今年初めて開催されたニュージーランド映画祭で上映された作品の中に三世代の”家族”をテーマにしたものがあった。それがこの作品『NO.2』である。元々は舞台での一人芝居用に作られたという本作は多くの人の支持を受け、映画化となった。

フィジー移民の年老いた家長マリアおばあさんは、年々薄れていく家族の絆を取り戻すため、昔のような家族パーティーを開き、後継者を決めることを孫たちに宣言する。しぶしぶ集まった孫たちは祖母の望み通りにしようとするのだが…。異なる世代、異なる文化、家族それぞれの思いが入り乱れて、混乱、衝突、そして、たっぷりの笑いのうちに、うだるように暑い夏の1日が過ぎていく。

愛情を込めたリアルな視点で家族を描いているこの作品の根底には、一体どんな想いがあるのだろうか。また、ニュージーランドならではの文化や慣わしについて、それがもたらす意味について監督に聞いてみた。



——この作品は家族の物語ですが、子供と親という関係ではなく、孫とお婆ちゃんという関係を描いたのはなぜですか?

「私自身の2人の祖母に非常にインスパイアされたものがあったので、そのあたりを描きたいと感じました。特に私の場合は南太平洋のバックグラウンドがあるということで、年をとった人たちと若い人たちのジェネレーションにあるもの、また特別に南太平洋の民族での家族関係におけるもの、年上の世代を敬っているという関係を描きたかったんです。また同時にこれは1人の女性のヒューマンストーリーでもあります。お婆ちゃんの人生、特にその精神的な部分をどのように伝えるかといったあたりは非常に考慮しました。」

——ご自身のお婆さまにインスパイアされたというのは、具体的にどんなことがあったのですか?

「フィジー側の私の祖母、ローラはこの映画の主人公・マリアと同じくブッケという町で生まれ育っています。そして私の両親は、この映画が撮影されたマウントロスキと言われる郊外に移民してきました。実際の撮影は私の叔父と叔母が住んでいるすぐ近くで撮影していますし、映画の中に出てくる人の半分ぐらいは私の実際の家族をモデルにしたようなところがあります。イギリスにいた私のもう1人の祖母は、昔から女優や男優のファンだったので、私が小さい頃から映画監督になるという上で大きな影響を受けてきました。実はイギリス側の祖母がこの映画を撮っている最中に亡くなったということもあって、この『NO.2』という映画を撮るにあたっておばあちゃんの為に撮ったという背景もありますし、映画の中でシャーリーとアリアナが感情的に近づいている場面がありますが、あのシーンも私の実際の経験に基づいて作ったものです。」

——『NO,2』は1999年に舞台でマデリーン・サミによる一人芝居として上映されたそうですが、映画との違いは何ですか?

「大きな違いは、やはり一人用につくられたというところですね。私はこのマデリーン・サミという、ニュージーランドでは非常に有名な一人の女優のために、彼女に演技をして欲しくて作ったという脚本です。また同時にガイ・マスターソンというウェルシュの人間と一緒に作り上げたかったという背景もあります。しかし、私は元々は演劇の人間ではなく、常に映画に重きを置いてきたし、興味や関心は常にフィルムにありました。そういった意味で開放してくれるというか、違った分野でやってみたかったというのがあります。そしてこの『NO.2』というのは非常に受けがよく、フリンジフェスティバルでもいい賞を頂きました。しかしそういった中で常にこれを映画にしたいという思いは常にありました。一人舞台の方で私の名前や作品について知ってもらうことができ、知名度を上げることができたというところから2001年に実際映画を作るまでに非常に時間がかかりました。そして同時に投資をしてくれる人を探すのに時間がかかりました。そういったところでも非常に感謝をしていますし、いいスタッフにも恵まれたので、時間はかかったのですが望みが叶ったという感じです。」

——冒頭で流れている曲をハイビスカスが歌うシーンが印象的でした。なぜあの曲を使われたのですか?

