本作は、俳優としても評価の高いレイフ・ファインズ監督が構想20年を経て、満を持して発表する最新作。
伝説のダンサー、ルドルフ・ヌレエフの若き日からパリでの亡命にいたるまでを映像化し、世界三大バレエ団で活躍し、バレエ史に燦然と輝くヌレエフの光と影を見事に描ききっています。

主演にはオーディションによって見出された現役のタタール劇場のプリンシパル、オレグ・イヴェンコを抜擢。共演は『アデル、ブルーは熱い色』のアデル・エグザルホプロス、そして『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン世界一優雅な野獣』のヒットも記憶に新しいバレエ界の異端児セルゲイ・ポルーニンを起用し、本物のバレエダンサーたちによってバレエ界のリアルな様子も描かれています。

Q:今回の監督作にルフドルフ・ヌレエフを題材に選んだ理由を教えてください

レイフ・ファインズ監督(以下監督):これは若きヌレエフの話です。有名なバレエ・ダンサーのヌレエフの伝記的な映画ということではなく、若いアーティストが若い時代に、自分がアーティストとして、また人間として自己実現したいというものすごく強い欲望を持っている、というストーリーです。
私はヌレエフの非常にダイナミックでいきいきとしたスピリット、精神といったものに感動しました。彼の生き方は、とても勇気がいると思うんですね。ヌレエフ自身がたくさんの人を怒らせてきたことで有名なんですが、時には人を怒らせてしまうリスクを冒しても、自分は自分自身になりたい、自分はダンサーとして完璧を目指していきたいという、強いアーティスティックな欲望が勝った人だったということです。また、背景として東西冷戦というものがあります。イデオロギーの対比があるわけですが、映画のなかにも「自分は自由になりたい」というセリフがあり、それは人間的な自由を獲得するということですので、あの時代の一人の人間として自由を獲得するということは、本当に勇気ある一個人としての行動だと私は思っています。

Q:この作品で特に力を入れた点はどこですか

監督:最も強調したかったのはヌレエフという人物のキャラクターです。この若いアーティストの自己実現しようという意志、あるいは決意、あるいはそのスピリットといったものに非常に感動したことが映画化の理由ですし、映画では3つの時代が組み合わせることでこの若いアーティストのポートレートが描かれていき、最終的にブルジェ空港の場面に導かれていきます。彼がそれまで一生懸命戦ってきたものというのが、最終的にあの場面に全部集約されるということで、最後に彼が言うセリフ「I want to be free(自由になりたい)」にすべてが導かれていきます。

Q:ルドルフ・ヌレエフを演じたオレグ・イヴェンコさんは、ハンサムでダンスがうまくて、その上なぜあんなに演技がうまいのか、その秘密を教えてください

監督:ヌレエフのキャラクターに惹かれてこの映画を作りたいと思ったからこそ、このキャラクターを演じることができる人を探すのはとても大事でした。プロデューサーも私も、ダンサーで演技ができる人を探そうと思っていました。というのは、ヌレエフというのは非常に有名な人でいろんな記録が残っている方ですが、脚本を読んだ時に、とてもドラマ性が強かったんです。ダンスのシーンもたくさんあって重要なのですが、ドラマのシーンの方が多いので演技力がある人にとって、すごくいいチャンスになるだろうという脚本でした。ですが、私は監督として、演技ができる俳優を選んで、後にバレエを習わせるということには非常に躊躇いを感じましたし、あまりそうしたくはないと神経質になっていました。演技力だけで選んで後でバレエを習ってもらうとなると、バレエは小さい時から習って身体に染み付いたいろんなジェスチャーが外に溢れるというダンスなので、どうしても代役を立てなければいけなくなる、ダンスシーンを他の人にやってもらわなければいけなくなる。それはとても時間がかかるのでスケジュール的にも難しいということで、もし演技ができるダンサーが見つかれば、その人をぜひ使いたいと思い、ロシアで大オーディションを行いました。オレグは最後に残った4~5人のなかの一人でした。スクリーンテストを見た時に、いくつかの素質を感じました。彼はヌレエフに身体的に似ているということ、そしてスクリーンでの演技を理解できる才能があるということ、とてもインテリジェンスのある知的な人だということ、そして人の話を聞く耳があるということ。そしてよく言われる陳腐な言葉ではあるんですが「カメラに愛されている」人だと思ったんです。つまり、カメラに映った彼を見るとずっと見続けていたいと思う、それはスターの資質だと思うのですが、彼にはそういうものがあることが分かりました。そのテストをして、彼はいろんな感情も描けるということが分かったので、彼に決めようと思ったのです。

