1962年、パリ。株式仲介人のジャン=ルイ・シュベールは、妻シュザンヌが雇ったスペイン人メイドのマリアを迎え入れる。彼女は、シュベール家と同じアパルトマンの屋根裏部屋で、同郷出身のメイドたちと暮らしていた。軍事政権が支配する故郷を離れ、異国で懸命に働くスペイン人メイドたちに、次第に共感と親しみを寄せるジャン=ルイは、やがて機知に富んだ美しいマリアに魅かれてゆくのだった。しかし、そんな夫の変化に無頓着なシュザンヌは、彼と顧客の未亡人との浮気を疑い、夫を部屋から追い出してしまう。こうしてその夜から、ジャン=ルイはメイドたちと同じ屋根裏で一人暮らしを始めるが、それは彼に今まで味わったことのない自由を満喫させることになる…。

本作は、本国フランスで220万人を動員する大ヒットを記録、「エンタテインメントの傑作!」と絶賛を浴びた。共同脚本には「ぼくの大切なともだち」のジェローム・トネール、撮影は「死ぬまでにしたい10のこと」のジャン・クロード・ラリュー。”完璧なゆで卵”にこだわる心優しき主人ジャン=ルイを演じるのは、フランスが誇る名優ファブリス・ルキーニ。妻シュザンヌには『プチ・ニコラ』のサンドリーヌ・キベルラン、メイドのマリアにはスペインの新星ナタリア・ベルベケ、そしてマリアの叔母コンセプシオンをアルモドバルのミューズ、カルメン・マウラが貫禄たっぷりに演じ本作でセザール賞助演女優賞に輝いた。メイドの作る”完璧なゆで卵”が男に至福の歓びをもたらすように、彼女たちとの出逢いは、退屈で味気なかった男のモノクロームの日々を、情熱と好奇心に満ちた毎日へと色づかせたていく。

人は何歳になっても、人生をやり直すことができる。笑いと優しさで綴られたこの作品は、たった一度きりの人生を公開なく愉しむ、その秘訣をそっと教えてくれる。

60年代のパリを活き活きと現代に甦らせたのは、フランスの俊英フィリップ・ル・ゲイ監督。ブルジョワ出身で、実際にスペイン人メイドと暮らしたいという彼自身の幼少期の想い出を基にしたと語るル・ゲイ監督にインタビューを行った。




−−この映画は監督の自伝的作品とのことですが、監督自身はどのような少年時代を過ごされてきたのでしょうか? また、映画にはちょっぴり風変わりな、主人公ジャン=ルイの2人の息子たちが登場しますが、こちらは監督がモデルなのでしょうか?

フィリップ・ル・ゲイ監督:この映画が、実話に基づいているところは、父親の職業が株式の仲買人だったということと、スペイン人のメイドがいたというところだけです。私の父は実際は逃げてはいませんからね(笑)。少年時代の私はシャイで、読書と映画館に行くことが好きな少年でした。映画の中の2人の息子たちは、ブルジョワの子の典型を描いたつもりなので、彼らと私とは違うと思いたいですね(笑)。

−−完璧なゆで卵にこだわる主人公ですが、それがきっかけでマリアに興味を持ちます。日本では「男の胃袋をつかむ」という表現をしますが、フランス人である監督はいかがお考えですか?

フィリップ・ル・ゲイ監督:まず、主人公のジャン=ルイは実はゆで卵に惹かれたわけじゃないんですね。何が重要かというと、彼は家の中で誰にも関心を持ってもらえなかったということなんです。妻にもね。そんな彼のために、新しく来たマリアという若いメイドが話を聞いてくれて、彼の意に添うようにベストを尽くしてくれる。それが彼の心を動かしたんだと思います。それが妻よりも、メイドであるマリアにつながりを感じるということにつながったんだと思います。主人とメイドはプライバシーについて踏み込んで話すということはないのが普通ですからね。

−−ドゴール大統領時代、60年代のフランスというのは、日本人にはなかなか分かりづらい時代だと思いますが、フランスとスペインの関係を中心に、物語の時代背景を教えていただけないでしょうか?

