『キッチン・ストーリー』から5年──。雪景色のノルウェーから届いたのは心がほっこり温かくなる映画。

監督のベント・ハーメルが主人公として白羽の矢を立てたのは、勤続40年の生真面目な運転士、ホルテンさん。ホルテンさんは真面目すぎるくらい真面目な人物なのだが、真面目な性格とは裏腹に、定年退職日に何と人生初の遅刻をして自分が乗るはずの列車に乗り遅れてしまう・・・という悲劇に直面!! 規則正しく続く道なりをずっと生きてきたホルテンさんだったが、この出来事を機にその道を大きく脱線! 果たして彼を待ち受ける運命とは──?

ホルテンさんの悲劇をところどころユーモアを散りばめながら描かれた本作は、本国ノルウェーで2007年のクリスマス・シーズンに封切られ、ヒットを記録。2008年度のアカデミー賞外国語映画賞のノルウェー代表作にも選出された。撮影が終わった今でも「私はまだホルテンさんと旅を続けている」と話す監督は、本作を作るにあたっての想い、「見ているだけでおもしろい」という理由からホルテン役に選んだ俳優のボード・オーヴェについて、そしてラストに込めた母への想いなどを恥ずかしがりながらも語ってくれた。





現在ノルウェーでお年寄りが直面している問題とは何でしょう?

基本的にノルウェーでは退職された方への福祉支援など、政府からきちんとしたサポートがあるんだ。ただ、それとは切り離しては考えられない部分があって、お年寄りに対する皆さんの態度など、どのようにお年寄りに接するか、といった関心のほうが深いかもしれないね。

それはどのような態度のことでしょう?

日本だと定年退職する年齢がどんどん上がっていると聞くが、ノルウェーの場合はその逆で、67歳くらいで定年退職していたのが、65歳になり、今では62歳くらいまで下がってきている。退職と言っても、蓄えがあって健康な人もいれば、蓄えなんてほとんどなくてこのまま仕事を続けたいと思う人もいるだろう。前者にとってはうれしいことかもしれないが、退職してしまえばやはり社会とのつながりも失ってしまうし、後者にとってはつらい生活になってしまうかもしれない。
でも、定年退職者というのは個人的なものではなく、1つのグループとして見たときにやはり非常に孤独なものに映る。そういった意味では、人生の質といったものも考えなくてはいけないし、そういう人たちを若い世代がどのように受け止めるか、といった問題があると思う。

“鉄道員は規則正しい仕事だから主人公の職業に選んだ”と言うことですが、他にも何か理由があるのでしょうか?

確かに規則正しい生活の中で仕事をするのが鉄道員なんだが、どの段階で主人公の職業を鉄道員にしたかは全く覚えてないね。ただ、この脚本は今までのものと全くプロセスが違っていたんだ。今までの脚本は、中心となる場面があってそこから外へ広げていく感じだったんだが、今回はパズルのように部分的なピースがいくつかあって、それを基に中心となる場面の構造を考えていくというこれまでとは違うやり方だった。
もちろん、主人公・ホルテンさんの仕事の特性としては、ここからここまでという決められた道のりを時間通りに走るという、どちらかと言うと安全な軌道から外れない道を歩んでいることになる。でも、その部分を取ってしまうとホルテンさんは社会とのつながりはもちろん、仕事仲間との付き合いも避けていたし、家族もいない。そうなると本当に孤独になってしまうんだ。

ホルテンさんを演じたボード・オーヴェの魅力とは?

彼はすばらしい俳優だよ。彼が演じたホルテンさんは映画のほとんどのカットに登場するから、“見ているだけでおもしろい”という人を選ぶ必要があったんだ。ホルテンさんにはあまりせりふがないので、何も言わずに佇まいだけで興味深いと思える人を探さなくてはいけなかったが、それは非常にリスクがあることだと最初から思っていたよ。私はボード・オーヴェを見たとき、顔もそうだし、全体的に見てもおもしろい人だと感じた。彼は20年くらい前からずっとデンマークに住んでいて向こうで仕事をしていたため、最初は同僚から彼を「ホルテンさん役に・・・」と推薦されてもピンとこなかったんだが、彼の写真を見て出演作『キングダム』などの映画タイトルを聞いてすぐに理解したよ。そして直感的に彼ならこの役にぴったりだと思った。人によって、実物はすごくいいのにカメラの中に入ると普通になってしまうという人もいれば、その逆で一見普通に見えてもカメラの中に入るとおもしろい存在になるという人がいる。彼はまさに後者だと思ったね。

本作をはじめ、いつもアイデアはどんな時にひらめくのでしょうか?

『キッチン・ストーリー』は観たかな? なぜそう聞くかと言うと、その作品と今回の作品とのプロセスが全く逆だったからだ。『キッチン・ストーリー』の場合は、25年くらい前の話になるが、ある1ページにあった話を基に映画を作ると最初から決めていたので、中から外へと広げ作り上げる感じだったが、今回ははっきりしたものは何もなかったんだ。いろいろなものをつなぎ合わせて今回の作品ができ上がったわけだが、撮影を終えた今でも何だか自分はまだホルテンさんと一緒に汽車に乗って旅を続けているようだ。もちろんストーリーを作るからには、始まりがあって終わりがあるというきちんとした枠組みの中で作るんだが、まだ自分の中では旅を続けているような気分だよ。

