映画の歴史は、一世紀そこそこしかない。だが、その100年ほどの間、映画は夢の象徴であり続けた。
『西洋鏡 映画の夜明け』は、100年前の北京に初めて映画が入ってきたとき、ひょっとしたらこんなことがあったのかもしれない、こんなふうに映画の夢と出会い、夢中になり、また葛藤した人々がいたにちがいないと——そんな夢を21世紀の私たちに見せてくれる映画だ。
 京劇がまだ庶民の娯楽の中心であったころ、ひとりの写真技師の青年リウが活動写真に未来を夢見る。が、彼の恋する娘は、京劇スターの愛娘リン。活動写真が京劇の地位を脅かしたら彼女の生活はどうなる? 彼女への想い、映画を持ち込んだイギリス人との友情、写真館の主人との確執、そして活動写真を楽しむ人々の笑顔の間で青年の心は揺れるが、夢はまばゆく輝くばかり。
 主人公には、『太陽の少年』のシア・ユイを起用。ヒロインのリンに新鋭シン・ユイフェイのほか、ジャレッド・ハリス、『秋菊の物語』のリウ・ペイチー、『青い凧』『スパイシー・ラブスープ』のルー・リーピンら名優が脇を固め、映画愛にあふれた本作の世界を鮮やかに展開させる。
 本作を撮ったアン・フー監督は、1905年に京劇役者タンがフォンタイ写真館で撮影された中国初の劇映画に主演したという史実からこのリアリティ溢れるフィクションを作り上げた。彼女は、中国からアメリカへ留学しビジネスの世界で成功を収めた後、映画界に転進した異色の経歴を持つ女流監督である。それだけに、映画への思いは格別だろう。
 来日したアン・フー監督に、そんな映画への思いを語ってもらった。

$blue 『西洋鏡 映画の夜明け』は、1月18日より有楽町スバル座で上映$







——長編第一作ということですが、なぜ中国における映画の始まりというものに興味をひかれて撮ることになったのですか?
「私がこの映画を撮ろうと思ったときには、まだ映画を学び始めたばかりのころでした。私と主人公は同様に、初めて映画の世界に入って目を開かされて、そしてその道を進んでいくという経歴で、ストーリーを語りながら自分も一緒に成長していくという、そういう思い入れがあったのだと思います」
——日本版のチラシに、監督のバックグラウンドが色濃く反映された作品だとあるのですが、主人公に監督が投影されているだけではなく、作品全体が監督のモノローグのように思えます。
「そうですね。私は芸術作品は、どんな作品でもそこには個人的な思い入れのようなものがあって初めて他の人が見てユニークさを感じると思うんです。アメリカのハリウッド製の大作がなぜ人にそういう印象を与えないかというと、そこに個人的な思い入れや作家に身近なものがないからでしょう」
——監督は、中国からアメリカに留学し、一旦貿易の仕事に就いて成功したのに、映画の世界に入られましたね。それは、たいへん映画にひきつけられるものがあったからだと思いますが、映画にどういう魅力を感じられたのでしょうか?
「ビジネスによって得られるものはとても具体的な形で、すごく形而下的なものです。確かにビジネスにも創意工夫は必要だし、いろいろ苦労することもあるのですけど、そこで得られるものがあまりにも具体的であるがゆえに、人間の魂の奥底を揺さぶるような体験はなかなかないと思います。理性的にひじょうに高い水準のものを要求する人間にとっては、ビジネスは人の心に深く刻み付けるような体験は与えてくれないでしょうけれど、映画はまさにそれとは正反対で、ひとりの人間の精神や心の奥底を揺さぶるものだと思います。ひじょうに総合的な芸術ですし、映画の非形而下的なところがひじょうに魅力でした」
——チェン・カイコー監督に会ったことがきっかけだとか?
「そうですね。チェン・カイコー監督に出会うことがなかったら、映画というものに目を見開かされることは多分なかったと思うので、今の私もないと思います。実は、知り合ったとき、私はチェン・カイコー監督の映画を見たことがなかったのです。監督は、私に『子供たちの王様』『黄色い大地』『大閲兵』といった自分の作品を見せてくれたのですけど、ぜんぜんわかりませんでした(笑)」








