大石圭のオリジナル小説の初映像化、『最後の晩餐』がついに完成。カニバリズム(人肉嗜食)を題材にした『湘南人肉医』を原作に、“神の手を持つ”と噂される天才整形外科医・小鳥田(加藤雅也)が、禁断のエクスタシーを求めて繰り返す凶行の数々が、美しくも妖しい原色系の照明の中で展開される。また作品のそこここには、70年代・80年代の娯楽作品と慣れ親しんだ者なら、思わずニンマリしてしまう拘り場面も満載だ。
 本作を監督したのは、まさにそうした時代の娯楽作品をリアルタイムに見続け、現在は小説家と映画監督の二つのジャンルで活躍中の福谷修監督だ。「まぁ、理論上は人は人を食べられないわけではないから、ことさらタブー視することもないんじゃないですかね(笑)」と、禁断のテーマに関してもサラリと言ってのける彼は、映像の力とエンターテインメント性を武器に、人間のタブーに敢然と立向かう挑戦者なのかもしれない。そんな福谷監督に、多彩なキャスト、香港との合作などホラー・ファンならずとも気になる要素もてんこ盛りの本作について語ってもらった。

$navy ☆『最後の晩餐 The Last Supper』は、2005年2月12日より渋谷UPLINK X他にて、全国順次ロードショー!$




——まず、この作品に参加された経緯をお願いします。

 「僕は本作の制作会社であるアムモの方で、商業監督デビュー作になる『自殺マニュアル』という作品を撮らせてもらったんです。ここは以前から他の制作会社がやらない題材を一つの売りにしてきましたので、その流れからカニバリズムというテーマが浮上したんです。それで角川ホラー文庫に非常に面白い原作があると、大石圭さんの『湘南人肉医』教えられまして、それを読みまず僕の方で脚本を書きました。僕は『渋谷怪談』の脚本や、小説などでもホラーをやっていたので、その時は未だ具体的な監督等は決まってなかったのですが、まず脚本を書いてそれを大石さんに読んでもらったんですね。
 ただ僕も小説のストーリーをそのまま纏めるのではなく、かなり色々なアレンジを加えたので、これで大石さんが納得するのかな?というのは、実は僕の中にもありました。それでも出版サイドと大石さんに見せたところ、お世辞もあるかもしれませんが面白いといっていただいたんです。で実際、脚本になったものは特に後半はかなりアレンジしてますので、結果的にここまでテイストが変わってくるとこれは完全に福谷の作品だから、自分で監督されたらどうですかと言う話になりまして。それで僕が監督もすることになったのです」

——原作を大胆にアレンジされた際のポイントは?

 「大胆に変えると言っても、僕は原作を尊重したつもりなんですよ。それは大石さんも理解していただいたのではないかなと。具体的に言いますと、原作はカニバリズムテーマを大石さんの巧みな文章マジックで読ませとても面白いんですが、そのまま映画にするのは無理な部分もあるんです。例えば原作の後半の小さな女の子を誘拐し…という展開は、日本の映画では現状不可能なんですよ。倫理的な問題等でね…って、この映画で倫理の話をするのもどうかと思いますけど(笑)。
 僕は、“神の手を持つ”といわれるエリート医師小鳥田優児、その同僚の加奈子、看護婦のルミ、とそのあたりのキャラクターは、ほとんど変えません。その上で、テーマであるカニバリズムを、原作を自分なりに消化していく上で、特に後半でそのカニバリズム色をさらに強めたというのが正直なところですね。それと僕の中で、本当の意味でのカニバリズムを扱った映画がほとんどないんじゃないかというのがあって、特に後半はそのあたりを僕なりに映画として本格的に活かすような形にしたんです」

——劇中では、小鳥田のモノローグが多用されてますが。

 「カニバリズムの人は最初から異常者扱いというのが多かったのですが、原作はちょっと変わっているかもしれないけどごく普通の人間が、ある状況に陥ってそういう風になってしまったと。それで、子供の頃からひじょうに食欲があってという過程を、ひじょうに丁寧に描いているんです。それは活かしたいというのがあり、大石さんの文体を活かす意味でもモノローグが多い形にしました」

——ただ映画では、子供の頃や学生の時のエピソードはあっさり目ですよね。

 「原作では太って大柄、女性からは絶対相手にされないコンプレックスの塊だった小鳥田のキャラクターを、映画の方は外見的には変えていますので、そのあたりが使いにくくなってしまったという部分はあります。それでも最初の頃の脚本では、『アメリ』じゃないけど前半ひたすらしゃべりまくっているものだったんですが、エンターテインメント色を高めようと、少し抑え目にしました」





