ミシェル・ゴンドリー(NY)、レオス・カラックス(パリ)、ポン・ジュノ(ソウル)の3人の監督がそれぞれ東京を舞台に日本のスタッフ・キャストとともに共作した最高にエキサイティングなオムニバス映画『TOKYO!』が世界先行で日本公開中だ。
ポン・ジュノが監督する『シェイキング東京』は、香川照之、蒼井優をメインキャストに迎えて、引きこもりの主人公がピザを配達にきた娘に恋をして十数年ぶりにはじめて外にでると、東京中から人の姿が消えていた…というユニークな設定でボーイ・ミーツ・ガールを繊細に、かつダイナミックに描いた。
漫画や映画など大の日本通でもあるポン・ジュノ監督。無人の東京をテーマにした中野正貴の写真集「TOKYO NOBODY」からのインスパイアや、『ゆれる』(西川美和監督)の名演から香川をアテ書きしたシナリオ、また監督自身が大ファンだという蒼井優の起用、また監督自身が東京滞在時に感じたことの多くが作品に盛り込まれ、知っているようで知らない「TOKYO」の姿を浮かび上がらせてゆく。日本映画界を舞台にポン・ジュノ監督がどんな世界を見せてくれるのか大いに期待して是非観にいって欲しい作品だ。





$MAGENTA —— ポン・ジュノ監督との撮影はとても刺激的な現場だったとうかがいましたが、海外の監督と“東京”を撮ってみてどうでしたか?$

香川:監督は、役者に意外性やドキュメント性を持たせることが非常に好きな方で、時にリハーサルをしないという手法というのは僕にとって面白い体験でした。色々なやり方を駆使して撮影されるので、非常に刺激をうけました。僕にとって東京は本当に見慣れた場所ですが、そこを無人にしてしまって役者を走らせるというのは、日本にはない発想です。周りを止めて、「ここを一人で走らせるのか!?だってここはあの山手通りだぞ?!」と思ってました。最後、横浜のスロープみたいになったところでの撮影だったんですが、そこも絶対に日本の製作のスタッフだったら撮影できないって言うと思いますが、そういう場所にこだわって撮ったところというのは、海外の監督ならではですね。

蒼井:映画では、初めて海外の監督と撮影をしました。この1人の監督から生まれるモノによって日本の何十人ものスタッフが揺さぶられて、いろんなものを引き出されたり、または何かを吸収しようとしていたり、とても大きなことを学ぼうとしたりする姿勢は、あまりにも大きなパワーで、とても感動したのをよく覚えています。
私たちにない手法で撮影されて、それをその場にいた日本人スタッフたちが吸収してゆくことが、日本映画界にとってとても貴重な瞬間に立ち会えた気がして、こうやって新しい風がきて変わっていくのかな、と思いました。
香川さんがおっしゃっていたように、ここでロケするなんて、というような場所で撮影を行いました。見慣れた風景の中を切りとることによって全く違う風景になっていて、自分の知っていてよく通る場所なんですけど、映画でもその場所が登場するんですけど、そこに奇妙なズレが生じていて、日本人が撮るものとは違うものになっていると思います。

$MAGENTA —— 本番の前にリハーサルをしないこともあったと伺いましたが、その意図は?また香川さんと蒼井さんはそうした手法の撮影はいかがでしたか?$

ポン・ジュノ監督:いつもリハをやらないという訳ではありませんが、予測不可能・準備されていない状況で撮影するのが好きで、その場面については絵コンテなどでかなり綿密に行うのですが、時に自分が準備してきたものを壊したいという感情が生まれます。
今回3週間という短い時間の中で撮影をしてて、何回かリハーサルなしだったので、キャスト・スタッフの方たちはかなり当惑されていたようですね。しかし、そういうことに慣れていくと、面白くなってくるんですよね。

