今年は「日本におけるドイツ年」ということで、公式企画の「ドイツ映画祭2005」が2005年6月4日(土)〜 12日(日)の日程で開催された。日本未公開の20本中の1本‘心の鼓動’その2回目の上映後、ヘンドリック・ヘルツマン氏にお話を伺った。‘心の鼓動’(原題Kammerflimmern)は初監督作品。1976年生まれ。今後のドイツ映画界をになう若手監督だ。本作はベルリン映画祭にも出品し、ドイツでの興行でも好成績を上げた。



*どのようにして作品が生まれたのですか?
この作品は着想から完成までで、4年かかっているんだ。まず、大体のストーリーはドイツで出来ていたのだけど、ちゃんと脚本を書き始めたのは、7ヶ月滞在したオーストラリアのメルボルン。実は4年間過ごした映画学校は、ドイツ郊外のとても小さな街にあったので、とにかくそこから抜け出してどこか遠いところで書きたいと思い、オーストラリアを選んだんだ。メルボルンではいい人たちに恵まれて、生活を楽しみながら、書きあげることが出来たよ。

*なぜ、救急隊員を主人公にしたの?
兵役時代に僕自身が救急隊員を経験したことがあったから。その際、本当にここに描かれているような人たちが周りに一杯いたんだ。

*映画がヒットしたことで何か変わったことはありますか?
この映画のおかげで監督として本当に多くの国を訪ねる事が出来た。正直言って、突然、放り込まれた戸惑いはあったけど、今まで生きてきた中で、もっともラッキーで素晴らしい体験だと言えると思う。また、多くの国々の観客と出会い、文化や生活が違っても映画を通じて意思が通じ合えると言うことを学び、映画というものの持つ大きな力を再認識することが出来た。

*前作‘No Regret’では脚本担当、俳優としても少し出演されたそうですね。そして、今回初監督ということで、ご自身で脚本家、監督、俳優を経験されて、どう思われますか?
実は今回の映画にもほんの少し顔を出してるんだけど、気づかなかった?夫に殴られたトルコ人女性をクラッシュが病院につれて来た後の場面。飲みすぎの女の子の車椅子を押してる救急隊員のひとりが僕だよ。ほとんどジョークだけどね。役者に関しては、あんまり続ける気はないよ(笑)。でも、脚本と監督に関しては、平行して続けていきたいね。脚本は、ひとりきりで自分自身の内側と向き合って、奥へ奥へと入り込んでいく仕事。孤独との戦いはあるけど、その作業はとても気に入っている。監督の方はチームワークが大切だね。一日中、個性的なたくさんのスタッフに囲まれて、皆に感謝しながら、調和を大切にして作品を作り上げていく。まったく違う要素の仕事だから、どちらかひとつを選ぶ必要もないし、これからも両方を続けていきたいと思っているよ。

*キャスティングについて教えてください。
実は、この脚本を書いている時は、自分が監督するとは思っていなかったんだ。それにいつも、むしろ、書いている時は他のことは考えないようにしているんだ。製作段階のことを考えだすと、イマジネーションやファンタジーの幅を狭めてしまうだろう? 雨が降ったらどうしようとか余計なことまで考えてしまう。何も考えない方が、自分の頭の中で主人公たちを自由に動かすことが出来るんだ。そして、すべて脚本が仕上がって、次の段階でようやく制作のことを考え始めるんだ。
キャスティングは4ヶ月間かかった。たくさんの役があるし、どのロールもおろそかに出来ないからね。クラッシュ役のマティアス・シュヴァイグへーファーは本当に素晴らしい俳優だよ。集中力も素晴らしいし、彼は本当に演じることが大好きなんだ。それに絶対に弱音をはかない。彼は僕の脚本を読んで、心からこのクラッシュを演じたいと思ってくれたんだ。そのことが僕にも伝わって、迷いなくクラッシュ役を彼に決めたよ。それに相手役のジェシカ・シュヴァルツとの相性もとっても良かった。ジェシカの方はかなり前からノ—ベンバー役をしてもらおうと決めていたので、この二人の相互作用は僕にとって、とても大切なものだったんだ。
※ 二人ともバイエルンフィルムフェスティバルでそれぞれ、新人男優賞、主演女優賞を受賞。

*クラッシュはノーベンバーと運命的な出会いをしますが、監督は運命や転生を信じますか?
運命と呼ぶかどうかは別として、少なくとも何かを信じていることは確かだね。僕らには変えることのできない大きな何かがあることをね。僕たちはこの地球上に一人じゃないということ、そして、誰でも気づいていると思うんだけど、自分自身の心の中にこそ、真実があるって言うことも。転生については、映画を作った時には特に意識していなかった。生きていようが死んでいようが、すべてはどこかで繋がっていると思う。映画の捉え方は、観る人の状況や経験、信教や環境によって違って当然だし、また、それが出来るのが映画だと思う。観る人が色々と違った解釈をしてくれるような映画を作っていきたい。それは反対に言うと、リスクも多く難しいことだけどね。
 
