1960年代の日米安保反対闘争から72年のあさま山荘での銃撃戦へと至るあの時代、若者たちの生き様を描いた『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』から2年。若松孝二は新作「キャタピラー」を完成させた。連合赤軍の若者たちの親たちの時代、太平洋戦争のさなか、手足を失って帰還した傷病兵とその妻の物語である。

1銭5輪の赤紙1枚で招集されていった夫・久蔵(大西)を見送った妻のシゲ子(寺島)。だが、彼女の元に帰ってきたのは顔面が焼けただれ、四肢を失った無残な姿の夫だった。それでも“生ける軍神”として勲章を胸にあがめられる久蔵。あわれな姿になっても衰えるこのとない、彼の旺盛な食欲・性欲にシゲ子は“軍神の妻”として尽くすが、やがて空虚な思いを胸に抱き始める。そして、久蔵の脳裏に忘れかけていた戦場の風景が蘇り始める…。

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』に続き、若松組に参加することになった本作。四肢を失い、言葉を使うことが出来ないという通常の感情表現を封印される中で、久蔵という難役を熱演した大西信満にインタビューを敢行した。



−−『17歳の風景 少年は何を見たのか』『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』、それから今回の『キャタピラー』と力作を次々と発表している若松監督ですが、2作続けて若松作品に出演した大西さんは、傍にいて若松監督の充実ぶりを感じたんじゃないですか?  

「若松監督はやりたいことが明快な方なので、これをやるんだと決めたら、必ずやるという信念や執念といったものは強く感じていました。」

−−若松監督はリハーサルをほとんどしないと聞きましたが。

「はい、基本的にはしません」

−−そうするとどうやって気持ちを高めていくんですか?

「気持ちを高める材料はいくらでもありました。監督の演出や現場の雰囲気、脚本に描かれている内容も含めて。」

−−軍人役というのも大変だったのでは?

「あの時代の人が当時の教育によって刻み込まれていた思想や価値観、それに由来する感覚や感情を現代に生きる自分がどこまで理解して消化できるかが大きな課題だったと思います。自己よりも家族よりも最優先すべきは国家という時代ですから。」

−−それこそ若松監督は戦争を知っている世代ですから、何かヒントはあったのでは?

「『実録・連合赤軍〜』の時から、若松監督の戦争に対する考えや思いをいろいろと聞いてきたので、それらをひとつひとつを思い出しながらヒントにしたという感じです。直接、何かを聞くというよりも、話の断片を繋ぎ合わせてそこに自分の解釈を重ねて膨らませていく感じで」

−−若松監督はシナリオを何度も刷るのがもったいないから、一度刷ったシナリオに何度も書き込みを入れたものを完成台本として使っていたことに感動したと寺島しのぶさんが言っていたのが印象的でした。

「それは『実録・連合赤軍』の時からそうでしたね。一度台本を刷ってからも、内容がどんどんと変わっていくわけですが、それを助監督さんが手書きで直していて。その台本をいただきました。自分は以前もそうだったんで、慣れていましたけど、寺島さんには新鮮だったみたいですね」

−−『赤目四十八瀧心中未遂』で共演した寺島さん。『実録・連合赤軍』で組んだ若松監督。大西さんにとって節目となるであろう作品で組んだ人たちが集まったこの作品が高く評価されているというのは、何か運命的なものを感じるのですが。

「そうですね…。自分は周りの人達にとても恵まれているのだと思います」

−−この作品のユニークなところは、戦争に関連のある日に合わせて、全国での巡回上映を行ったところだと思うのですが、一緒にまわってみていかがでしたか?

「沖縄ではひめゆり学徒隊が集団自死した6月19日、原爆投下があった広島では8月6日、長崎では8月9日に上映するということは若松監督の信念ですからね。それぞれの土地で、お客さんと生で話をすることを大事にしていて。よくあるような一般的な舞台挨拶ではなく、終わった後には必ず質疑応答の時間をきちんと設けるようにしていて、しっかりと長い時間をかけて、観ていただいたお客さんからの質問に答える。とにかく若松監督は、この『キャタピラー』を通して、戦争の愚かさを伝えたいという思いがとても強くて」

−−とにかく観る人に何かを残す映画ですからいろいろな意見が出そうですね。

「中には辛らつな質問をする方もいらっしゃいますからね。『キャタピラー』にしても、『実録・連合赤軍』にしても、扱っている題材が題材ですから。いろんな人と正面から向き合って、俺はこういうつもりで撮っているんだということをきちんと伝えていくやり方をしていて。こういうことはあまりないのかもしれないけど、とても意義があることだと思います」

−−やはりこの映画を語る際に、ベルリン国際映画祭の話も聞いておきたいのですが、ベルリンでの反応はどうだったんですか?

「公式上映をやったときから、怖いくらい反応が良かったですね。街を歩いているだけで、多くの人たちが映画を観たと声をかけてくれて。とにかく歓迎ぶりすごかったです。日本固有の部分が多く含まれている内容なので、それが果たしてどういう風に彼らに伝わったのかは分からないですが、それぞれの国に歴史がある中で、そういうものを越えた中で評価してくれたというのは、とても嬉しかったです」

−−寺島さんが銀熊賞をとった時の瞬間はどうでした?

「もちろん皆で大騒ぎして喜びました。でも、との時既に寺島さんだけは仕事の都合で一足先に帰国しまっていて」

−−ずいぶん遅い時間に連絡があったと聞きましたが。

「連絡があったのは夜中で、まわりには絶対に言うなと言われていて。公式発表の前に情報が漏れて受賞が取り消しになったという前例があったらしいんですよ。だから誰にも言わずに隠し続けて。でも明け方になって、もういいだろうということで、監督が寺島さんに連絡を入れたんです。自分は受賞式の直後に初めて連絡を取りました」

−−四肢がなく、話せないという役はどうでしたか?

「実際に当時、自分が演じたような状態で帰還した傷痍軍人が日本中にいたという歴史的事実を踏まえれば、四肢がないということを見世物的に誇張した演技をすることだけは絶対にやめよう思っていて。手足を失い、言葉すら失っても、人は心臓が止まるまで生き続ける。どんな状態でも生への渇望はあるし、感情も意思もある。それを限定された表現方法の中でいかに伝えるかずっとそれを探ってました。」

−−四肢がないということにも通じると思うのですが、目の演技が印象的でした。

「結局、健常な状態で残っているのは目だけですからね。目は口程にものを言うと聞きますし」

−−映画が初日を迎え、客足も好調なようですね。

「特に戦争を知らない世代の人に、戦争を考える切っかけとして観ていただけたらな、と思います。自分もそうであったように何かの機会がなければ深く考える必要に迫られない現代だからこそ、特にそう思います。」

執筆者

壬生智裕

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