——小鳥田が最初に脂肪を食するあたりは、厭な感じが絶妙ですがちょっと唐突な感もありましたが。

 「作品的には前半は比較的大石さんのテイストでやっていて、後半は完全な僕のテイストなんですよ。ですが、前半でも内面的なことばかりやってしまうと、僕としては退屈な部分があったので、確かに飛び飛びになっているところもありますよね。
 ただ基本的にこの作品は、エンターテインメントであり、原作の持ち味を活かしつつも、カニバリズムの人間の内面をひたすら描くというものでもなく、それを映像でテンポよく見せ、皆が体感できるようにしたいというのはありましたね」。

——颯爽とした小鳥田ですが、以前は風采の上がらなかった男が、人肉を食したことで、また食すために鍛え上げられたことで、変化したものとして視覚的にも描写されてますが、これは相手を食することにより、相手の力も自分のものにするという伝説的な思想に寄るものでしょうか?

 「食べることにより変わるというのはありましたが、それを絵で見せるということの方が大きいですね。実は原作は、太ったままで変わらないんですが、最初は加藤さんを思いっきり太らせて、食べることで痩せていくというシチュエーションもテストしてみたんですよ。ですけど、やはり太らせるということはハリウッドの特殊メイクでも難しいじゃないですか。エディ・マーフィーの『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』でも、太らせるだけで凄い予算がかかっていますし。それと中途半端にやるとコントになってしまうというのもありました。
 加藤さんが足をひいているのは、撮影直前に別の映画で怪我をされて、実は撮影断念寸前だったんですが、じゃぁコンプレックスをそこにしましょうと設定の方を変えたんです(笑)。
 ただ僕の中でも、人間の変容というのが一つのテーマとしてあります。原作の持ち味はひたすら殺して食べる、殺して食べるの繰り返しなんですよ。それが描写がすごく細かくて、料理がすごく美味しそうで、その繰り返しを、大石さん独特の文章で読ませてしまう。こっちは結構メリハリをつけてますがね。
 僕は食べることで何かが変わるということは、人間の中身的なことを含めてずっと考えてました。ただ小説だとモノローグで、心境の変化を含め内面がひたすら描けるけど、映像でそれを見せる場合にはメリハリが無いとやぱり厳しい。やはり、絵で表現したいというのがあったんです。まぁ、モノローグもいっぱい出してますけど、最終的にはびしっと絵でわかるような形にすると。
 それで予算もあって、特殊メイクで加藤さんを太らせるのは断念しましたが、最初にダサい加藤さんが研ぎ澄まされて行くのは、同時にそれは別の人物の引っ掛けにもなるわけです。やっぱり、絵で見せたいというのがありますから。
 まぁ、本当だったら『インサイダー』のラッセル・クロウみたくご本人に太っていただいて、そこから痩せるとか肉体的な変容までやれればよかったかもしれませんけど」

——香港ロケーション・スーパーバイザーとして、ラン・ナイチョイさんがクレジットされてますが、具体的にはどのような役割をされたんですか?

 「実際に香港の現場の指揮をしていただきました。彼は名のある監督ですし、それでいながらひじょうに良い方です。僕の日本パートと香港パートの撮影では、一月くらい間があいていたのですが、事前に脚本を読んでいただいて、僕の映像を見ていただきました。そうしたらラン監督が、演出の絵コンテを全てセッティングしてくださって、それを僕が話し合ってさらに詰めていきました。現場は勿論全て現地スタッフで、ラン監督のなじみの方もいらっしゃいますので、その場で僕も全て立会いましたが、基本的にはラン監督が指揮されました。」

#——オープニングなどポイント的にはスラッシャー描写がありますが、題材とは裏腹にグロテスクな描写は意外と抑え目ですよね。

 「オープニングは『スクリーム』のドリュー・バリモアみたく、いきなりホラークイーンが…という洒落です(笑)。
 そう、それは意識していました。クライマックスとか、手術シーンとか要所要所ではしっかり見せてますけど、それ以外は抑えてますね。まぁ『八仙飯店之人肉饅頭』みたいなその手のオンパレードは、香港のお家芸ですし。加藤さんからも主役で決まった段階で、これは綺麗にいこうというのがありまして、僕の希望とも一致したんです。
 逆に綺麗なシーンが多いと、要所要所がかなり際立つというのもあります。ショッキングにはしたかったんですけど、不愉快で不快で下品にはしたくなかったんです。もっとグロくやればできないことは無いんですけど、やはりそうじゃない部分で色々見せたいなというのがありまして。
 でも実は、最初『八仙飯店之人肉饅頭』のハーマン・ヤオが共同監修だったんですよ。脚本も読んでもらってほぼ決まっていたんですが、先にプロデューサーが現地入りしたところ急にスケジュールの都合がつかなくなったと言われまして。それで急遽、ラン監督にお願いということだったんです。いかにも香港らしい話ですけどね(笑)」

