『愛されるために、ここにいる』『母の身終い』等で知られるステファヌ・ブリゼ監督最新作で、2015年カンヌ国際映画祭にて見事主演男優賞(ヴァンサン・ランドン)を受賞した『ティエリー・トグルドーの憂鬱』8月27日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国にて公開致します。 

年老いた母と息子の最期の日々の交流を描いた感動作『母の身終い』の監督ステファヌ・ブリゼと名優ヴァンサン・ランドンが再びタッグを組み、社会派ドラマとしては驚異の観客動員数100万人を記録した本作。

この度主演のヴァンサン・ランドンのオフィシャルインタビューが到着いたしました。

$red Q:社会の過酷な部分をテーマにした本作がヒットしたことについてジレンマはありますか? $

なぜだかわからないけれども、人々に感動を与えて成功する映画があると思えば、成功してもいいのに多くの人たちから受け入れてもらえない映画というのもあります。私たち映画を作っている人間、監督・俳優にはその理由がわからないんです。なぜこの映画が大成功するのか、なぜ観客はこの映画を観に行くのか、作った時点で少しは成功するだろうと思う映画はあります。成功するとは誰も思わなかった映画もあります。そして、成功してもいいような映画が観客の拒絶に合う場合もあります。私たちはどこでどんな失敗をしてしまったのか、何かプロモーションで言うべきでないことを言ってしまったのか、それがわからないんです。こうした映画というものは、観客との間でこういった不思議な関係にあります。
この映画の話を持っていくと、ほとんどの人が絶対うまくいかないと言っていました。失業者が主人公で、その失業者が仕事を見つけてまた失う。主人公は55歳で、障害者の息子がいて、とにかくそういう条件だけで、観客の足が遠のくような要素ばかりです。ですからこの映画を作るときに、とにかく低予算でつくろうと。そうすることによって、いろんなところからの圧力を避けられます。フランスで5000人が観てくれればいい、そういう風に始めたんです。そう思っていたところカンヌ映画祭の映画の審査部門から、この映画がコンペティション部門に選ばれるという話があって、その影響も大きかったんですけれども、そのあとこの映画がまた賞をとった。ということで、フランスでとても評判になりました。
そして、観客の人はおそらく素人が演じているということにも興味を持ったのかもしれません。自分と近い、自分と同じような人たちがこの映画の中で演じていて、その人たちがどんな演技をしているのかを見てみたいと思ったのかもしれません。









Q:役者として華やかな舞台で活躍されてますが、一般の市民の中でも割と下層というか恵まれない環境に生きる人を演じるにあたっての役作りについて

確かに私はフランスではこうした今回のティエリーの役、一般人というか大衆を演じることで知られていますし、私自身もそういう役がとても好きです。そして、おっしゃるように私も家庭はブルジョワなんですね、ブルジョワの出身なんです。ですから、こうしてこういう演技に説得力があると人に言われる時は、私は役者なんだなと実感して安心もします。そして父親もティエリーのような人たちととても近い人でした。ですから子供の頃からこうした価値観を父親から教わってきました。こういうティエリーのような人といる方が私も好きですし、実際に安心しますし、自分の階層の人たちといるよりも、安心します。俳優たちと食事をしても、実際は面白くありません。彼らは自分のこと、自分が抱えている小さな問題、そういう話しかしませんし、彼らは全くセクシーではありません。それよりは、いろんな仕事をしている、ほんとに世の中と直接的かつ現実的なつながりを持つ仕事をしている普通の人たちと食事をしたり、話をしたり、バカンスに行ったりする方が私は好きですし、そういう人を演じることが好きです。

Q:そういう方々との交流が役柄に現れているのでしょうか?

