2000年サンダンス映画祭で、‘映画祭史上の最高のミッドナイト・ムービー、とにかく気が狂う程、素晴らしい’と絶賛されたサイバー・ポルノ・ムービー『I.K.U.』。
‘ポルノ‘という言葉だけで今までの印象を完全に変えてしまった。『ブレード・ランナー』のエンディングが『I.K.U.』のオープニングにリンクする・・・不思議な作品。
監督は台湾系アメリカ人サイバー・アーティスト、シューリー・チェン。近未来の東京を舞台にした作品はどうして誕生したのか、来日中のシューリー・チェン監督に聞いてみた。



−−なぜ『I.K.U.』ようなセックスの映 画をお作りになったのですか?
「日本のプロデューサーが、ニューヨークにいた私を東京に招いて“こういう映画を作ろう”と提案したんです。日本はAV業界やポルノ業界が発達しているので、こういった国でポルノ映画を作るのは、自分にとっても“挑戦”だと思えたからです」

−−現代におけるセックスに、なにか問題意識を持っていらっしゃいますか?
「興味があります。ポルノやセックスのイメージを、簡単にインターネットから手に入れられる時代が来ていますよね。もちろん日本では、ポルノやAV映画にはモザイクが加わり、一種タブー視されています。それでもインターネットを通してダウンロードできるわけですね。そういうインターネット上における“セックス・スケープ(セックスの風景)”には、ずっと前から関心を持っています」

−−では、具体的に『I.K.U.』について ですが…。最初にエレベーターの中で男女がセックスするシーンがありますが、エレベーターは、映画『ブレードランナー』を意識してのことだとか?
「ええ。『ブレードランナー』では、最後にショーン・ヤングとハリソン・フォードがエレベーターに入り、ドアが閉まって映画が終わりました。私はそこをピックアップして、エレベーターのドアが開いた瞬間、全く違ったセックス映画が始まる構成を取ったんです」





−−『ブレードランナー』はお好きですか?
「好きですよ。リドリー・スコットは優秀ないい監督だし『ブレードランナー』には、たくさんの“テンション”がある。個人的には“レプリカントのセックスライフとはどういうものか”という興味があり、ハリソン・フォードとショーン・ヤングの間には、何か性的な力関係みたいなものがあったと思うんです。でも、お互いにそれに気づかずに終わってしまったんですよね」

−−今回は、セックスの実体験を通してオーガズム・データを集める7人のレプリカント・レイコが出てきますね。それぞれのシチュエーションに合わせて、レイコの髪型・服装・メイクなどが全部違っていて、とても楽しかったです。
「衣装やヘアメイク担当の人と、何回もコミュニケーションを取りながら作りあげたんですよ。特にヘアメイクの渡辺さんはすごく熱心で、毎日違うアイディアを持ってきてくれました。そういう意味でこの映画は、各クリエイターの創造性を思いきり発揮できたのではないでしょうか」

−− 『I.K.U.』は、従来の日本のポルノ作品とは全く異質ものを感じました。
セックスと心が完全に切り離されているような、ある種のクールさと純化されたエロティシズム…。
「本来、ポルノの持っている概念はセックスのためのセックス。そこには動機というものは無くていいわけです。でも普段の我々がセックスに対して思うのは“動機がなくちゃいけない”とか“感情がなくちゃいけない”ということ。
 でも私の言いたいセックスは“必要不可欠で自然に起こるセックス”なんです。
特に女性がこのことに気づくのは大切だと思うんですね。多くの場合、自分の気持ちからではなく、男性が望むからそうするという女性が多い。私は“女性が性的欲望を持つのはいいんだ”。あるいは“男性も勃起しなくてもいいんだ”と言いたいんです。たとえば、勃起しなかったらセックスのおもちゃを使えばいいという…そういうことを提案したい」




−−そういう観点から、この映画でいろんなセックスを見せてくださったわけですね。相手も違うし方法も違うという…。
「最初に言ったセックス・スケープというのはそういうことなんです。インターネット上のサイバーセックスでは、まずチャットルームに入るでしょう。その場合、自分のパートナーがどういう人かわからないわけですね。そして役割を演じて遊ぶ感覚で、女性になったり男性になったりして楽しむ…。
 最近になっていろんな形でのセックスが、少しずつ、受け入れられてきていると思うんです。たとえばゲイの人も前は差別を受けたりしたけれど、近ごろでは“まあ、男性同志もいいのではないか”と。この『I.K.U. 』には、男性同志でも女性同志でもいい。いろんな形のセックスを理解し、受け入れてほしいという気持ちが込もっているんです」

オルガズムの瞬間を
映像の美しさや音楽で…

−−映像的なお話も伺いたいんですが…。描いているのはセックス行為なのに、それが不思議な美しさで訴えかけてくるんですよね。監督が特に映像的な面でこだわったのはどんなことですか?
「ほとんど、東京での撮影ですが…。普段、東京に住んでいる人たちが思いつかないような、あるいはそういう風に見ないような視点で東京を描いてみたいと思いました。たとえば首都高の車の中でのセックスシーン。首都高は、ぐるぐる回ることができて一晩中走っていられますが、おそらくそれをやった人は少ないのでは?(笑)。
 私はセックスを公共の場面でのもの、“パブリックセックス”としてとらえたかったんです。見ていただくとわかるように、寝室でのセックスなんて一つもないわけですよ。“セックスは暗い所でする恥ずかしいものではなく、もっとオープンな楽しいもの”とみんなに伝えたかったんです」




−−いろんな特殊効果が映像に施されていますね。光を使ったりCGを使ったり…。
その映像を拝見していると、女性がエクスタシーの中でイメージするような映像が、そのままそこにあるように思うのですが…。
「女性のあなたがそういう風に楽しんでくれて、とてもうれしいです。果たしてこの映画が男性向きなのか女性向きなのか、考え方はさまざま。でも私は女性の観客がとても気になって、この映画が女性のセクシュアリティを気づかせてくれるものになるとうれしいと思っているんです」

−−それにしても、セックスシーンの美しさは格別。何か秘密があるんでしょうか。
「多くのポルノ映画は、オルガズムに到達するまでのセックスを描いている場合がほとんどだと思うんです。“いく”瞬間までの。この映画でも同じようなことをしているのですが、日本ではさまざまな規制の結果、性器の挿入や男性器の射精をあからさまに見せることはできませんよね。だから、いかにしてオルガズムの瞬間を表現するかを考えなければいけない。その時、それをビジュアル的な美しさで表現したらどうかと思ったんですよ。この映画は、音楽やビジュアルが、見ている人をエクスタシーに導いてくれるような映画であってほしいと思います」

−−特にすごかったのが、子宮の中から見たペニスが入ってくるシーン。あの視点の新鮮さには、衝撃を受けました。
「日本では本物の性器を映すことができないけれど、CGを使ったら可能になりました。不思議と日本では“CGの形では何でもOK”みたいな所があるので、ああいうシーンも撮れたんです。まあ、あれは男性のペニスに仮託しているけれど、実はレイコがオルガスムのデータを収集するための“腕”。レプリカントの彼女の、一番パワーを持っているマシンということができます。必ずしも“ペニスを持つ欲望”のことを言っているのではないんですが」

−−あのペニスのようなものは、女性の“力”の象徴だったんですね。
「ええ。あの腕はとてもセクシャルな存在だと思いますね。なぜならあの腕によって、女性もオルガズムを手に入れるために、とてもパワフルで積極的になれるからです。すばらしいことだと思いませんか?」
(撮影/中野昭次)

執筆者

かきあげこ

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作品紹介
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