『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』馬場康夫監督インタビュー
『私をスキーに連れてって』(’87)で日本のポップカルチャーに大きな影響を与えた馬場康夫監督が『メッセンジャー』(’99)から8年ぶりにメガホンをとったのが『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』。
“バブル破壊”を止め、歴史を作り変えるという極秘プロジェクトのため、ドラム式洗濯機に乗り込み、1990年バブル期にタイムスリップを決行する!
”タイムマシンモノがずっとやりたかった”という馬場監督に、痛快エンタテインメント『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』を語ってもらった。
——まず最初にお伺いしたいのがタイムマシンについてなんですが、ドラム式っていうのがとても面白いアイデアだなと思ったんですが、ドラム式洗濯機にしたっていうのはどういったところからなんですか?
「なんでなんですかね(笑)。最初のほうから洗濯機だったんですけど途中で変わったんですよ。スキャナみたいなやつに一回しようかってなったんですけど、また洗濯機がいいってことになって。でも一番最初から、工場で洗濯機を作っている人が中に洗濯で何かを入れたら——今回だったらヤフーのTシャツを入れたら、それが消えて過去にいっちゃってて、同僚が昔に洗濯機に入ってるそのTシャツを見つけているっていうところから話が始まるのをずっと考えてたんですよ」
——普遍的なところからその世界に入っていくということですか?
「そうそうそうそう。で、明らかに“バブル”というテーマよりも前に、そこからスタートしてます。洗濯機に何かモノ入れたと思ったらなくなってる。あれおかしいなと思ってたら昔からその洗濯機のお守りをしているその人がこれのこと?って。で、それはいろんな紆余曲折があったのでこの映画の中では薬師丸(ひろ子)さんの回想シーンでほんのちょっとしかでてこないんだけど、骨格は残っていて。それでなるべくタイムマシンになりそうにもないもののほうがいいなというところで洗濯機が出てきたんですよ。だって、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のタイムマシンは最初、冷蔵庫だって話ですからね(笑)」
——そうなんですよね(笑)
「別にその話は後から聞いたことなんだけど(笑)。でも最初からタイムマシンはドラム式でしたね(笑)」
——ということは最初のタイムマシンの発想があってそのあとに“バブル”というテーマが出てきたということですか?
「ちょっと話が錯綜するんだけど、今言ったタイムマシンモノがどうしても作りたいっていうのがあったのと別に、『気まぐれコンセプト』でいつも、過去にタイムスリップすると、過去のやつと話が合わないギャグって言うのをたくさん描いてて。この間単行本化したときも2つくらい入ってると思うんだけど、そういう漫画って毎年恒例なくらい何度も描いているんですよ。なのでネタはすごくいっぱいあって。今回で言うと、ラモスにあったときに、“ドーハのコーナーキックに気をつけて”って言うところとか(笑)。で、いざドーハのときを迎えて、“ロスタイムのコーナーキックってこのことか!”っていってゴール前にしっかり張ってクリアしたみたいな(笑)。そういうのがすごい好きで何度も書いていたので、それをバブルでやりたいなっていうのが一方でありました」
——今映画界の中で、ノスタルジーみたいなものが流行になっていると思うんですけど、この映画も一見そういったノスタルジーモノかなと思ったんですが、ちょっと違っていて“懐かしむ”という感じはそんなにありませんよね?そういう意識はあったんですか?
「どうだろう・・・・でも僕の中でそのノスタルジーっていう言葉って、リリカルなものであったり、感傷的なものであったりするんだけど、この映画においては感傷はないですよね(笑)。“懐かしいなぁあの時代”って思わない。どっちかって言うと、“ウゲェー”みたいな(笑)。“俺たちこんなことやってたのかよ、忘れて!”みたいな(笑)。そういうほうが大きいですね(笑)。だからほかのノスタルジーモノに比べるとドライなんじゃないかな(笑)」
——(笑)。広末(涼子)さんの「バブルって最高!」っていうセリフが途中にあって、でもバブルを冷静な視点で見つめようとする流れを感じました。
「その視点は君塚(良一:脚本)さんの視点ですよ。バブルにものすごい否定的な女の子がバブル時代にいって“意外といいじゃん!”ってなって、“バブルって最高!”って思うんだけど、でも良く考えたらダメだよねっていうことが、たぶん君塚さんのつかんだお客さんの気持ちの変化なんじゃないかな。お客さんがどういう気持ちでみるかっていうのをつかんでらっしゃるから、俺なんかがそういうストーリーを考えたとき、最高!っていうバブルは思いつかない。絶対」
——監督自身、バブル時代の思い出っていうのはどういったことがあります?