——小鳥田の館内での夜のシーンは、原色系の照明が効果的でしたが、やはりイタリアン・ホラーなどを意識されて…?

 「ダリオ・アルジェントとか、そうですね。もう、意図的に(笑)。この前『ソウ』の監督も、デビッド・フィンチャーの影響を受けていると言われるけど違うんだ俺はアルジェントなんだ!と言ってたようですが、やはり年代的に70年代の影響は大きいですよ」

——やはりジャンルとしてのホラーがお好きと…

 「むしろミステリーですかね。どちらかと言うと、日常と背中合わせな感覚の。インディーズで撮った『レイズライン』という作品も、中央線の自殺を背景にしたラブストーリーで、沿線に住む男女のカップルが会おうとすると自殺が起きて電車が止まり会えない…という話でした。だから『ウルトラQ』とか、アルジェントもそうですけど、日常の背中あわせに何かがあるというのが好きなんですよ。それがミステリーであっても、ラブストーリーであっても、ホラーであってもね。
 心霊ホラーもやらせていただいているので、その中の一人としてとらえてただいても全然構わないのですが、僕としてはそことは少しずれた位置にいるような感じですかね。どちらかと言えば、都市伝説とか。まぁ、本作も純粋な意味でのホラーではない部分もあり、どちらかというとサイコサスペンスであり、サイコスリラーですよね。基本はミステリーとサスペンスです。
 ただブライアン・デ・パルマやアルジェントは…ってデ・パルマは最近は言われないかな?、ホラーだと言われながらも、ルジェントは代表作の『サスペリアPART2』とかもミステリーじゃないですか。だから僕はヒッチコックを含めて、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『悪魔のような女』のような、最後の最後でホラーになる。ああいうのが好きなんですね。最後の最後でひっくり返すという。だから結果的に、僕はホラーであっても構わないんですが、普段の日常を淡々と描き、見せていきたいというのがあります。現状、ミステリーはそれ程ブームじゃないので、ホラーのフィールドで何かできないかなと試行錯誤しています」

#——館の壁に飾られた宗教画や、昼と夜でがらりと変わる小鳥田の館のセットも印象的でした。

 「宗教画は加藤さんと色々話した時に、彼のほうからでてきたアイデアなんですよ。本当はもっと、壁いっぱいにどわぁっとやりたかったんですが、予算的にね(笑)。でもそれがタイトルバックにもひっかかってきてます。
 館に関しては、光を強調するということで行きました。実はあれは全て室内なので光があたっているところは全てバックからあてている状態です。ですから、作り手としては昼も夜もなかったような状況で、朝のシーンを深夜に撮ったりしてました。本当に感覚がわからなくなるくらいで(笑)。ただ照明が凄く頑張ってくれましたので、限られた時間内で自分の希望どおりにやっていただけて感謝してます」

——殺害場面で、血飛沫も出てますが、むしろ照明でより効果的にみせている場面もありますよね。

 「そう、血をもう少し見せてもよかったんですが、やっぱりライティングでどこまでショックを出せるかという部分で、新鮮にしたいなと言うのはありました。ただ、テストをやっていると、どうしても綺麗になりすぎちゃうんですよね。いくつかのパターンのイメージボードで特撮の人と話していても、綺麗すぎるとアートであってホラーじゃなくなってしまう。そのあたりのバランスは、自分でもかなり試行錯誤しましたね。役者さんに助けられたところも勿論ありますよ。雰囲気のある方々でしたから。」

——三輪ひとみさん、原史奈さん、前田綾花さんと、最近のホラー・ヒロイン揃い踏み状態ですよね(笑)

