命をかけて戦う男達の真実の記録・・・『ココシリ』ルー・チューアン監督インビュー
今も人間の傲慢が、ココシリに吹き荒れている。97年末にココシリ国家級自然保護区管理局が設立され、チベットカモシカの保護は今も強化されている。そして05年3月にはチベットカモシカの保護に携わるボランティアを全国から募集。5000人あまりの人々から応募が寄せられた。実際に、5月から月1回のボランティア活動が行われた。しかし、今でも密猟者は存在し、撮影中も約1000頭のチベットカモシカが犠牲になるという事件が起こったという。『ココシリ』の撮影には実弾を持ったパトロール隊員達が、監督を始めスタッフ・キャストを守りながら同行したが、1度戦闘レベルの打ち合いになるという映画の危機を迎えることもあったと、監督は話す。このあまりにも過酷で壮絶なロケにルー・チューアン監督を駆りたたせた『ココシリ』の魅力を語っていただいた。
— 映画『ココシリ』を撮るきっかけはなんだったのですか?
「ココシリで起きた真実に感動したからです。そして、こういう人達がいたことをみなさんに覚えていてもらおうと思ったんです。また、映画学校卒業後、私は非常に野心家でしたので、今までの中国映画を越えるもの、今までにない中国映画を撮りたいと熱烈に思っていました。」
— それは監督の経歴や成長過程と関係があるのでしょうか?
「そうですね。私が出た学校は軍の機関であったことや、2年間兵役に服していたことも関係があると思います。」
— 監督は撮影に入る前に、実際現地でチベット人達と親睦を深めていたとお聞きしています。彼らからはどんなことを学びましたか?
「私は02年から準備を始めました。本当にチベット人からは多くのことを学びました。私生活で、身近な親友2人に死なれて夜も眠れないくらいショックな出来事もありました。彼らの暮らしは貧しいですが、とても穏やかなんです。彼らの信仰や生活を見ていて私も影響を受けて、この映画をどのように撮っていくか、具体的なインスピレーションを受けました。『もの静かでありながら、うちに力を秘めている』彼らの生き方を観て『ココシリ』もそうあるべきだと感じたんです。また、人との付き合い方も会話を主とする都会とは全く異なります。彼らはしゃべりません。それよりも飲んだり歌ったりして、交流を図ろうとします。まるで石や岩のようなんです。だから、役者もそういう人間として描こうと思いました。」
— 先ほど友人を亡くされたとお聞きしました。その後ココシリで、チベットの死生観に触れて監督の思いで変わってきたことはありますか?
「私達が泊まっているホテルから、寺院が見えていました。そして、その寺院の上を鷹が旋回していました。そこではいつも鳥葬が行われていたんですね。人間は環境に影響される生き物なので、そういう風景が見える環境にいると、死に対する考えが変わってきます。チベット人は死をありのまま受け止めます。それは彼らが人間は生き変わるものだと考えているからです。ひとつの生命の終わりは次の生命の始まりなんです。そういう雰囲気に触れて、私の死生観は随分変わりました。死に対する恐れがなくなりました。」
— 過酷なロケに望む前の心構えや乗り切った後に感じた苦労を教えて下さい。
「まず視察でココシリのパトロール隊に同行してもらって、山に入って厳しさを予想して、撮影に望みました。でも、撮影を始めてみると数倍大変でした。80日で撮り終えるはずが約1ヵ月オーバーしました。最初はココシリの周辺で撮るつもりだったんですが、撮ってるうちにココシリで撮るべきだ、感じまして…まぁ要するに気が狂ってたんですね(笑)現地は、天気が1日でくるくる変わります。それには言葉では伝えられないほど苦労しました。」
— パトロール隊のリーダーのリータイと、密猟者のリーダーのマーの姿を見て、善とも悪とも区別しがたい生き方に、人間の割り切れない部分を感じたのですが、その部分は意識して製作されたんですか?
