山奥に隔離された盲聾の女性と、リストカットを繰り返す少年がひょんなことから出会い、そして交流していく……。福祉問題や差別問題、不登校など、扱うテーマは決して軽いものではないが、それでも人を思いやる気持ちや優しい気持ち、そして未来を生きるための希望に満ちた作品となっている。

本作の主演はNHK朝の連続テレビ小説『おしん』で知られる小林綾子。意外にも本作が映画初主演作だという彼女に、この映画についてお話を伺うことにした。



小林さんは子役時代に主演されたドラマ『おしん』で有名になったわけですが、この映画で初主演を飾るなど、今でも第一線でずっと活躍されています。
 子役は大成しにくいと言われるこの業界で、活躍を続けるのは並大抵のことではないと思いますが、その秘訣とは何なのでしょうか?

「どうしても忘れがちになってしまうんですが、初心と謙虚な気持ちを忘れないことですね。これは親が一生懸命教えてくれたことです。
 どうしても子供が大人の社会に入ってしまうと、みんなに甘やかされてしまう。でもそれだと、大人になってから、とんでもないことになってしまいますよね。そういう時に何が一番大事かというと、自分を戒める心と謙虚さなんですよね。そういうところを忘れずに、みんなと仲良く、調和を保っていくように、というところを気をつけましたね。
 あとは継続は力なので、始めたことはすぐにやめない、というのは信念としてありました。たとえばお稽古ごとにしてもそうですし、こういうお仕事もそうですけれども。やってるのとやってないのとでは大きな違いが出てくるんですよね。
 小さいころはいろいろなお稽古ごとをいろいろ習ってましたけれども、今でも役に立っていることが多いですね。たとえば私はバレエをやっていたのですが、3歳のころから人前に立っていたことで、人の前に立つ時の舞台度胸というか、心構えは出来ていたのかもしれません。
 それは、お習字やピアノでもそうです。形はそれぞれ違うのですが、やってきたことがいろいろと生かされていると感じますね。」

この映画では盲聾(もうろう=目と耳が不自由であること)の役ということで、どうでしたか?

「目と耳が両方とも不自由であるということでしたし、どういう風に演じたらいいだろうという不安はありました。年齢も15歳から78歳まで演じるということで、幅が広いですし。ただ、大変であればあるほどやりがいも大きいですし、研究のしがいもありましたね」

モデルになった人にお会いしたとか。

「ええ、山口県でロケが始まる前にお会いしました。映画にも出てきましたが、相手の手に指で文字を書いて、『こんにちは』とか『今度映画をやらせていただきます』というようにお話をするんです。
 その時に感じたことなのですが、確かに視覚と聴覚は不自由なんですが、五感のうち、あとの三つは研ぎ澄まされているんですよね。ですから、私たち以上に感じるものが大きいと思うんです。たまたまそのときは雪が降ってて暗かったんですけれど、お話をしているときに、急に光がパーっとさしてきたんですね。そしたら、あら電気つけたの? とおっしゃったんですよ。見えてるのかしらと思うくらい、驚きました。
 台本の中でも『お日様が出てきたね』というセリフがあったのですが、こういうことなんだと身を持って感じることができたんです。とっても貴重な体験でしたね」

実は予備知識のないままに映画を観たもので、最初の方に出ている老婆が小林さんだとは気付かなかったんですよ。それくらい役にはまっていたと思うんですが、老婆を演じることはどうでしたか?

「おばあさん役というのが、私にとっては初めての体験だったんです。特殊メイクを使わなかったということもありまして、かつらと衣装と動きと声だけで表現するしかなかったので、大変だったんです。でも、やってくうちにどんどんアイディアが出てきて。こういう風に動けば、おばあさんに見えるのかなと研究してみたり、そういう思いでやってましたね。
 とはいえ、本物のおばあさんではないので、限界はあると思うんですよ。それでも、映画を観ていく中で、絹子という女性に込められているメッセージを、最後に感じとってもらえれば嬉しいですね」

もう完璧にはまってたんで、大成功だったと思います。

「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいですね」

金子みすゞさんの詩の朗読がとても印象的でした。朗読の際に気を付けたことはありますか?

