「ひきこもりの若者だって皆と同じように恋をする。それを描きたかったんです」(坂牧良太監督)。「こぼれる月」はここ数年でもっともピュアな恋愛映画といえるかもしれない。手を洗うのがやめられない、パニック障害の発作に悩まされる、PTSDに苦しむ……彼らはそれぞれ何かを抱えている。けれど、普通の人と同じようにいやそれ以上に、誰かを愛し、愛されたいと願っている。監督の実体験がベースとなった本作は「俳優さんたちの演技力がなければ成立しなかった映画」(坂牧監督)という。主演の四人を演じるのは『バウンスkoGALS』の岡元夕紀子、『9/NINE』でスクリーンデビューを果たした河本賢二、『ELLE Japon』などの人気モデル目黒真希、インディーズ界の俊英として注目される岡野幸裕とフレッシュな顔ぶれ。第五回ドーヴィル・アジア映画祭コンペティション部門でグランプリを受賞するなど業界内で注目の高かった本作が、現在、シネマ下北沢で限定公開中(8月30日まで)だ。以下は坂牧監督が語る撮影秘話である。読んでから観るか、観てから読むか!?

※「こぼれる月」はシネマ下北沢でイブニングロードショー中!!(連日18時15分〜)

  
 







ーー「こぼれる月」は坂牧監督の実体験だそうですが?
坂牧  90%くらいはそうでしょうね。会話の内容なんかは特に。僕は小六で父親を亡くし、オレがしっかりしなきゃというプレッシャーの反動からか、家から出られなくなってしまったんです。それから、ずっとひきこもってて中学校なんかも行かなかった。この作品でいえば、千鶴とゆたかはキャラクター的には僕の分身みたいなものですし、僕も高のように手を洗うのがやめられなかった。なんでだかわかんないんだけどーーほんとになんでか、わかんないんです、手を洗わずにいられない自分がいる。その自分を遠くから見ている自分もいて。
ホンを読んだ人には「実体験でよく客観視できるね。こういうのって重くて読めないのが多いんだよ」と言われるんですけどわからない自分を突き放して見てた、そんな視点がそのまま出たんじゃないかと思うんです。

 ーーとはいえ、こうした体験を掘り下げていくのは辛い作業だったのでは。
坂牧 そうなんですよ。台本を書いている時は症状がぶり返しそうでしたね。「続編撮るの?」なんて聞かれますけど、2度とやりたくない(笑)。
 この作品の前に自主映画を撮ってるんですけど、カルト的なファンが出た一方、いろいろ勝手なこと言われることもあって。「これは映画じゃない」とかね。で、『もう、2度と作るか!』って思ってたんですよ。もともと神経症的なところもあるし、ちょっとイヤになってしまったなという時に及川中監督から「だったら神経症の話、書いてみればいいんじゃない」って言われた。それがきっかけだったんです。

 ーー千鶴とあかねのオーディションにはなんと1千人以上の応募があったそうですね。キャスティングのポイントは?
坂牧  基準は「きわめて普通の感覚を持った人」ってところでした。なかには「監督の心の病、わかります」とか言う人もいましたけど、そういうのはむしろ積極的に落としていきましたね。
 千鶴役の岡元夕紀子さんは最初、すごく普通の人に見えたんです。でも、スクリーンテストをすると別人になる。こういう経験は初めてだったんですけど、ああ、女優なんだなって思いました。
あかね役の目黒さんはたまたま、写真だけは見ていて、それ、パソコンの壁紙にしてた時があったんですよ(笑)。別に彼女に決めたとか、そういうことではなかったんですけど。だから、完成稿に行きつくまで、なんとなくあかねを目黒さんに当てこんでいたというのがある。でも、オーディションの時、最初は違うかなと思ったんです。・・・思ったんですけど、本読みをやらせたらこれがすごかった。「次、こうやってみて」なんて僕の言葉にみごとに感応するんです。「怒ってやってみて」とか言ったら、ほんとに激怒しながら演じる人っていますよね。僕、苦手なんですけど(笑)。そういうのは一切なかった。

 ーー実際、神経症のレクチャーみたいなことはされたんですか。
坂牧  神経症の資料なんかには目を通してもらったりはしましたけど。高役の河本賢二さんなんかはね、ずっと僕の真似をしてたみたいです。クセとかね。うちの母親が映画を見て、「あんたそっくりね。顔以外は」って言ったくらいですから(笑)。

 ーー撮影期間はどのくらい?
坂牧 約2週間ですね。ものすごく濃い、現場でしたよ。毎日が戦争(笑)。でも、わかったんですけど、どんなに壮絶になっても映画撮ってる時は精神的に大丈夫みたいなんですよ。パーティとかに行くとストレスで過呼吸症候群っぽくなることもあるんですけど、映画なら、現場でも、編集でもへたれない自信はありますね。





ーー完成した映画ではビジュアルが「きれいすぎる」という意見もあったそうですが。
坂牧 リアリティがないってね。でも、きれいにしないと自分としては近すぎて見れない感じがありました。確かに自分のひきこもりはもっと壮絶だったんじゃないかと思う。でも、敢えて入り口を広げようというのもあって。

 ——本作はこうしたテーマではありがちな病気の治癒や再生は描かれていません。これは意図したことですよね。
坂牧 そうですね。たとえば、カミングアウトってありますけどそれで周囲の人間が本当に理解するかというとそんな簡単なものじゃない。彼らの生活には続きがあってカミングアウトそのものが答えになるわけじゃないですよね。
 テレビなんかで「ひきこもり少年の再生」のような番組がありますけど「A君は母親と何年ぶりに会話をしました、感動です」という短絡的な描き方に疑問を感じるんです。彼らが母親と交流できるまでの経緯にはものすごく壮絶なドラマがあったはずですし、それに、話ができたから完治した、というものじゃない。なんで映画を撮ったかというと、そんな簡単に解決できる問題じゃないんだってことを伝えたかったということもありますね。

 ——同時に「ひきこもる若者」が決して特殊な人間ではない、ということも描いています。
坂牧 報道されているように暴れたり、エキセントリックな生活を送っているだけじゃないということを伝えたかったんですね。「ひきこもり」や「神経症」の若者だって普通の人と同じように恋愛もするし、セックスもする、外出することだってある、そういう事実を伝えたかったんです。
 ひきこもりは怠けだと思っている人も多いでしょうけど、体は怠けていても実は心は一分たりとも怠けていないんです。この映画を見て彼らのことを完全に理解して、とは考えてもいないのですが、もし、周囲にそういう友達がいるのならーー「ああ、彼はこれなんだな」と思ってもらえれば。そうして、少し待ってあげようかなという気持ちが湧いたなら嬉しいですね。

執筆者

寺島万里子

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