『真実のマレーネ・ディートリッヒ』J・ディヴィッド・ライヴァ監督インタビュー 「ディートリッヒがこれを見たら一生口を利いてくれなかっただろうね。それぐらいパーソナルな作品なんだ」
「彼女は人々が思い描くようなパーフェクトな女性じゃない。けれど、公平な人だった。相手が大人であろうと、子供であろうと」。ディートリッヒの実孫、J・ディヴィッド・ライヴァ監督による『真実のマレーネ・ディートリッヒ』はファンにはほとんど知られていない戦時下における、伝説の大女優を描いたドキュメンタリーだ。故郷ドイツのヒトラーを全面否定、三年に渡り、連合軍兵士への慰問を続けたディートリッヒ。GIの制服に身を包み、かの「リリー・マルレーン」を戦地で歌い歩いたのだ。中途でジャン・ギャバンとの恋も語られるものの、全篇に漂うのはロマンスよりももっと大きなディートリッヒの真髄だ。タイトルに偽りはなし。先ごろ、来日したディヴィッド・ライヴァ監督に製作秘話をお聞かせ頂いた。
※「真実のマレーネ・ディートリッヒ」は11月8日からBunkamuraル・シネマにてロードショー!!
——マレーネ・ディートリッヒに関する逸話は尽きません。数多ある伝説の中から特に“戦場のディートリッヒ”に焦点を当てたのはなぜ?
ディヴィッド・ライヴァ いい質問だね。ディートリッヒという女性はクローズアップできるテーマをたくさん持っていた。彼女の恋愛、ことにレズビアン的関係だったり、また、ファッションやヘアスタイル、出演した映画作品と本当にたくさんね。けれど、この映画では彼女もまた1人の人間だったということを伝えたかった。セレブリティであるというのは同時にとても孤独なことだ。この映画の中の彼女はプライベートで私自身が知っていた女性と同じだ。本作はそれを描くことがテーマだったんだ。
そして、慰問活動はマレーネ・ディートリッヒを解く最大の鍵だっだ。戦争を通じ、彼女は故郷を失ってしまった。アメリカは彼女に市民権を与えたけれどやはりそれは故郷とは違う。彼女がどれほど故郷を愛していたか、家族を愛していたかはこの経緯なしには語れない。本作はディートリッヒの窓のような存在だと思うよ。
——なるほど。けれど、戦場に焦点を当てたことは製作に影響を及ぼしました。
ライヴァ そう、さっき言ったように恋やファッションについて描こうとするのなら協力者もすぐ見つかったと思う。戦争という背景を選んだため、資金を集めるには3年近く掛かることになった。素材集めにも長い時間が掛かった。実際に残っていたフィルムはわずか6本だけだったんだ。というのも、慰問活動に関し、マレーネはパブリシティを求めていなかったからだ。当時にしても記録はほとんど取っていなかったんだよ。
——当初は他の人間に監督させようと思っていたとか。
ライヴァ 企画そのものはずいぶん前からあってね。ただ、僕が描くと真実を伝えても「だって、孫だから。いいように描くでしょ」と思われてしまう可能性があるじゃないか。まぁ、プレッシャーだよね。だから、別の監督を探していた時期もあった。だけど、ディートリッヒを感情的に一番理解できるのは自分しかいないって悟ったんだ。
——ディートリッヒの孫であることは人格形成に影響を与えましたか?逆に人々にいろいろ言われることで反発を感じたこともありましたか?
ライヴァ たぶんね、有名人の親戚だって言う人はほとんどがそうだろうけど、それに関して反発を感じることはないんじゃないかな。ただ、彼女は人々が思うほどのスーパーウーマンではなかったし、パーフェクトな女性でもない。そう言いたくなることはそれこそ何度もあったよ。
——祖母としてのディートリッヒはどんな女性でしたか。
ライヴァ 孫から見た理想のお婆ちゃん像だったとは言い難いかな(笑)。たとえば家に行ったらクッキーを焼いてくれたり、モンスターが怖い夜には眠りにつくまで傍にいてくれたり、そんなお婆ちゃんでなかったのは確か(笑)。まぁ、料理は上手だったけれどね。彼女は子供に対しても大人に大しても公平かつ厳しい人だった。それがたとえ子供であったとしても甘くみたりはしない、愚か者に割く時間はないというスタンスだったのさ。
——最後に。本作をディートリッヒが観たらなんと言ったと思いますか?
ライヴァ うん(笑)、それには2つの可能性が考えられるね。この映画がディートリッヒという女性について描かれたものでなければ気に入ってくれたに違いない。至極、公平に描いたものだからね。けれど、題材は自分だ。となると・・・やはり怒り狂ったに違いないね(笑)。彼女のパーソナルな部分にまで入り込んだものだから、一生、口を聞いてくれなかったかもしれない(笑)。それでも、フェアな人だったから、マスコミに対してこの映画を見るなと言ったり、批判的な意見を述べたりはしなかったには違いないと思うけど。
執筆者
寺島万里子