実際はわかりませんが、私自身、自分の仕事を完全にやり遂げる、完全にすることがとても好きです。ですから、その役を演じきって、そして、それが説得力を持っていること。それがとても私にとっては大切なことで、その役を演じるにあたって私が重要視しているのは、どんな風にその人が動くか、どんな洋服を普段着ているのか、どんな風に飲むのか、どんな風に食べるのか、そういったことなんです。私にとって重要なことは、形式であって内容ではないんです。形式の方が内容よりも大切なんです。ですから、まず形から入って、その内容というのはあとから付いてくるものだと考えているんです。もし、その主人公の役・人物がどんな服を着ているか、どんな車に乗っているかを無視して、例えば心理描写だけを念入りに勉強して用意したところで、決してそれは信じられるものではないと思います。フランスではよくこういう風に言います、同じような表現が日本にあるかどうかわかりませんけども、「人は見かけによらない」というふうに言います。でも、私は「人は見かけによる」と言いたいです。

Q:演じる上で今回の役は難しい役だったと思うのですが、他の役よりも難しいとお感じになりましたか?

今回の役が他のこれまでの役に比べて難しいというふうには思いませんでした。ちょうどいい時に、この役が自分に当ったと思っています。ただこの役が5年前にきていたら、おそらくそれは難しかったと思います。今回は十分に準備ができていたと思います。自分の中でこの役を演じる準備ができていたと思います。同様に、次に撮った彫刻家のオーギュスト・ロダンの作品、この役もそうです。もし3年前にロダン役の話がきていたら、おそらく私はやっていなかったと思います。今回受けたわけですけど、8か月間彫刻を学び、8か月間デッサンを学び、日に7時間ほどそれを勉強しました。この役のために髪を短く切って髭を伸ばし、1900年代のロダンの人生を自分で生きたわけです。ただこの役も、前に話が来ていたら受け入れられなかったかもしれません。こういったことはよく恋愛と同じようなものだと思っています。とても愛し合っているカップルがいて、こんなに愛し合えるなら、もっと前に出会っていればよかったねというふうな話をすることがありますが、私はそうは思いません。もしもっと前に出会っていたら、おそらく好きになっていなかったと思います。若すぎたということです。

Q:ステファヌ・ブリゼ監督と何作も撮られてらっしゃいますけど、どのように信頼関係を築いていかれたのでしょうか?

答えはもうほとんどその質問の中にあると思うんですけれども、相手に信頼感を持てばいいのです。よくインタビューで説明をしなくてはならない機会によく出会いますけれど、こういったことは自然にそうなっただけで説明できるものではないんです。それは恋愛関係にも共通していると思います。よく愛し合っている二人にお互いのどこがよかったの?というふうに聞いても、それはなかなか説明できないことであって、お互いが一目ぼれであり、お互いに出会って3秒くらいで何かが気に入るわけですね。映画も同じで、私はこのステファヌ・ブリゼ監督との信頼関係、二人の間の関係というのは映画を撮る度にますます良くなっていく。ただ、関係が良くなるというのは、映画を撮っている時は全く考えもしませんし、感じもしません。ただ撮っていくたびに私たちはますますお互いを信頼するようになり、好きになり、そして今回この映画が3本目だったんですけれども、この映画を撮ったことによって、またお互いを理解し好きになり、お互いの信頼も深まり、そしてお互いのことが良くわかり、しゃべる必要がないくらいにお互いを理解しています。そして、また来年ステファヌ・ブリゼ監督と新しい映画を撮ることになっています。

Q:新しい映画はどういった作品ですか?

今、ステファヌ・ブリゼ監督が脚本を書いているところなのでまだはっきりとは、、、本作は現代の世の中のことを語っていて、現在の私たちが生きている社会のことを語っている話ですが、次回作はその中で何かしら信仰を持っている、そういう人の話です。こうして私たちが生きている暴力的な世界では、何でもいいので何かを信じること、信仰を持っていないと生きていけないのではないか、そういう話です。

Q:日本の映画俳優や監督で好きな人はいますか?

もちろんいますよ。北野武監督は好きな監督です。実は黒沢清監督にフランスで会ったんですが、それは彼の映画に出演する為だったんですけれど、最終的には私ではなく他の俳優さんが選ばれたので、彼の映画に出演することはできませんでしたが、私はとても日本の映画に出たいと思っています。ですから、日本でそういう機会があればとても嬉しいです。日本人の監督は外国国籍の俳優をあまり使わないですよね。なぜかはわかりませんが、例えば、日本人がフランスの俳優を使ってパリで映画を撮る、もしくはパリにいる日本人を主人公に映画を撮る、そういう話すごく面白いと思うんですけどね。

Q:日本を舞台にした作品に出演したいですか?