Q:今回の映画で亡命のシーンに力が入っていましたが、ヌレエフのキャラクターに惹かれたということに加えて、政治に対するメッセージが入っているのでしょうか

監督:若いヌレエフが西側に亡命したという話は、既にいろんなドキュメンタリーもできてはいるのですが、私は『これは非常に魅力的な映画になる』と思ったんです。まず自己実現の話である、それから自由を求める話である、また冷戦という時代背景におけるイデオロギーの葛藤である、そういった中で個人とはどういう意味を持つのか、など面白いテーマがいろいろあると思ったんです。また、ヌレエフが西側に逃げる場面では、皆がロンドンに行ってしまってどうしていいか分からない時に、周囲の皆がイニシアティブをとって移民警察に行って・・・というようなことがあり、そこには友情というテーマもあると思いました。映画では、「誰にも頼らない人なんていないんだよ」と言われるシーンがありますが、実はヌレエフは少し自分勝手で有名な人でもあって、非常に純粋なスピリット、精神の持ち主でした。そこには醜い部分と美しい部分があるんですけれど、それがすべて、空港のシーンの核になっていると思うんです。また、友情ということで言いますと、クララ・サンという人は非常にヌレエフに傷つけられた人です。傷つけられたのですが、彼を赦して彼を自由にする手伝いをする、自由になるための媒体となってくれました。その友情の素晴らしさというのもテーマとしてあるなと思いました。
私は特に政治的なメッセージをこの映画に込めたつもりはありません。私にとって興味があるのは、人間の内なる精神の発露といったようなものですね。この映画は自己実現をするための旅、道のりの物語だと思うし、そういう物語としてインスピレーションを与える作品であれば嬉しいです。

Q:実在したヌレエフに関しての劇映画を作るにあたり注力した点はどこでしたか

監督:脚本はデヴィッド・ヘアーが執筆してくれたのですが、起きた事件や人間関係はなるべく事実に即して描こう話しながら作りました。当時の実際の言葉まではどうしても分からないので、我々が想像したものはありますので、そのあたりはヘアーの作家性が感じられるものになっているかもしれません。しかし映画はリアルに作りたいと思っていたので、言語はロシア語であるべきところ、フランス語であるべきところは原語でやっていますし、ヌレエフはパリに来る前に英語を勉強していて、少し話せたらしいので、劇中でヌレエフも英語を話したりします。クライマックスの空港のシーンについては、物語において、ヌレエフという人にとってクライマックスのシーンが全部集大成になる場面ですので、実際にピエールやクララに取材させていただきました。皆の記憶は少しずつ違ったのですが…。KGBがいるなか、どうやって最後を見せようかと思った時に、水を一杯飲みに行くという普通の行為を亡命のきっかけにしようと思い、映画として作ったところもあるので実際とは違うんですが、うまくいったと思っています。

Q:撮影などでいろいろな国に行かれていると思いますが、印象に残っている国や、印象に残っている出来事があれば教えてください。

監督:私はロシア文化に愛情をもっていて、その中でもサンクトペテルブルクを非常に印象深く思っています。建築が素晴らしいと思いますし、素晴らしい美術館がありますよね。ですので、サンクトペテルブルクで今回の映画のたくさんのシーンを撮れたというのは非常にエモーショナルな意味があります。また、多くのシーンはセルビアで撮影したんですが、その理由というのが、セルビアが映画に対して友好的な国だからということもあります。ですが、一番私が気持ちが高まったのは、バレエ界では有名な(サンクトペテルブルクの)ロッシ通りからバレエ学校に入る道を、まさにヌレエフが素朴な木の扉を開けたというところを撮影した朝、あの朝は非常に印象深く思っています。あそこに何度も通ったんですが、撮影した朝というのはとても印象深いです。いろんなエモーショナルな瞬間というのは他にもあります。レンブラントの「放蕩息子の帰還」を見上げるシーンがありますけれど、あのシーンは象徴的な意味で大事なんです。放蕩息子が外に出て帰ってきたということでヌレエフとも関連しているわけで、そういう象徴的な意味で大事な絵なので、あのシーンをエルミタージュ美術館で実際に撮影させてもらいました。エルミタージュ美術館には長編映画には使わせないというポリシーがあって、ソクーロフの『エルミタージュ幻想』で使われて以降なかなか使わせてもらえなくなったらしいんですが、たまたま私が美術館の館長さんと話をし、これはヌレエフの映画であるということ、そして美術館全体を美しい背景として撮るのではなくてレンブラントのこの絵画について撮りたいということで説得できまして、その日は美術館を閉めてもらってレンブラントの部屋は私たちだけで使わせてもらえました。ですからその時は特別な瞬間でした。また、パリのルーヴル美術館でも、ジェリコの絵を見上げているシーンを、実際の場所で実物を閉館日に撮影しています。閉館日なので他に誰もいない、その中で自分たちだけでジェリコの絵をヌレエフが見ているところを撮ったのですが、実はその部屋から曲がったところにモナリザがありまして、アシスタントが「ちょっとちょっと、来て来て。見た方がいいわよ」と言うので行って、じっくり自分一人で「モナリザ」を堪能できたというのも印象深い出来事でした(笑)。

Q:今回は出演もされていますが、なぜあんなにロシア語が上手なのですか

監督:そんなに流暢ではないんです。少しはしゃべるのですが。そんなに流暢ではないので一生懸命練習しました。ロシア語通訳に素晴らしい方がいたので助けてもらったのと、ポストプロダクションで、だいぶ修正しました。

Q:本作では出演と監督と製作をされていますが、それぞれ映画に携われる上で自分の立ち位置の違いを教えてください

監督:私は監督としてまだまだ勉強している段階です。もしもう一作作ることがあるとすれば、今度は出演しないで監督に専念したいというのが私の夢です。俳優をやって監督もやって、というのは大変すぎるのでやりたくないと思うんです。今作も本当は俳優をやりたくなかったのですが、財政的な理由から出演しました。今回の映画で私もプロデューサーに名前を連ねていますが、ガブリエル・タナという素晴らしいプロデューサーに恵まれ、彼女の功績によって映画ができました。今度は、プロデューサーとしての心配もすることなく監督に専念したいというのが、次回作への希望です。

(c) Kazuko WAKAYAMA