「脚本を書いていた時、密猟者を悪として描きました。でも、実際捕まった密猟者をインタビューしてみると、彼らの本当の姿は学生であったり、村長であったり、村の幹部であったりするんです。つまり彼らは密猟をしなければごくごく普通の農民なんです。ただ、貧しい生活に追いつめられ、生活の糧として仕方なく密猟をしてしまったんです。責任を追うのは彼らではありません。彼らの生きる環境が問題なんです。だから、リータイとマーにもどこにでもいる人間として演じてもらいました。」
— 監督はすごく優しそうで、体も細くていらっしゃいますが、このような衝撃的な作品を作る精神力はどこにあるんですか?
「野蛮に見える人が本当は野蛮じゃないのが人間ですよ(笑)映画学校の先生にも『君は監督っぽくないね』と言われました。中国人の監督は、ひげを生やしていてごつごつした人が確かに多いですが、映画は筋肉ではなく頭で撮るものですから体つきは関係ないと思います。私自身に関していえば、外見と中身は大分違う人間だと思います。これは余談ですが、撮影中の私を撮った写真を見ると、今とはまったく違う様相をしていますよ。」
— 『ココシリ』を観ていると監督の暖かい眼差しを感じるのですが、監督に撮ってココシリとはどういう場所ですか?
「環境が過酷であればあるほど人とのつながりは大事なものになります。パトロール隊員達のお互いを信頼し合い助け合う絆を近くにいて、痛烈に感じました。彼らのように暮らした中で生まれた私達のチームワークも、とても強いものになりました。だから、映画を観て感じる眼差しも変わったのかもしれません。あと、男なのに涙をこぼしやすくなりました。ココシリを視察した時、同行したカメラマンが倒れて彼だけが山を降りることになったんです。それぞれに離別する時、みんな抱きしめあって涙をこぼしていました。絶対、こういうシーンを映画にもいれたいと思いました。」
— チベットカモシカをさばくシーンや、流砂のシーンはどのように撮影されたんですか?
「密猟者の仕事は皮を剥ぐ仕事と銃で撃つ仕事にはっきり分担されているんです。実際に皮剥ぎの仕事をしてもらったんですが、本当に数分できれいに取り去ってしまうんですよ。ただし、実際に撮影で皮を剥いだのはやぎなのでご心配なく。流砂のシーンは、深さの違う穴をいくつも掘るんです。最後の穴のシーンは縦に3mの穴を掘って、足場を作り横穴をつけます。そして入ってきた流砂を横穴からかき出して役者を地中に沈ませていきます。流砂のシーンは何十回も実験しました。それでも、大変危険なシーンでした。すぐ役者を引き上げないと窒息死しちゃいますからね。彼が勇敢だったんです。」
— みんなで川を渡るシーンでのエピソードを教えてください。
「あの川は海抜5000mを流れる川です。気温は零下5度から10度。5日で撮る予定が15日以上になりました。最初の頃は1日ワンカット撮るのが、精一杯でした。役者が凍えてしまうので病院に連れて行かないといけなかったんです。なので、テントを川のそばに作って、1回渡ったらテントで十分に暖を取らせてからもう1度川を渡らせました。それでも、1日2回が限度で日数が掛かってしまいました。」
— 初出演の役者がほとんどですが、こんなに厳しい映画に彼らを駆りたてたものはなんだったのでしょう?
「この映画はぜひ現地の人間に出てもらいたかったので、彼らと友達になれるまで付き合って、私を信頼してもらいました。そして、私の彼らへの要求はシンプルなものにしました。『命がけで走れ!』というような(笑)また、これはリハーサルだよ、と彼らには言っておいて盗み撮りをしたものを実際には使ったりしたことで、よりリアルな映像が作れたと思います。」
— 都会に帰ってきて思ったことは?
「早く編集しなきゃと思いました。あと、本当に北京に帰りたくないと思いました。先に帰ったカメラマンから『北京は人もビルもぎっちりしていて汚い』というメールがきてよりいっそう帰りたくなくなりました(笑)北京には、チベットの村をひとつひとつ旅して十何日かしてから帰りました。」
— この作品は日本の観客にショックと感動を与えると思いますが、監督はどのように観客に観て欲しいと思いますか?
「どう観ていただいても結構です!観に来てくだされば嬉しいです。前人未到の地ココシリに皆さんの目となって8ヵ月滞在し、そこでの生と死を見届けてきました。今とはなっては、気軽に入ることはできない場所なので、ぜひ映画をご覧になっていただきたいです。」
執筆者
林 奏子