもないんですけどね(笑)。医者と作家が両立するということは驚くべきことではないんですが、自分が書けると思っている人は少ないかもしれないですね」
この映画をご覧になってどう思われましたか?
「基本的にこれはすごい映画だと思います。今まで観たことのないような。試写を観たときに、面白い映画なんだけど、一言では語りきれないと思ったんですよ。感じることがそれぞれの見方によって変わってくると思うんです。だからその辺で、東宝さんも思い切った博打をしたもんだと思いましたよ。いや、これは誉めているんですよ(笑)。とにかく新しい映画だと思います。新しい映画をどう評価するかは、社会の成熟度にかかわってくると思います」
この映画は、医療現場の矛盾を観客にハッキリと提示しています。そこを隠そうとしなかったのはなぜなんですか?
「それが真実だからですよ」
ただ、正しいことを言うと、圧力があったりはしないんですか?
「今は建前社会ですし、建前を維持するために偽装の問題なども起きています。でも結局その内実は小さいわけです。それを大きく見せるために偽装が行われていると。
そしてそういうところで一番幻想が抱かれているのは医療の世界。今の医療の現場は建前を維持しようとして、現場が疲弊している。だから壊れる前に本当の姿になりましょうと。目の前の患者さんをちゃんと治したいという素直な気持ちは、医療従事者はみんな持っているわけですよ。そんな現場の人間に温かい目を向けないと。つまりこの映画で起きた事件を生み出したのは医療じゃなくて社会なんですよ。そういう意味で言うとこれは医療映画なので、生身の医療が初めて人の目に触れた映画だと思います。だからすごく違和感があるんじゃないですかね。
先生はこれからの医療の現場に希望を持ってますか? それとも絶望を抱いてますか?
「希望ですね。そちらの方が大きいです。前途は明るい。ただし今の医療行政が舵取りをすることに固執するなら、これは絶望です。現場を知らない人間が口を出して、とんちんかんなことをしちゃいけないんですよ」
執筆者
壬生智裕