デイヴィッド・クローネンバーグ監督、「スパイダー」で20年ぶりの来日!! 『記憶というのは、想い出すたびに書き換えられるものなんだよ』
デイヴィッド・クローネンバーグ監督がなんと20年ぶり(「デッドゾーン」以来)の来日を果たした。新作「スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする」ではレイフ・ファインズが母の記憶に拘泥する孤独な精神病者を演じ、カンヌ映画祭などで絶賛を受けた。29日に渋谷・HMVで行われた記者会見ではテーマがテーマだけにか、監督が監督なだけにか、終始哲学的な質問が飛び交った。なお、来日に先駆け、日本の映画業界関係者が選ぶ「クローネンバーグ作品ベスト3」を実施。当日、クロ−ネンバーグを前にしての発表も行われた。ベスト3は、第三位が「戦慄の絆」、第二位が「裸のランチ」、第一位が「ザ・フライ」。この結果に対し、「日本のマスコミの皆さんは多様性に富んでいていいね。3つとも全然違うタイプの映画だろう。今回の『スパイダー』も気に入ってもらえたら嬉しいね」(クローネンバーグ)とのこと。
※『スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする』は3月29日よりロードショー!!
ーー本作のテーマについて教えてください。
本作の主人公は非常に実存主義的な存在だ。一言で言ってしまえば、アイデンティティを模索し、記憶を辿るという物語だろう。
ーーレイフ・ファインズの役作りについて。劇中での表現は彼独自のものなのでしょうか。監督はどのようなアドバイスをしたのでしょうか。
あの役は非常に複雑なキャラクターだ。僕とレイフはいろんなことについて話し合ったよ。詩的なことーー例えば記憶とは何か、自分という存在は何か、ということに始まり、もっと視覚的なことーー彼の髪型はどんなで、果たして洗っているのかということ、コートのラインやそれがどのくらい汚れているのかということ、スーツケースの中身のこと・・・。特にスーツケースの中身は彼の人生をそのまま表しているのだから非常に重要なことだった。実際、あの鞄を持ってレイフに移動してもらったこともあった。主人公デニスの心情を理解するためにね。
演技の根本的な部分はレイフに全てを任せた。彼はコンセプトを自分の身体に置きかえることのできる、珍しいタイプの役者なんだ。多くの役者がまず感情を押しだして演技をする。けれど、レイフは違う。自分の身体でそれを表現してくれる本当に素晴らしい俳優だ。茶目っけがあって楽しい人だったし、また、仕事を一緒にしたいと思うね。
ーー精神的に病んだ人物が語り手となるわけですが、監督自身はセラピーなどの経験は?
セラピーは受けたことがない。本当の話、自分が知っている人間のなかで自分が一番精神的に安定していると思うよ(笑)。だけど、精神崩壊というテーマには興味がつきない。自己のアイデンティティというテーマと同じようにね。これについては俳優という職業が一番詳しいだろう。彼らは常にそれを模索しているから。自分とは誰か、この役はどんな人物か、という具合に。
ーー原作のもつジメジメとした触感を映画化にあたって、やはり意識されましたか。
劇中でも現われていれば嬉しいのだけれど。イギリス特有のジメッとした感じ、例えば壁紙に生えたカビとか、美術には気をつかったね。また、主人公は自分がガス臭いと思っている。実際にはそんなことはないんだけれど、脳のしくみ、記憶のしくみには匂いが深く関わっている。そうした嗅覚的な部分も大切にしたかったんだ。
ーー自分が信じていたはずのことが、実は幻想に過ぎないかもしれない。そのような経験はありますか。
記憶というものは作り上げていくものだと思う。同じ記憶であっても、それを思いだすたびに何らかの脚色をしたり、知らずに演出を加えてたりするものだ。記憶はつかみどころがなく、いつも変わっていくものだろう。
ーー人間の深部に触れる作品が多いと思いますが、それを表現するにはやはり、ダークサイドに焦点を当てるべきだと思いますか?
もちろん、人間のさまざまな側面に関心がある。ただ、バーナード・ショーも言っていたようにドラマというのは人生とは違った対立や葛藤が必要になってくるものだと思う。
多分、誰しも経験があるのでは、と思うのはハリウッドのコメディを見て逆に気分が落ち込んだり、暗い内容の映画を見て高揚感を味わったり、わくわくする気分になったり。選ぶテーマは必ずしも観る者の心に直接的に影響するものじゃないと思うしね。
執筆者
寺島まりこ