香川:まさにそうです。リハーサルというのは、なにか失敗できないもののためにしなければならないからやるものですが、“しなければならない”というのは今回なかったんです。つまり監督が「今見たいものを今みせてくれ」ということであると。それがリハーサルという形であろうと本番という形であろうとどうでもいいんだと。
例えば、蒼井さんから“衝動”というものがみたい場合、ならばそれをリハーサルでなくっても、本番でその衝動をよべばいいのではないかと。つまり、「見せてくれ」ということなんですよ。
なにかこう失敗しないために、それを積み重ねるという手法は、全世界的にみるとマイナーな感覚かもしれないですね。むしろ、日本人の方が特別な感覚なのではないかなと思いました。

蒼井:テスト、リハーサルをやったりやらなかったりするなかで、現場でシーンの流れを完璧につかんでいた感じですね。監督は役者の感情をいつも気にされていたと思うんですが、感情がいつも動いているように、一定の動きをしてないように、テストから本番というステップのなかで常に同じリズムでいる必要はないのだと監督から教えてもらい、面白かったですね。監督が本番だってなった時は、みんなも「本番をとりたい!」という風になりましたね。

$MAGENTA —— ポン・ジュノ監督は初めて東京に来た時と、この映画を撮り終えたあとで東京に対しての印象はどういう風に変わりましたか?$

ポン・ジュノ:最初に東京に来たのは2000年の東京国際映画祭でした。渋谷のホテルに泊まったんですけど、本当に人が多い!というのを目の当たりにしました。その後何度も繰り返し東京に来てるんですけど、その度に東京というのは、どこにいても本当に多くの人が溢れかえっているなあと思いました。町中もそうですし、電車の中ですら多くの人が存在するのに、触れることもなく、お互い出会わないようにしている。そこがどこか不思議な感じがしました。
映画にも香川さんの「人と触れるのがいやだった」という台詞があります。引きこもりになる前に、通勤の時に、歩道橋の前で人とぶつかるシーンがあるんですけど、自分が演出しながらも、実際に「日本はこうではないんだけど…」と思いながら撮影していたのはよく覚えています。
人々が思っている“さびしい”というイメージと重なり合って、自分の頭のなかで膨らんでいきました。

$MAGENTA —— ひきこもりの部屋とはグチャグチャなイメージがあったのですが、反対に映画のセットはすごく整頓されている部屋という設定でしたがその発想がどこから?$

ポン・ジュノ:ひきこもりというと、普通ちらかったような部屋だと思うのですが、それとは反対のものを描きたかったんです。この映画に出ているひきこもりは、ひきこもりだということに非常に高いプライドを持っています。自分の部屋の中は芸術の域に達していると表現するくらい、自らではある意味錯覚しているのですけれども、そういう人物です。家の中にはさまざまな珍しい幾何学的なパターンや模様などが登場しているんですけども、完璧に整理整頓されているわけでそういったものをあの家の中で表現したいといいました。だからあの部屋でキャラクターの一部を表現したかったんです。
蒼井さんが実際あの部屋を見て「ここは完璧。」というシーンがありますが、あの完璧な空間・世界というものになりたいと思ってしまい、実際にひきこもりになっていきます。
自分の現実は、においのする汗だくのヘルメットをかぶってピザ配達をしている現実におかれているのですが、そんな感情から見たあの部屋は、完璧な空間というものに見えたのではないかと。そういった彼女はその空間に憧れを抱いたのではないか、魅了されたのではないかということで、あの部屋は、2人のキャラクターとも密接したものなのです。