少し長くなってしまうが、先ほどこの脚本を書くプロセスについて、いろいろなよいアイデアがあってそれをパズルのように嵌め合わせたと言ったね。そしてそれはリスクのあるやり方だと。いくらよいアイデアとよいシーンがあっても、やはりそれは最終的に1つの作品として完成させなくてはいけないので、例えばとてもおもしろくユーモア溢れるシーンがあっても、最終的にそれを観客に信じてもらわなくてはいけない。ストーリーを観客に伝えて、自分の作った世界の中に観客を引き込むことができなければどんなにいい素材があっても説得力のない作品になってしまう。そういう意味で今回はリスクを伴う作り方だったんだ。

とにかく、観客に信じてもらえることができたなら何でもできる!と言ったら言い過ぎだが(笑)、いろいろなことに挑戦できると思う。今回、非常にオープンマインドで作ったが、その分とても注意深くプロセスの中で何を外し、何を選んでいくかということを慎重に行ったんだ。

あと、本作にはうそだと感じられるが実際にあった話なんかも織り交ぜたよ。例えば、目隠し運転を得意とするシッセネールの話だね。私が生まれ育った町で、1960年代くらいに透視能力のあるという人たちが本当に隣(助手席)に郵便局員か警察かはわからないが誰かを乗せ、自分は目隠しをして目標地点まで運転するといった催しがあったことを友人から偶然聞いたんだが、運転し始めて2つ分の信号を走ったあたりで突然車がカーブして止まってしまったらしい。それでどうしたのかと隣の人が確認したら、すでにその人は死んでいたそうだよ。これは本当に悲劇だが何ともおかしいような話で、それを自分の作品に入れてしまおうと思った。ホルテンさんももしかしたら目隠し運転できたかもしれないね。絶対そんなことしないだろうけど(苦笑)。

ずっと規則正しいリズムで生活してきたホルテンさんが、突然道を脱線してしまいます。それには監督の願望というのがある程度入っているのでしょうか?

彼は40年ちかくやってきたことを何一つ変えようとせず、ひたすら同じことを繰り返していた。ホルテンさんを誘う同僚の声に耳を貸すこともなかったのに、彼は初めて自分の人生に対して挑戦したんだ。仲間との送迎会に行く際、表のドアが閉まってしまい、仕方なく工事用の足場をつたって進んでいくホルテンさんは、途中いくつも開けたカーテンを開けていく。もしかしたらあのカーテンというのは、今まで友人と自分、そして社会と自分をさえぎっていたものだったのでは?という見方もできる。

そして辿り着いた部屋で出会った子供の「寝るまでここにいて」という言葉によって、ホルテンさんは規則正しい一定のリズムを保った生活から抜け出したんだ。もちろん観客がそこまで分析しなくてもいいんだが、やはりその考え方って詩的な感じだよね。
そして彼は初めて後戻りできない状態まで来てしまった。もしかしたらそれは彼にとって楽しいことであったかもしれないし、彼の人生には必要なことだったんだと思う。
あと、ある海外メディアから「劇中のスキージャンプのシーンで、プロではないホルテンさんがあんなに高いところから飛んでしまって大丈夫だったのか?」といった質問があったが、私はあそこでもし彼が飛ぶという決断を下さなかったら、別の意味で死んでしまうんじゃないかと思ったんだ。

先ほど、監督は「わたしはまだホルテンさんと旅を続けている」と言っていましたが、それは監督自身まだ変化の途中だということですか?

そうだね、そうありたいと思う。自分はまだ変えられる、ほかのこともできる、そういう能力があると思っているし、自分自身や人生についてまだいろいろなことを発見できると思っているし、願っているんだ。

若い人がお年寄り描くと、よく「かわいい」とか「物知り」といった目線で描かれることが多いかと思いますが、それについて。

若い人はこうで、お年よりはこう・・・という風には私は描くつもりはないよ。人生経験の違いはあるかもしれないが、もっと個々の人格や性格を描きたいと思っているので、あまり年齢やその人のもつ背景にこだわったりはしないね。

ラスト、スキージャンプ台で少女がほほ笑みますよね。そのシーンに込められた監督の想いとは?

アメリカのメディアから出た質問で、「あのシーンは夢だったのか?」というようなことも聞かれたが、私はあそこで彼は本当にジャンプしていると思うし、その結果死なずに大丈夫だったという風にも思っている。人生において何かチャンスがあるならそれを掴まなくてはいけないし、人生というのは絶対に自分がいる限り終わりになんてならない。常に人生に対して「YES!」と言っていかなければいけないよ、というのがおそらく私がここで一番言いたかったメッセージなんだと思う。

私の母もスキージャンパーだったので、全てのお母さんにこの作品を捧げたい、そんな想いからあのラストシーンにしたんだ。子供の頃から母にいろいろなスポーツを教えてもらっていて、スキージャンプはもう辞めてしまったが、そういう機会を与えてくれていつでも背中を押してくれたのは母だった。誰もがきっと“大丈夫だよ”と背中を軽く押してくれる人が必要なんだと思うが、私にとってその役割をしてくれたのは母だったんだよね。そういった母への感情から、最初は恥ずかしくてあのシーンを取ってしまおうかと考えたこともあったね(苦笑)。

監督の二人のお子さんも出演されているそうですが。
そうだね。でも、絶対俳優にはなりたくないらしいよ(苦笑)。ホルテンさんを呼び止める男の子に、下の子を起用したんだが、「プレステでも何でもごほうびあげるから」と言って説得したんだ(笑)

執筆者

Naomi Kanno

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