*ドラッグやアルコール依存症、ホームレスや若者の自殺などが出てきますね。ドイツでも大きな問題ですか?
今ではヨーロッパ中、どこにでも同じ問題があるね。ベルリンの地下鉄駅では、たくさんの人が物乞いをしてるよ。アジアの現状は良くわからないけど。ベルリンに比べれば(東京は)少ないとは思うけど・・・昨日、歩いていてホームレスの人を見た。世界中どこでも貧者と富者の差がどんどん広がってきている、それが大きな社会問題のひとつの発端ではないかな?ドラッグは良くないとか、特にメッセージをいれて映画を作ろうとは思わないし、偽善者のようにそれから目を瞑ろうとも思わない。だって説教地味てしまって面白くないでしょ? たとえば、ノーベンバーのBFのトミーがヘロインの取りすぎで死ぬところがあるんだけど— 彼はいい奴なんだけどね —身重で身寄りのないノ—ベンバーをたった一人、この世に遺していってしまう。ノーベンバーの不安や深い哀しみを通じて、観てる人はもっと強く感じることが出来る。僕に出来るのはとにかくストーリーを語ること、ただ語ることだけなんだ。押し付けの表現になることは絶対に嫌だ。それを見て判断するのはあくまでも観客だからね。



*主人公のクラッシュが併せ持っている魅力と同じように、かなりの細部まで熟考されたストーリーの反面、映画自体の印象はカメラワークや音楽からの若さ、チャレンジや現実離れしたおもしろさも感じられますね?
クラッシュは幼いころ事故で両親を失い、トラウマも残しているが、死を間近に見て老成された部分と、一方で恋に関してはナイーブだったりする。そんな両極端の魅力を映画にも感じ取ってくれたら、非常にうれしい。これは意図的に、ある部分は現実的なドキュメンタリータッチで見せ、また、人と人が出会って恋に落ちると言った、おとぎ話のようなファンタジーと魔法の部分とをうまく取り入れたいといつも思っているからだ。実は僕はおとぎ話が大好きなんだけど、人は歳とともに、または挫折したりして、そういうファンタジーの部分を忘れていってしまう。だからこそ、映画の中では、現実と非現実とを同時に描きたいというのは、僕の強い願望なんだ。音楽はリボナとブラックメールという二つのグループのすべてオリジナル曲で、とても気に入っているよ。

*クラッシュと監督が(外見も印象も)似ていると思ったのですが — 監督自身のことについてお聞かせください。
右頬の傷が一緒なんだ。彼のほうがハンサムだけどね(笑)。7歳の時に交通事故に遭った。幸い両親は事故に遭わず、僕だけだったけど。長い間入院し、医者からも死ぬかもしれないと言われ、手術前には両親にも別れの挨拶をした。そのときに人生には終わりがあるんだと言うことを知ったんだ。普通、7歳の子は死というものが容赦なくやってくるなんてことを考えたりしないよね?しかし、僕はそのときにそれを感じた。だから、退院したあと、健康で生きてるってことの素晴らしさも同時に感じるようになった。顔の傷は長い間残っていたから、いつまでも、なんであの時駆け出して道路に出て行ったんだろうとか、どうしてこんな事故にあったんだろうって自分に問いつづけた。最初は悪いことばかりだった事故の記憶も、時とともに変わり、あれはあれで良かったんだと思うようになった。他の人がしてない経験を僕だけがしているってね。今はもし、時を戻してくれるとしても、同じ事故に遭ってもいいとさえ思っている。事実、その経験が今回の脚本にも生かされている訳だしね。
僕はどちらかと言うと、なんでも考えすぎてしまう性質なんだ。だから、考えても考えても答えが出ないときはそのままにしておく。そうすると、いつか答えが出るかもしれない。悪いことばかりだったようなことでも、いつか意味が出てくることがあるかもしれないって思うようにしてるんだ。

*最後に初めての東京はどうですか?
観客の方が真剣に観て下さることにびっくりし、とても嬉しく思った。日本人はみんな親切で礼儀正しい人ばかりだね。明治神宮に行ったり、原宿では、カラーコンタクトをはめすごいメークアップをして、へんな衣装を着けた女の子達を見た。おもしろかったよ。朝早く、築地の魚市場にも行き、美味しいお寿司も食べたし、今日はこのあと、日本式のお風呂屋さんにも行く予定だ。東京は大きな街だから、NYみたいに‘東京にいるんだ!東京にいるんだ!’という興奮状態。5日間で東京の全部を見たいなんて馬鹿げてるのは、わかっているけどね。

後記
初めての日本滞在。少しでも自由時間を作るために、少々睡眠不足気味と言う監督。それでも、一度、映画の話をし始めるとそれはそれは真剣に、かつ熱く語ってくれ、疲れを知らない。滞在中なにか次回作へのアイデアが見つかりましたか? と振ると、‘僕は怠け者なんだよ〜〜!!’と手足をジタバタして見せる。ドイツ映画黄金期ですねと言う問いには、‘どうかな?慎重に成らざるを得ない’といたってクールなお答え。こんな子供っぽさと大人っぽさの同居した監督の頭の中からは、実は底なしにアイデアが溢れているようにお見受けしました。楽しみだな、ドイツ映画。

執筆者

Michiko Onose

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