横浜の都市伝説的人物、「ハマのメリーさん」をご存知だろうか。おしろいだらけの顔で真っ白なドレスを着こみ、進駐軍相手に戦後の横浜の街頭に立ちつづけた女は時を経ていつしか老女となり、人々から“白いメリーさん”“きんきらさん”“皇后陛下”などと呼ばれ町のランドマーク的存在となっていった。しかし数年前からその姿をぱったりとみせなくなっている。
横浜出身の映像作家・中村高寛が初監督作品として5年もの歳月をかけて完成させた本作『ヨコハマメリー』は、メリーさんと関わった人々をたどることで彼女の、そして人々の人生を映し出し、日本の港町として栄えた戦後の横浜という都市の風俗史にも踏み込んでく。なかでも癌を患い余命わずかのいくばくも無い自身をかえりみずメリーさんの身を案ずるシャンソン歌手・永登元次郎との関わりが感動的だ。ドキュメンタリーという手法がさらにそのドラマ性の強度を強めているのである。かつて青江三奈が歌い一世を風靡した「伊勢佐木町ブルース」を平成に生きる歌姫・渚よう子がけだるく歌う時、誰も知らなかった彼女のドラマが浮かび上がっていく。




— 「横浜の白いメリーさん」といえば、知る人ぞ知る伝説の人ですが、なぜ彼女をテーマにしようと思ったのですか?
「私にとってメリーさんというのは学生時代から見ている日常だったんです。昔から伊勢佐木町に映画を観にいったり遊びにいくと、必ずメリーさんがいたんです。でもある時友達と雑談してて「そういえば、最近メリーさんいなくなったね。」という話題が出て、確かに見かけないなと不思議に思って、いつも彼女がいた場所に出かけてみたら本当にいないんですよ。それまでメリーさんは街中では異質な存在だったけど、それが僕にとっては日常の風景だった。10年前に彼女が横浜から突然いなくなってしまったことで「なぜ彼女はずっと町に居続けたのか?」という疑問がはじめて湧いてきたんです。そこから興味がわいて彼女について調べたりしてみることからはじまったんですよね。
図書館にいって彼女について書いてあるものを読んだりしましたが、深く書かれたものはなかったしそれだけではやはり足りなくて、作業が止まってしまった。だから実際に伊勢佐木町に出て、町の人に話を聞いてみたりしながら、彼女に関わった人を見つけていきました。また、調べていくうちに彼女の写真集があることがわかったんです。作品にも登場してもらっている森日出夫さんという写真家の方の作品なんですけど、元次郎さんにしても他の方にしてもメリーさんと関わっているということはわかってもそれぞれ点でしかなかったんですが、写真集を出したことで森さんの周りにメリーさん人脈が集まってきていて紹介してもらったりしました。」
— メリーさんを登場させずに撮るのははじめから決まっていたことですか?
「メリーさんがいないということを前提としてはじまっている映画なので、対象不在のドキュメンタリーをどう撮るかということを考えて、最初から計算して取材していました。撮影は99年からはじめていますが翌年にはメリーさんの居どころを見つけ出して、カメラとか機材はもたずにただ会いに2週間位通ってメリーさんとの関係をつくっていきました。彼女が不在のドキュメンタリーであっても、彼女自身を知らないと描けないと思ったんです。でも最初から彼女は出さない前提でしたので単なる取材として会いにいっていました。」
— メリーさんの過去に迫っていくと同時に戦後の横浜の町の姿がインタビューや資料で描かれていきますね。
「町の歴史がすごく好きで、教科書とか図書館においてあるような資料には載っていないけれど町の中で語り継がれている話ってあるじゃないですか。それって、いい部分もあれば悪い部分もあって、白黒でははっきり判断できないものもあるんですよ。そういうところに人間の面白さを感じるんです。そこを描いていきたいと思って。娼婦を扱っている、ヤクザを描いている、愚連隊が出てくくる、そういうのを含んで全部で町だと私は思うんです。」
— メリーさんはもちろん、登場する人々の人生やドラマを感じます。ドキュメンタリーでドラマを構成していくにあたって、気を使ったことはありますか?
「いろんなドキュメンタリーの方法があると思うんです。カメラを持っていて、その時々の対象の反応を見ながらとる方法、いわゆる瞬発力で撮るものや、即興性を求めるものがありますね。そういうやり方もありですが、私のやり方は、練って練って撮っていくんです。誰かのコメントをもらいに行くときは撮影前にカメラを持たずにお会いして、関係を作っていくんですが、日常的な会話をしていく中でも色んな言葉が拾えるんです。それをもっと生かせるんじゃないかと考えながら実際の撮影に望むんです。なので実は撮っているときからある程度の構成は考えてるんです。ドラマだったらシーン1、シーン2、ぜんぶきちんとつながりがあるけれどドキュメンタリーの場合はなかなか難しい。ですから撮っている時からここのシーンには次がどういうシーンでつなげるのかということを予測しています。そういうことが可能なのはそれまでに取材させていただく方々と色んなお話をしているからなんですけれど。その選択肢を読めるまでにあらかじめリサーチしていました。相手の背景をよくわかった上で撮影に出かけていましたから。」
— 完成までに5年もの歳月がかかっていますが、モチベーションを持続するのは大変ではなかったですか?
「映画をつくるのは本当に大変ですよね。楽しいと思ったことはあんまりない(笑)。ただ作品が完成した時の一瞬の安堵感のような、あの感覚が好きなのかもしれないですね。この作品も、メリーさんの事を調べて取材しているうちは楽しかった。聞く人聞く人、みんな面白かったし。ただ実際に撮影をはじめてからは、作品を作ること自体は色んなものを背負い込むことにだった。メリーさんをテーマにすることは彼女自身を背負い込むことだし、末期の癌と戦う元次郎さんの人生を背負い込むことにもなるし、自分の中でいろんなことを背負い込むことになってからは、ちゃんと消化してあげないといけないという使命感のようなもの、完成させないと終われないという気持ちになっていました。作品が完成したときは重たい荷物をゴールまで持っていけたという気がします。なのでそういう意味で一瞬の安堵感というか達成感がありました。
この作品は、人間の色んな生き方を肯定していると思うんです。元愚連隊のおじいさんが出てきたと思えば、普通のお店屋さんのおばさんが出てきたり、かといえば文化人の方も出てきたり。その人たちそれぞれがメリーさんと違った関わり方をしてきているんですが、私はそのすべてを肯定したいと思って撮りました。」
— 今後はどういう方向で作品づくりをされていくのでしょうか?
「僕はドラマの演出部にいたので、ドキュメンタリーでなければだめだとかそんなにこだわっていないんです。ただ題材に合わせてその方法は変えていこうと思ってます。撮りたいテーマでいえば、『ヨコハマメリー』にも登場した根岸屋の時代の話をドラマとドキュメンタリーを交えて撮ってみたいと思っています。ある一人の女性が20代前半で愚連隊によって殺されてしまったんですが、なぜ殺されなければならなかったのかという部分を再現ドラマで追って、当時の関係者もまだ横浜にもたくさんいるので取材しながら作っていきたいと思っています。実録・ヤクザドキュメンタリーみたいな(笑)。実録愚連隊(笑)。この作品はいまリサーチ中です。今回のようなペースでやっていると死ぬまでに数本しか取れないので少しスピードアップして作品を作っていければいいですね。『ヨコハマメリー』があったからこの企画も自分の中にテーマとして浮かびあがってきたので、そういう出会いを大切にしながら作っていきたいです。」

執筆者

綿野かおり

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『ヨコハマメリー』公式サイト

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