——この『西洋鏡 映画の夜明け』の物語は、実際にあったのではないかという実録もののような印象を与えますね。リアルに思わせるコツはどんなところにあったのでしょうか?
「感動的な映画には必ずリアリティがあると思うのですが、自分が心から感じたものを映画にしてこそはじめて観客がそれを真実と感じると考えています。ですから、どんなものでも自分なりの切り込み方で、センシティブに心で感じたものを感じたままに描くことが大事です。映画には、そこに哲学があり技術もありますけど、もっと大事なのは感性で、感性がはじめて人を感動させるのだと思います」
——ご自身でサッドハッピーな映画と言われているようですが、登場人物がすべて善人で、善人であるがゆえにサッドと言われるのかと思ったのですが、どうでしょう?
「私のこの映画も、多分これから撮るであろう映画も、すごくテーマが大きく時代背景・バックグラウンドがすごく大きいものなんですが、世界中の人間にとって、あるいは人々の人生にとって永久不変なものというのは絶対無いと思うんです。そういう意味では、人の人生はひじょうに空しいものなのですが、そうした人生悲劇のなかで悲劇的人物を演じていてはひじょうに寂しい。そこにはユーモアなどが必要だし、楽天的なものが必要だと考えます。そういう私の人生哲学というか人生態度というものが、私の作品の中の人物に反映されているのだと思います」
——古いものと新しいもの、あるいは内側と外側というテーマは、文化に関わると同時にアジアの人の成長に関わるテーマだとも思いますが、そういった意味で、中国人でありアメリカで活動されていることのこの映画への影響はいかがでしょうか?
「ありますね(笑)。いまおっしゃったふたつのものは、まさにこの映画のテーマですけど、正直言うと、テーマだけを言ってしまえばそんなに大切なものではないと思うんですね。これが映画を通じてひじょうに個人的なものと関わってくるから、はじめてひとりひとりの人に関係してくるテーマとなりうるのだと思います。自分と関係なかったら、東洋と西洋とか新しいものと古いものとか文化なんてどうでもいいわけです。まさに個人的なものに絡み付いてくるからとても大事なのだと思います」
——リサーチもかなりされたのでしょうね。中国の歴史的なことであったり、フィルムのことであったり、そのへんのご苦労を伺えますか?
「実際には、元になった脚本があったのですが、それをそのまま映画にできるかというとすごく難しいところで、何年もかけて脚本に手を加えまして、同時に膨大な量のリサーチをして今の形になりました。レイモンドの映画館のスクリーンの形も、外国の映画資料館に昔のスクリーンとしていろいろな形があった中から選んだものです。それから“西洋鏡”という書体も、宋の時代の皇帝の書体を使ったもので、このようにいろいろなものを参考にしています」







——それにしても、この映画が人をひきつける魅力のひとつには、やはりキャスティングの力があると思います。特にシア・ユイさんとシン・ユイフェイさんはひじょうに若くて、監督がアメリカに渡ってから活動を始めた人ですね。この魅力的な人たちをどのようにして見つけ出したのですか?
「私とジャン・ウェンはとても親しい友人で、彼が『太陽の少年』でデビューさせたシア・ユイを紹介してくれたのです。年齢的にも役柄に近いし、彼は中国戯劇学院で4年間演技の勉強をしていましたし、ぴったりだと思ってすぐに決めました。が、相手役のほうは、かなり長い間たくさんの女優や女優の卵の女の子たちを見たんですけれど、なかなか気質的にこの役にふさわしい女の子が見つかりませんでした。この女の子には、とても物静かな雰囲気と雑念のない穏やかな表情が欲しかったのですけど、今の中国でそういう子を探すは難しくて。実際、彼女は起用を決めたとき、ほとんど演技なんかできなかったのです。でも、物静かな雰囲気がとてもこの役にあっていると思います」
——未亡人役はご自身がやられるつもりだったとか?
「そうです(笑)」
——なぜやらなかったのですか?
「私は役者にはすごくうるさいんです。私は専門的な訓練も受けたことがないし、自信もなかったのでやめました(笑)。どうですか? 私、やったほうがよかったですか?」
——チェン・カイコー監督だってやってますよ(『始皇帝暗殺』『北京ヴァイオリン』などで)。
「チェン・カイコー監督はうまくて何度もやってますけど、私はもうちょっと考えてから(笑)」
——最後に、今後のご予定を教えてください。
「今後の仕事については、5年計画があるんです。まず、男と女の物語を三部作で撮りたいと思っています。あと、2本ドキュメンタリーを。それから、その後になると思いますが、戦争映画を撮りたいですね。それらを5年計画くらいでと考えています」

執筆者

みくに杏子

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