「映画の中では、おばあさんの時に詩を朗読しています。朗読会で朗読する感じとは違っていますよね。
 それと耳が聞こえないと聾唖の方は少し違う話し方をするので、そういうところはちょっとだけ意識しました。そしてなおかつ、おばあさんだから、声のトーンをゆっくりと落としてしゃべっています。盲聾の方というのはやっぱりしゃべっていたいんですって。声を発してないと、真っ暗闇の中にいるように感じるとおっしゃってました。
 どこかで発声しているというのが必要なんだそうです。だから絹子さんに関して言えば、みすゞさんの詩に会えたことによって、その詩を朗読することで心を癒しているんでしょうね」

金子みすゞさんの詩で思い浮かべることといえば何でしょうか?

「みすゞさんの詩にこめられたメッセージとは、弱いものや、見えないものへの優しい眼差しですね。相手のことを考えてあげるとか、相手のことを思いやってあげるとか。
 そういう詩の大切さと呼応するように、この映画の中では祐介君という不登校になって学校にも行けない男の子と触れあいを持ちます。彼は心の元気はないけど、身体は元気です。そしておばあさんも、気持ちの上では社会と関わりを持っていきたいという気持ちがある。そのふたりが出会うことによって、お互いが変わっていくわけですよね。
 ただ、みんなそれぞれ違うんですよね。違う悩みもあるし、違う哀しみもある。けれども、違った生き方をみんな認めてあげれば、楽しく生きることが出来るし、希望にもつながっていくことが出来ると思うので、そのへんは映画とみすゞさんの詩とをだぶらせているところがありますね」

この映画では、障害を持った人を山の奥に隔離するなど、障害者を巡る哀しい現実も描いていると思うんです。それを踏まえた上で「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞさんの詩を聞くと、いい面だけではない、また違った形にも聞こえてくるような気がするんですが、小林さんはどのように捉えていますか?

「私は基本的にいい面でとらえていますね。哀しいだけではつらいですからね」

どこか残酷な言葉にも聞こえてきませんか?

「なるほど……。シビアな見方をすれば、そういう見方もあるのかもしれません。でも確かに隔離されている現実というのはあるのですけが、それでも彼女は決してひとりぼっちではないですよね」

そこなんです。そこに希望があるんですよね。だから哀しいだけじゃない、観た後に希望の残る映画だと思ったんです。

「そうですね……。これから元気に生きていくために、明るい希望を持って、人と交流する機会を持てたと考えていただければいいのかなと思います」

撮影現場はどんな感じだったのでしょうか?

「こういう映画ではありますが、撮影はとても楽しかったんです。スタッフの方も現地の方も、皆さんで一緒に作り上げた感じがしますね。
 それに普通の映画に比べてスタッフの人数が少ないんですよ。みんなの顔がそれぞれ分かるので、みんなで相談しながら、目的に向かっていくという楽しさがありましたね。
 また山口県の人がとても温かいんですよ。山の中でロケをしてる時も、近所のおばさんたちが差し入れをしてくださったり、温かい心遣いをしてくださいました。
 山口県の下関には、歴史のある場所がそのまま残っているんですよね。私、こんなに歴史のある街だって知らなかったんですよ。撮影の1ヶ月を通していろんな発見がありましたね。とても素敵な街だと思いました」

中山監督はどういう方ですか?

「監督はこうしなさいああしなさいという方ではなかったですね。
 カット割りに関しても、役者の芝居がしやすいように、長く回すところは長く回してくれて。私としては芝居をしやすかったです。
 たとえば手紙を読むシーンですね。ずっと気持ちをつなげないと芝居が難しいところなので、そういうところは心情的に組みとってくださったと思いますね。
 全体を見た上で、私の芝居を見てくださいました。セリフの言いまわしなどを、私が提案させていただくこともありました。
 たとえば祐介くんに手話を説明するシーンがありましたけど、『私はあなたが好きです』というセリフを手話にするというのは、台本には書いてなかったんです。でも、私が手話を教えてもらったときに、『好きというのは、のどにスーっとくる感じだから好きなんですよ』と教えてもらって。それがすごく納得出来たんですよ。
 映画を見るほとんどの方は健常者の方ですから、こういうのを入れてみたらいいんじゃないかと思って、監督と相談をしたんですね。それで、『どうぞやってみてください』と言われたので、やってみたんです」

僕はこの映画を見て、「私はあなたが好きです」という手話をひとつ覚えました。

「面白いですよね。この映画を見て、手話に興味を持つ人が出てくれるといいですね」

執筆者

壬生智裕

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