 「前田さんがホラーをやったのも、僕の作品『自殺マニュアル』でして。本人はホラーは苦手でやったことも無いってことだったんですが、いや貴方はそのままでいいんですと(笑)。最近でも、『死人少女』とかにも出演してましたね。原さんは、オーディションをさせていただいたんですが、ダントツにイメージがぴったり。あの雰囲気をだせるのは彼女の他にはいなかったですね。
 実際松方弘樹さん、匠ひびきさん、加藤さんらはほとんどホラーに出てない人たちですが、その一方で三輪さんのようなホラー・クイーンがいるというのは、いいバランスになったと思います。皆さん、味のある役者さんですよ」

——確かに。松形さんも、こんなのあり?的に強烈でした。

 「松方さんは、ご自分で鼻歌歌いながらメイクもされてましたよ。時代劇をやってますからなれてますよね。やっぱり凄い役者さんです。現場での存在感や立ち振る舞いが全然違って、もう現場の空気が引き締まる感じなんですよ。御自身も、台本読んでまずホラーをやったことがないからと、『呪怨2』とか『ハンニバル』とかを見て自分で研究されましてね。流石に僕が演技指導するわけにもいかないので、僕の希望を伝えると後はもうノリノリで。
 ただご本人も気にしていたのは、松方さんは何を着ても結局カッコよくなっちゃうんですよ。だからダサイ恰好をするために、服装とかえらい時間をかけて討議しました。芝居もリアルですし。本人はちょっとやり過ぎたかなとかも言ってましたけど、でも僕は役者の魅力で面白い作品になれたのかなと。まぁ押さえた演技でも面白かったかもしれませんが、あそこまでやる松方さんを見れる。その役者さんの見たことの無い面を見るというのも、観客にとっては楽しみではないかと」

——でもやはり、エンターテインメントとしてこのテーマは結構チャレンジャーですよね。

 「見せ場、見せ場で、その見せ場はカニバリズムを体感した人物を絵で描くというのがこの作品のテーマですけど、後は視覚的なミステリーの楽しさとか、展開の面白さをみてもらう方がいいかなと。展開としては、こちらの方が面白いだろう。突っ込みどころも含めて、アルジェント作品のように楽しんでもらえればいいのかなと(笑)。
ただまぁ、正直言ってカニバリズム自体を肯定するわけではないですけど、人間も哺乳類ですから理論上は食べられるわけじゃないですか。僕からしてみると、マグロの解体ショーをデパートとかで子連れの親とかが、食い入るように見ているほうがどうかと思いますけどね(笑)。だってあるじゃないですか。アイドルを殺して食べる実際の事件をモデルにした『トランス 愛の晩餐』とか。だから食べるという行為は、本当にセックスもそうだけど三大欲の中で、いかようにも定義できると。でも人間が社会を形成していく上では、そりゃ問題も色々あるけど食えないことはないと思いますけどね。ことさら皆、タブーにし過ぎるところもあると思うんです。まぁ、それも大石さんの原作があってのことですけどね。でもそのあたりは、原作も含めて逃げないようにしたかったんですよ」

——今後の作品の御予定の方は?

 「12月9日に小説『サッちゃんの都市伝説 渋谷怪談III』が竹書房文庫から出ました。その後は具体的なことを言える段階ではないですが、3つくらいの企画が動いてます。そのうち一つはサイコ・スリラー、もう一つは全然違うジャンルのヒューマンタッチの作品、そしてもう一つが完全なホラーですね。半分は自分で原作を書き、脚本を書き、監督するということで、それはそれですごい手間がかかりますけど、トータルで完全オリジナルな作品になると思います。まぁ今回も、原作と称しながら半分以上はオリジナルになっていますが、次は全部自分でやりたいなと思ってます。そのオリジナルの小説版も、夏くらいに出す予定です。基本はエンターテインメントで、タブー的なな題材を扱っても、広い層にこういう視点もあるんだ…と観てもらえる作品を作っていこうと思っています」

——福谷監督ならではの100%オリジナル作品、期待します。最後に、観客の方へのメッセージをお願いします。

 「僕は基本的にはエンターテインメント志向で、実は昔、クイズ番組『カルトQ』のスティーブン・スピルバーグをテーマにした回に出てみたりと、スピルバーグも大好きなんです。彼も当時『JAWS』というゲテモノのパニックで、一級のエンターテイメントを作ってるじゃないですか。そういう意味で、誰もがやらない題材で誰もが楽しめるエンターテインメントをやっていくことを自分の中でテーマとしてやっていきたいと思います」

本日は、どうもありがとうございました。

(2004年12月10日 国際放映試写室にて)

執筆者

殿井君人

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作品紹介
『最後の晩餐』公式サイト
福谷修監督公式サイト