第9回シネアストオーガニゼーション大阪(CO2)の助成作品である鈴木洋平監督『丸』。この年の審査結果は、作品賞無しというものだった。CO2助成作品の著作権は制作者にある。編集や上映は制作者の自由だ。今後も上映に向けて活動していくという鈴木監督の言葉通り、その後『丸』はPFFアワード2014に入選。さらにバンクーバー国際映画祭ドラゴン&タイガー・ヤングシネマ・アワードにノミネートと、着々とコマを進めている。

 そんな鈴木監督から、「PFFアワードの上映の告知を書こうとしてPFFが始まった77年を基点とした音楽と映画の歴史を辿っていくと面白いことになるんですよ!」と連絡が入る。資料として送られた長文を印刷するとA4・2枚に連想方式でびっしりと書かれている。(リンクはこのページ下にあり)

 まず『丸』の紹介ではなく、PFFの背景からという思考回路が面白く感じた。『丸』のつかみきれなさは、そんな鈴木監督の独特な志向と繋がるのか?そして果たしてこれが告知につながるのか?という疑問も含めて鈴木監督にインタビューを試みた。

 映画『丸』は、第36回PFFにおいてDプロ・9月14日の11時半、9月18日の15時半に登場。
バンクーバー国際映画祭では10月1日の19時、10月3日の10時に上映予定となっている。

















●不健全にならないために色んな話を知りたい
——『丸』の宣伝文句を書くために、PFFが始まった年に至る歴史を調べたというのが面白かったです。

鈴木:いざ自分が映画を作るとなると、僕たちは映画史に自覚的になって色んなものを観たり聞いたりしなければならないという呪いにかかる。呪いにかかると不健全な観客、あるいは監督にならざるを得なくて、不健全にならないために、歴史を参照しつつの、ひっくり返して遊んでみる。そこから様々なことがわかってきて。年代で色々調べていると1977年を起点に考えてみると面白いんですよ単純に(笑)

——この文章は元々どういったところに載せるために書かれたんですか?

鈴木:宣伝文句のために書き上げてみた、メモみたいなものです。対話の中でここに書いてあることから飛躍して何処かに行きつけるんじゃないかと。
PFFで上映することが決まって、PFFって一体なんだろうと。でかくて影響力がある。1977年に始まったのは色々理由があるんじゃないかという風に推測してみたんです。

1977年、1月アンリラングロア、4月にガンモマルクス、6月ロッセリー二、8月グルーチョマルクス、12月25日にチャップリンが死んでます。もうこれだけで色々な推論が立てられそうなんですが、今回は、この年にエルヴィス・プレスリーとビング・クロスビーという2人のスターの死に注目しました。1977年はこの2人が死んだ年ということで覚えている人がいるくらい強烈だったんじゃないかと。理論建ててみると一貫した音楽史だけでなく、トーキーが生まれたことにより映画で音楽を売るというタイアップ映画史みたいなものが自分の中で作り上げられて、そこが面白いんです。クロスビーはジャズ、エルヴィスはロック、それぞれのイノベーターです。エルヴィスが出てくるとクロスビーは苦言を呈する。さらに、ビートルズが出てくると、エルヴィスがビートルズに苦言めいたことを言う。エルヴィスは徴兵されましたけど、ビートルズのときはベトナム反戦ですよね、ビートルズがデビューした辺りから映画も音楽も政治の季節を迎えるんです。やはりゴダールが象徴的ですよね。そうなるとゴダールとエルヴィスを比較検証せざるを得ない、こうやって脱線し続けて遊んでます。

(鈴木さん覚書より抜粋)
1948年にエイゼンシュテインとグリフィスが同じ年に死んでいることから、戦後映画は1948年から始まったと推測します。ここから始まると脱線が止まりそうにないのでやめますが。2人の活動を年度別に羅列すると、これが面白いんです。クロスビーのジャズからエルヴィスのロック、ビートルズを挟んで、しいてはパンクロックまで、そして、メジャー映画から、ヌーベルバーグ、ニューシネマなどのインディペンデント系映画の誕生から変遷が1977年までに見出せることが分かったんです。

——歴史を辿っていく中で得た結論はどのようなものでしたか?