そうですね。日本で起こっている話で、日本人が書いたシナリオで、もちろん日本語はできませんが(笑い)ヨーロッパ人が日本と対面する話にぜひ出てみたい。

Q:今、フランスを始めヨーロッパでは、テロの脅威が凄くあって、いろんな社会的な問題が浮き彫りになったりして、人々の生活もちょっと変わってきているんじゃないかと思うのですが、映画界をはじめエンターテインメント業界の方々なども、テロ以降何かを自重しなければならなくなったとかそういった変化はありましたか?

俳優も監督も人間ですし、私たちにも子供がいますし、一人の市民なんです。映画が何か変わるというよりも、一人の人間として、やはりすべてが変化したと思います。まあ地震の様なものです。地震があればパン屋も普通の人も天皇も失業者もすべての人が変わりますよね、その影響を受けますよね、大地が揺れるのですから。

Q:この作品でプロデューサーとしても関わっていますが、その理由はなんですか?

まず私自身、監督ととても近い存在で友人でもあるのでよく会っているんです。一緒にディナーをしているときに、「ちょっと実験的な映画を作ってみたい」という話になりました。その実験的なものというのは、素人の役者、全くプロではない役者を使って、2週間くらいで、しかも映画の撮り方もこれまでにないような撮り方でやってみたい。例えば、普通はカメラがそこにあって、そこに役者が入ってきて撮影をするんですけれども、今回は役者の方がそこに先にいてカメラが付いていく、カメラが役者を追っていくという、カメラより先に役者がいるわけです。カメラが役者より先にいるということがないんです。そういう撮り方をしてみたいと思いました。そうすることによって、観客が主人公のティエリーと一緒にその場面場面に遭遇していくわけなんです。そしてまた今回はとても低い予算でした。ただ私自身、このプロジェクトにとても興味を持っていたので、私はフランスで有名ですから、こういう有名な人がプロジェクトに参加するということで、1つの意味をこの映画に与えることができると思いました。まあそういうこともあって、私と監督ともう一人のプロデューサーの3人で、テレビ局や他の出資可能なフランスのあらゆる補助金の制度などで資金を集めました。と言っても1本の映画を撮るにしてはとても低予算です。

Q:この映画はドキュメンタリー的な要素もあると思うんですけども、今のフランスの社会情勢や政治情勢を反映しているのですか?

今日、世界で起こっていること、世の中で起こっていることはほんとに恐ろしいことです。例えば、そういう事実に近いことを見ると、皆さんすぐにドキュメンタリーという風に言われるんですけれど、実際にはそれが私たちの人生なんですね。これはフランスでもヨーロッパでもアメリカでもそうなんです。日本では、今のところそういう恐ろしい事実はないかもしれませんが、それが私たちの人生なんです。世界中に90億の人たちがいますけれども、その内20億の人しか実際には食べていけていないんです。例えば、こうしたステファヌ・ブリゼのような社会的な映画を撮る監督は、ヨーロッパにはケン・ローチやダルデンヌ兄弟がいます。ただこうした社会的な映画を撮る監督というのは、はるか昔からいたわけです。フランク・キャプラがゲイリー・クーパーを使って撮った『群衆』という映画は1929年のアメリカの世界恐慌を取り上げたまさに社会的な映画です。こういう映画はとても重要でした。またチャーリー・チャップリンは『モダンタイムス』などやはり社会的な映画を撮っています。
本作は、やはりリアリティーがありますし、ドキュメンタリーに近い自分たちの人生に近いものがそこに描かれています。決して映画は嘘を語っていません。とても現実に忠実なんです。それはとても残念なことなんですけども、これが私たちの日常であり、世界中で普遍的な日常なんです。

執筆者

Yasuhiro Togawa

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