フィリップ・ル・ゲイ監督:当時、スペインはフランコ独裁政権の中にありました。フランコ将軍は1938年に残酷なやり方で内戦を勝ち、1975年に亡くなるまで圧政を敷いたわけですね。政治的なことだけでなく、国はとても貧しくて飢餓もあり、しかも政権はその経済をどうすることもできないという中にあって、当時のスペインはまるで19世紀のような暮らしをしていました。田舎の村には電気もないという状況でした。そんな状況の中で、むしろ政府が率先して女性たちを外国に行かせて、本国にお金を送金させるということを斡旋していました。

一方、フランスの1960年代は、第2次大戦が終了して15年後ぐらいなのですが、高度経済成長期を迎えていて、経済的にも大きく、スペインとは大きな違いがありました。スペインからフランスに来たメイドたちは、その当時のフランス人がアメリカに行って、何もかもが大きくて、全てが素晴らしいと思うように、全く新しい世界を見ていたと思います。そういうものを出したいと思っていました。

−−監督自身がそういったスペインとフランスの違いを感じたことはありますか?

フィリップ・ル・ゲイ監督:小さかったのであまり覚えていませんが、1960年代にたくさんの黒い服を着た女性たちが街中で集まって大きな声で話していたエネルギッシュな姿とか、祖母の家のルルドというメイドが、彼女はスペインなまりが強くて、何を話しているか分からなかったのですが、温かくて、とても優しかったことや、彼女が醸し出す異国の香りというのは覚えています。

−−ファブリス・ルキーニがとてもすばらしい演技を見せました。彼との仕事について教えてください。

フィリップ・ル・ゲイ監督:お互い昔からよく知っていて、今回で一緒に仕事をするのは3回目です。普段の彼はとてもしゃべる人で、パワフルで6人のスペイン女優分ぐらいしゃべれるぐらいです。ただ、この役に関しては、演出で控えめな、抑えた演技をお願いしました。スペインの女優に対して受け身のような演技、状況を見つめるような。スペイン人のメイドたちの魅力に魅せられるというような、少年のような感じですね。実際に彼の役というのは少年のようなところがありますよね。

−−続けて妻のシュザンヌ役のサンドリーヌ・キベルラン、メイドのマリア役のナタリア・ベルベケについての印象もお聞かせください。

フィリップ・ル・ゲイ監督:サンドリーヌ・キベルランは素晴らしい女優で、素晴らしい選択だったと思っています。か弱くて、自信のない妻で、常に自問をするようなところがある役なんですね。彼女は田舎の出身で、自分がいるところも完全には自分の世界ではないと感じています。それ故に、ブルジョワが持つ高慢さは彼女にはありません。夫の行動を理解する中で、自分のあり方とか行動を考え直すようになっていくという役を演じてくれました。ほかの、自分とは違う世界を理解しようとしないという人物とは違うというキャラクターなんですが、そこを非常にうまくやってれたと思います。

ナタリア・ベルべケは、スペインのプライドを体現したような人で、メイドの役ではありましたが、お姫様のように画面の中ではふるまっていたと思います。彼女は美しさがはっきり出るようなタイプではありません。彼女の魅力というのは多分、一回見ただけでは伝わりにくいところがあると思うのですが、映画を観ていくうちにだんだん理解されていくようなタイプの魅力ですね。一見普通で、あまりスターではないような魅力、そういう理由で彼女をキャスティングしました。

−−ペドロ・アルモドバル作品の常連女優であるカルメン・マウラはどのようにして参加がきまったのでしょうか?

フィリップ・ル・ゲイ監督:ご存知のようにスペインでは非常に有名な女優で、唯一この映画を撮る前に知っていたスペイン人女優でした。彼女をキャスティングしたいと思っていましたし、いわば本作品のスペイン人女優たちのゴッドマザー的な存在でもあると思います。他のスペイン人メイドたちはオーディションで選びましたが、彼女に関してはこちらからオファーをしました。だから彼女がこの脚本を気に入ってくれたときは、とてもうれしく思いました。同時に、撮影の前段階においてもとても協力してくれました。

−−隣人に対するジャンルイの偏見のない姿を通じて描かれた素晴らしい人間賛歌だと思いましたが、監督がこの映画で伝えたかったことは?

フィリップ・ル・ゲイ監督:作品はメッセージというよりも、感情や“感じ”(feeling)を伝えるものだと思います。和解とか、融合というものでしょうか。主人公が過去や自分の子ども時代とか、あるいは自分が持っていた真の感情というものを見つけ出し、それと和解していくという、彼がブルジョワの生活の下に持っていた本当の感情とか。あるいは、階級の違いとか、フランスとスペインの違いを乗り越えていくという“感じ”(feeling)ですね。

執筆者

壬生智裕

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