鈴木:『丸』って、あらゆる映画史とは無関係に存在しているという結論に達しました。1977年にPFFが始まって、同じ年にはアメリカで『スターウォーズ』や『未知との遭遇』が公開されたり。今は巨匠の監督がやっと出て来て、『スターウォーズ』が一番象徴的だと思うんですけど、金のかかった自主映画というような言われ方をしているんですけど、メジャー系の映画と私的な映画が幸福に出会ってストレートに観客に届いて、現在進行形で今も新作が作られている。
そういうものと自分の映画が全く無関係だっていうのがいいなと思っています。

●“物語を語る”ということに関しては凄く真面目に考えている
——普段からよく知られているものに対して検証し直して行くのはお好き?

鈴木:何かしらきっかけがあるんですが、最近演歌とか、歌謡曲の研究をしているんです。例えば童謡の『シャボン玉』で有名な茨城県出身の作詞家で野口雨情。『枯れすすき』という詩を書いていて、その後『船頭小唄』という歌として発表されるんです。作曲は中山晋平です。その歌が今ある演歌の元にではないかと言われているのを発見してなる程と。この曲は今や演歌のスタンダードですけど、中山晋平に影響を受けて、古賀政男。古賀政男に影響を受けて船村徹と繋がって行くのが面白い。『船頭小唄』はその時代に流行った歌に対するアンチなんですよね。文部省が推奨した唱歌は外国の民謡を日本風に編曲したものだった。それに対して、より日本的な歌を志向する童謡運動が起こる。これは渡来文化に対する政治的な運動なんじゃないかと、そういった推論を立てる、そういうのが楽しい(笑)
時代の背景を調べると、分かったことが自分の映画の発想の源になってくる。最近は特にそうですね。

——『丸』の時はどうだったんですか?

鈴木:『丸』の時はむしろそういうものと無関係に存在する映画にしようと考えていた。そんなに順序建てて考えてはなかったんですが、方法論が変わって来た。今は何か中心がわかる方が相対が考えられるというか。

——鈴木さんに1番最初にインタビューした時に、「観客を意識しすぎるあまり、方向を見失わないようにしたい」と言っていましたが、この辺に対する考え方は何か変わりましたか?

鈴木:変わってないです。今も無視したいですね(笑)。
それでも考えざるを得ないところはあるんで、出来るだけ無視したいとしてやった映画が今回みたいにPFFやバンクーバーに引っかかると微妙な気もしますね(笑)

——CO2では助成作品から作品賞が出ませんでしたが、その結果を踏まえて考え方が変わったことや、逆に変わらなかったところは何かありましたか?

鈴木:あの時、万田邦敏さんに「自分はちょっと高いところに居過ぎだよ」って言われて、それはあなたもそうじゃないかと思ったんですけど(笑)

——高いところってどういう意味だと思いましたか?

鈴木:感覚的にはよく分かったんですけど、考え過ぎってだってことなんじゃないですか。

——それは“観客を無視したい”ってことに繋がっているんでしようか。

鈴木:万田さんに関しては全く逆だと思うんですけど、向かっている方向は同じなんじゃないと。もっと物語を語ることに真摯になるべきなんじゃないかということでした。

——それに対してはどう思われましたか?

鈴木:僕は観客がどう見るかをあまり考えないんですけど、“物語を語る”ということに関しては凄く真面目に考えています。今回のこういう推論もそうですけど。いわゆる歴史みたいなものを自分なりに自分なりの物語として語りなおすというか。自分の方に寄せるみたいな。これも僕の中では物語のひとつなんです。関連付て語ると言うことは。

——PFFに応募する時、編集はされたんですか。

鈴木:少し削ったり足したり。凄く自分側に寄せたって感じですね。もっとよく分からなくしようと思って。そういう悪意を最終的に込めました。

——でも支持されたってことですよね(笑)。具体的にどこが評価されたかはわかりますか?

鈴木:そこら辺はまだよくわからないですね(笑)。やはりみんなポカンとしたらしいですけどね。

——PFFとバンクーバー、それぞれどんな質問が出てくるか楽しみですね。

鈴木:『丸』に関しては観念的な方向に舵を切ったので、観た人の印象は様々にならざるを得ない。その分色んな質問が来てもおかしくないなと思うんです。それを質問として僕にぶつけてくれればいいんですけど、どうにも出来ずに自分の中に収めてしまう人が多いかも。

●無自覚にならないことで
——鈴木さんが考える観客を無視するとはどういうイメージ?