「1987年から1991年までの4年間フジテレビさんとガッツリ映画を作っていたので、ほんと毎週のようにフジテレビさん通っていて。だからバブルっていうとフジテレビさん思い出しちゃうのよ(笑)。フジテレビさんとバブルは別に何も関係ないんですけど、その時期に深夜番組もやらせてもらってたんで、ほんとに毎週フジテレビでしたね。週に2回、曙橋にいってましたね。テレビの打ち合わせと、映画の打ち合わせで。編成会議室っていう部屋で何度も朝を迎えたので(笑)、バブルって言うとフジテレビ編成会議室思い出しちゃいますよ(笑)」
——例えば阿部寛さんはバブルには思い入れが強いって舞台挨拶でもおっしゃってましたけど、キャストの方はどうだったんですか?
「これまでいろんな取材受けてきたんですけど、“僕はバブルのど真ん中にいて”って言う人とあったことないんですよ。みんな、“バブルとはちょっと外れてて”って土地的なこととか年代的なこととかライフスタイルとして合わなかったからっていう人ばかりなんですよ。これだけバブル景気の中、日本中が狂乱していたのに、バブルのど真ん中にいたって言う人がなんでいないんだろうなって。僕自身も映画に夢中だったからそんななかったんですよ。で、誰がバブルの真ん中にいたんだろうって思ったら、いたんですよね、たった一人(笑)。私はバブルの真ん中にいましたからって。それが阿部さん(笑)。よく考えたら阿部さんってとても勇敢な人で、バブルというものと最もしっかりと対峙している人ですよ。唯一“俺、実はバブルのど真ん中にいたんですよ”って言い放った男ですね(笑)。考えてみたら最高のキャストなんじゃないかな(笑)。彼は本当にクレバーな役者さんで、本当にいい役者なんですよ。で、しかもバブルには思い入れがあって(笑)。あれくらいバブルの真ん中にいるっていう人あったことないですね」
——阿部さんが演じた役、そのままに近かったんですね。
「全くそうだったと思いますよ。だからディスコのシーンで、広末さんの手を引っ張っていったりするような様が、ものすごい実在感があるというか(笑)。あれは下手な役者さんがやると様にならないと思うんだよね。ああやってディスコで遊んでたり、“浮かれて暮らすのも悪くねぇぞ”なんて(笑)。阿部さんがやるとほんと説得力があるね」
——やっぱり阿部さんの意気込みはすごかったんですか?
「意気込みというか、彼は仕事選んでるの?というくらい仕事をされてますから。2007年の映画界のマン・オブ・ザ・イヤー選んだら絶対、阿部寛だと思いますよ。僕のイメージだけど、作品に対するこだわりとかいい意味でないんじゃないかな。だからプロだと思うな。すごい面白い方ですよ。プロの映画俳優というのはこういう人なんだろうなと思った」
——現場の雰囲気などはどんな感じだったんですか?
「もう5回目なのでそんなにピリピリするようなところはなかったんだけど、阿部さんが広末さんに、“バブルの絶頂期はこうだったんだよ”っていう話をしてて。広末さんもDVDのインタビューで言ってるけど、ディスコのシーンで阿部さんに“これはちょっとやりすぎですよね?”“こんなのほんとにいたんですか?”って聞いたら阿部さんが“広末君、いたんだよ!”って(笑)。“こうだったんだよ!”って(笑)。阿部さんもことあるごとに“もっとすごかったですよね、みなさん?”って言ってましたから(笑)。阿部さんはあらゆる意味でこの映画の、バブルに戻った後のカルチャーリーダーでしたね(笑)」
執筆者
kenji Hayashida