$MAGENTA —— 香川さん、蒼井さんは、台詞が少なく、表情でみせるという演技が要求され難しかったと思いますがどうでしたか?$

香川:最初、台本をみたときに、固有名詞というものがまったくなくて、「香川。香川。徐々に引きこもりになっていく」と書かれていまして(笑)。「香川」って名前を書かれてしまっているので、もうそこで役者として実際にそうなっていくんですよね。
監督にそのことをたずねたら、『殺人の追憶』では、パク・ヘイルにも固有名詞がなかったみたいなんですよね。そういった同じやり方をしたことがあると聞いたとき、「あぁ、この人は役者の動かし方を知っている」と、思いました。多分、パク・へイルさんも変な感覚だったと思うんですよ、台本を自分の名前で読まれるというのは(笑)。
蒼井:お芝居はすごく難しいんですけど、今回撮影が始まる前に、監督がスタートする前に、香川さんの目をみてお芝居をしていた気がして…
香川:俺も(蒼井さんの)目をみていましたね(笑)。
蒼井:なんか、香川さんの目からパワーをもらったり、自分の感情を、器があるギリギリのところまで上げてもらって、監督のスタートがかかったときに、それが溢れだすような感じでやっていました。
ポン・ジュノ:蒼井さんにリクエストをして、蒼井さんが蒼井さんなりに自分の形でそれを解釈したものを違う形で演技で見せくれて、そちらの方がかなりよいときが何度もありましたね。
香川:監督が時々演技をしてくださることがあって、とってもうまいんですよね。あの目はどうやったらできるんだろうという目でやるんだよね。そういう意味では監督を超えられなかったなぁ。

$MAGENTA —— 30分の短編の中に繊細さやダイナミックさなど大きい振れ幅の描写がつまっている作品だと思いますが、それぞれ印象に残っている場面はどんなシーンでしょうか?$
香川:全部気に入ってて、自分の子供のような気がしますけど。ひきこもりが、ようやく外に出て、喜びをかみしめながら、そのうちに「もしかるすると東京中にひとがいない」と気づくまであのカットですかね。そこは監督のいわんとするところと、僕自身がひねり出したものが最も合ったカットであって、その後の一連の走るシーンもとても思い出に残っています。
その後蒼井さんを偶然見つけるシーンがあるんですが、だいぶ走ってきている設定だったので、そこで本当の汗をかきたいと思って、神社の階段をあがり下がりしたんです。その汗がラストカットに映っているのも好きですね。
あと、カメラマンの方が地震のカットの入れ方をどうしょうかということで、箱の中にカメラを入れて、ガァ〜ッと揺らすんですけど、その揺らし方も段々芸術的になって、監督の指示も細かいから、ここをもっとゆらさないと、ここは縦にゆらさないと、とか。一瞬「何をやっているんだろう?!」っていう(笑)。あの一連のゆれるカットが好きですね。
すべてが思い出に残っていて、楽しかったですね。

蒼井:現場でみていて香川さんは、ずっと現場で走っていて、「あぁ、職人さんだ」っておもい、本当にかっこよかったですね。本当にどのシーンも素敵でしたね。

香川:お互いが本当にそのように思うような映画なほど素敵な映画なんですよね(笑)。

ポン・ジュノ:本当にたくさん私も好きなシーンがあるんですけれども、香川さんがおっしゃったシーンで、走る香川さんを追いかけていて、周りを見回しながら東京に誰もいないことに気づいて、徐々に表情が変わってゆき「おかしい。」と立ち止まるまで、香川さんはさまざまな表情を浮かべますが、そのシーンは、今みても本当に素晴らしかったと思います。
ラストの蒼井さんの表情も、微妙な表情をお願いしました。恋がはじまろうとしている兆候のようなシーンでもあるんですが、おもいっきり笑顔を作ってしまうとなにか緊張感が崩れてしまう気がしたので、このようなお願いをしました。観客のうち10人かもっと少ない何人かが気づく位の、こまやかな変化を見逃しても構わないから、微妙にうっすらと笑みを浮かべてほしいとお願いしました。カメラが激しく揺れているので、それをうまく表現できるのかわかりませんでしたが、後で実際に完成したものをみてみると、本当に0、1ミリほどの細やかな動きが表現されていたんです。それがラストを飾るシーンとなりました。

執筆者

綿野かおり

関連作品

http://data.cinematopics.com/?p=45933