鈴木:映画って物語的じゃない映画もあると思う。しかも僕の映画ってこっち寄りだと思う人が大半だと思う。それだと面白くない。全く逆のこと考えているのに映画はよくわかんないものになっていたと言うのが。その方が面白い。

——歴史の流れを考察しつつ、出来上がったものがよくわからないみたいな感じですか?裏打ちがありながらわからないものができてしまう(笑)

鈴木:無自覚にはやりたくないんです。例えば僕は小林旭が凄く好きで、“渡り鳥”って固有名詞は小林旭のものだと思うので、無自覚に使ってる人を見るとそれはダメだよと思う。自分はそうなりたくない。それが分かってないと観客を無視したりすることも出来ないと思うんです。だから色々知りたい。

——小林旭はどういうところに惹かれますか?

鈴木:歌うスターって今いないんじゃないかと。ジャニーズとかあるかもしれないけど、もっと思いっきり歌ってみたいなと単純に。小林旭みたいなことして。
しかも渡り鳥シリーズは地方にでで地方の民謡を歌ったり、ああいうの凄くいいなと思ったんです。僕も地元で映画を作って行こうと思ってるんでその方法論って凄くいいなと思って。

——その時代に確立していたと。意外なところに話が着地したような(笑)

鈴木:小林旭は野口雨情の『証城寺の狸囃子』とか童謡も歌っていていいんです。ロックも歌うしボサノバも歌うし。何でも来いて本当にカッコいいなと(笑)

●純国産のボブディラン物語が日本でできる!

(鈴木さん覚書より抜粋)
映画におけるクロスビーの歌と映画、エルヴィスの歌と映画、日本だったら小林旭のような歌うスターの映画は非常にいいものだと思った。タイアップの歴史は、いいものだと思う。そういった文化が疲弊して来たのもこの間の話だろう。

——最後のところでタイアップについて書かれていますが、鈴木さんの映画でそういった構想は?

鈴木:今シナリオ書いているうちの2本がそういう歌に関するものです。
1つは、すでに亡くなった昭和の大作詞家の残された家族とラジオパーソナリティをやっている作詞家の弟たちの家族旅行を考えている。この大作詞家は創作したキャラクターです。『船頭小唄』や今の演歌のスタンダードになっているような曲を現代版の替え歌として、コミックソングとしてクレイジーキャッツとか流行っていた時代にやって大失敗した。そういう作詞家のキャラクターを想像しています。長編で演歌が印象的に掛かる映画を作りたいなと思って。
今ってタイアップって凄く否定的。歴史的にみると正当な文化だったし効率がいいと思う。それを自分なりにやりたいなと。

——今までにない作品の方向に行きそうですね。

鈴木:演歌はいいですよ。大正・明治の自由民権運動から出てきている。

——演説歌ってことなんですね。そういった流れを汲むものと後にスタンダードになる艶の演歌。鈴木さんが興味持ってるのはどっちの演歌ですか?

鈴木:両方ですね。民権運動が下火になって演説の歌を歌っていた人たちが仕事がなくなって、仕事場が演説会場から飲み屋や料亭、さらには路上になって行く、歌の内容も三面記事的な色恋沙汰みたいになって、芸人化して行く。これ、ボブディランみたいだなと。純国産のボブディラン物語が日本でできるんだ、と熱くなりました。大島渚監督の『日本春歌考』は添田知道の原作が元になっているんですけど、添田知道のお父さんが添田唖蝉坊といって演歌師だったんです。もう一つの企画が、政治的な歌を歌いたいけど時代が望んでいないから、三面記事的な色恋沙汰の歌に甘んじてしまう演歌師の話です。志は高いけど商業主義に吸収されてアイドルみたいな歌を歌うしかないみたいな。ああいうことが、この時代にもあったんだのが面白いなと。

——歴史的骨格をもちながら、よく分からない映画になるということなんですね(笑)。今後も楽しみにしています。

執筆者

デューイ松田

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