「あの曲はレブーカという故郷を想いながら歌うラブソングです。これはフィジーのラリートマスという方の作品なんですが、つい最近オークランドにこの方を訪ねる機会がありまして映画も観ていただいたのですが、非常に感動していただけました。実際この曲は叔母が一番初めに私に紹介してくれたんですが、8年くらい私の家族の中をぐるぐる回っていたんです。この映画の中で使われているフィジーに関わる音楽は全て私にとっては特別で、非常に誇りにしているものです。このレブーカという場所や学生さん達によって歌われた曲を使ったりしています。どこにでもある南太平洋の音楽ではなく、ある一定の地域、人々によって歌われている特別な歌なんです。」

——この映画の中では独特な文化を見ることができます。例えばカヴァというお酒を作っているシーンがおもしろかったのですが、ソウルに受け継がれたタブーアとはどんなものなんですか?

「昨日たまたま茶道をされる方とお話する機会があったのですが、ある意味ではカヴァというフィジーの習慣が日本の茶道につながるものがあると感じました。フィジーの中ではこのカヴァというのは非常に大きな位置を占めますし、茶道に近いような儀式に使われることもありますし、同時に普通に飲んだりということもあります。タブーアは多くの場合くじらの歯でできている、一言で言えばギフトになるものです。これはどちらかと言うと個人的な、人と人とを結びつけるようなパーソナルなものとして出てきます。そして映画の中では私自身の従兄弟であるジョニーが祖母から譲り受けるという形になっています。」

——亡くなった後に何日間かドアを閉じておくという風習があるようですが、なぜナナは何年間もドアを閉じておくという設定にしたのですか?

「ナナは時々やっていることが理路整然としていない、矛盾したりするクレイジーな性格です。この慣習自体はフィジーを中心として南太平洋全般にある習慣の一つでもあります。誰かが亡くなったら死体を家の中に安置し、ドアを3日間閉めておきます。最終的に遺体を運び出して、家自体をもう一度清らかにするまで閉めておくんです。遺体と同時に持っている本人の精神も一緒に葬式の時に運ぶという慣習なんです。そして子供達のように若い世代の人たちはフィジーを離れて、元々ある儀礼上の儀式だとか文化からだんだんと距離を置かれていく中でナナの旦那さまが亡くなった時に本来あるべきのお葬式の慣習を取りたかったのにも関わらず、子供達や孫達の世代の中で問題が起き、言い合いが起き、その中でナナは怒ってしまう。そして皆のゴタゴタに終止符を打つためにも、ドアを閉じてしまって何年も放置するというカタチを取ったのです。」

——家族に大事なものとは何だと想いますか?

「皆が一緒にいるということだと思います。どんな結果が導かれようとも、ナナはケンカも歌もダンスもお酒も大騒ぎも、怒ることも食べるのも好きで、そういうゴタゴタした中で一番大事なのは一緒にいるということだと言えると思います。」

——ニュージーランド映画祭が始めて開催され、トークイベントもされるそうですが、今のお気持ちは?

「トークイベントの為に練習しなくちゃ!(笑)”ありがとう”、”ビールください”、”じゃあ行きましょう”、”こんにちは”が私の知っている日本語です。大阪へ1泊したことはあったのですが、実際ちゃんと日本を見るのは初めてです。黒澤監督のファンなので、大変楽しみです。コッポラ監督も大好きなのですが、彼も黒澤監督から大きな影響を受けていますよね。焼酎を試してみたいです(笑)」

——日本の文化でおもしろいと思ったことがあれば教えてください。

「まだあまり見ていないのですが、南太平洋と日本との間の類似性がおもしろいと思います。いわゆる大家族という発想は非常に似通っていると思いました。また、経済上のこともありますが、家の所有ということについて非常に似ていると感じました。でも日本では家を長男が継いでいきますが、そういう発想はニュージーランドにはありません。言語についても、日本は母音に慣れているので私の名前を非常に綺麗に発音してくださいます。ニュージーランドではなかなかないです。」

執筆者

umemoto

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