2017年カンヌ国際映画祭、ある視点部門ポエティックストーリー賞を受賞、パリが生んだ20世紀最高の歌姫バルバラが紡ぐ、激情のドラマ『バルバラ~セーヌの黒いバラ~』が、11/16(金)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショーいたします。

人生とは愛であり、哀しみであり、歓びである――。セーヌの畔で、そして世界で最も愛された歌姫バルバラが、いまここに甦る!
「黒いワシ」「ナントに雨が降る」などの名曲で知られ、1950年代からシャンソン界の女王として君臨したフランスの伝説的歌手バルバラ。謎に満ちた彼女の人生を演じるひとりの女優とその映画監督は、いつしか愛の迷宮で彷徨う。愛に傷つき、愛に悦び、人生を駆け抜けた一人の歌手の魂の歌はやがて、二人をバルバラの人生そのものへと姿を変えていくのだった…。バルバラとはいったい誰だったのか? 世界はいったいなぜ彼女に熱狂したのか?

この度、監督・脚本・出演のマチュー・アマルリックのインタビューが到着いたしました。

Q:本作を製作するにあたって
いや、だめだ。分からない。伝記映画なんて、しかもバルバラの映画なんて、無理だ!そして脅迫観念が襲ってきた。なぜ追い詰めるのか? なぜこの映画を作るのか?
そこで、伝記映画を観ることにした。『レニー・ブルース』、『Le Debut de Gleb Panfilov』、ケン・ラッセルが監督したBBC放送の「Debussy」、『バード』『ヴァン・ゴッホ』『アイム・ノット・ゼア』『マン・オン・ザ・ムーン』『ラストデイズ』。そして、もうバルドーはいないけれど、デビッド・テボール監督が作ったTV映画「Bardot, La méprise」。アイデアを拝借するつもりで観たドキュメンタリーには、ブルーノ・モンサンジョン監督のTV映画「Richter, The Enigma」、『l’insoumis』がある。古典なら、『モリエール』はもちろん、『テレーズ』 『薔薇のスタビスキー』『アンドレイ・ルブリョフ』、『歴史は女で作られる』。そしてまた現代に戻り、『レイジング・ブル』、架空のバンドをあたかも本物のように描いた『スパイナル・タップ』(未)、 『La Prise du pouvoir par Louis XIV』『市民ケーン』『アマデウス』『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』『Flint』 『ショコラ ~君がいて、僕がいる~』『湖のランスロ』(未)などを観た。そして、これなら何でもできる!そう思った。

Q:他に参考にしたものは?
資料といえば、人間再生への渇望。記憶の穴とホログラム。策略とその共犯者、儀式、約束、オブジェ、崇拝、恩恵、変身、公現祭、疑い、重ね写し。ドラッグ、幻覚、たばこの煙、印影、虹、それから伝記。これで全部かな?音楽においては、この言葉しかない。「情熱」だ。

Q:ジャンヌ・バリバールがバルバラを演じることについて
ジャンヌ・バリバールが演じるのは、バルバラではない。映画に登場する女優ブリジットを演じ、その女優がバルバラを演じるのだ。そこから、全てが生きてくる。星に、優しさに、クモの糸に……。愛を奏でる、装置のような映画の中の映画。それを入れ子のように組み合わせていく。
今作は、リバース・ショットで撮影し、フレームを調節し、映像素材と音声を、女優の背景に重ね合わせていく手法をとった。よく練られた物語が歯車のようにかみ合い、毛細血管のように張り巡らされていく。バルバラと、ジャンヌ・バリバールの間に溢れ出る韻を踏む対話は、筆舌に尽くしがたい。
この手作りの伝記映画は、作り話だが、ジャンヌが演じるにふさわしい壮大な舞台となった。

映画は、バルバラの役づくりに入る女優ブリジットを通して描かれていく。ピアノと歌の練習をしながら、試練を経験し、恩恵に浸る女優。実は、この部分は、新しい曲が生まれるところに立会うために、6か月前から撮影していたのだ。
はじめにブリジットはゆっくりと演技を始める。バルバラの曲や言葉を読みときながら。そして次第に衝撃を受けていく。数年の沈黙ののち、バルバラを思う気持ちが溢れ出る女優。女優は、流したたくさんの涙とともに、稽古を中断していたのだ。だが、突然女優はアクセルを踏み、ナントへ向かう。そのテンポはバルバラのワルツに近い。そしてあることを理解する。
のちに女優はこう話す。「相手が恋人か監督か、どこの音楽家かわからないけれど、この歌は涙が溢れる歌なのだ」と。そしてスピードが加速し、場面は、キャバレーへと移る。活気に溢れた舞台。あるいは、プロデューサーが女優と一緒にラフカット映像を見ようとする。彼女が若いスタッフとともに帰ってしまう前に。実際にコンサートを終えたバルバラがそうだった。ときに、女優として生きたかつてのバルバラ。カメラは、それを復元するだけでなく、その反響をも映し出す。

Q:完成した本作について
断片、先端、モザイクを、少しずつ並べていくと、無意識の経験に基づいた事実など、何ひとつ加えなくても、ある記憶が浮かびあがる。
一曲の歌のような映画。はじめに提案するのは感覚。すべてを信じ切ること。バルバラの魂の再来と平凡さ、神秘と肌、親しみやすさ、そして高揚する感覚。それらすべてが事実であり、本物なのだ。
僕の演じる崇拝者の監督を通して描かれた、これまでになく美しいバルバラの記憶。1973年のツアーを、ジェラール・ヴェルジェがドキュメンタリーに収めたときの、思慮深く、破天荒なバルバラ。映画『我が友フランツ/海辺のふたり』(72・未)でジャック・ブレルがバルバラ本人と彼女が扮する女性を混同したまま海に投げたあのシーン、あるいは、ジャック・トゥルニエの著書「BARBARA Chansons d’aujourd’hui」の感動的な序文。それらすべての記憶がスクリーンによみがえる。

<STORY>フランスの国民的歌手バルバラに扮した映画の撮影を控えている女優ブリジット。彼女はバルバラになり切るため、自身の性格・歌声・ジェスチャー等すべてをバルバラに模し、自分の中に取り込もうとする。次第にバルバラの存在が自分の中で大きくなり、心身ともにバルバラに支配されるブリジット。そして映画監督イヴも同様、バルバラの存在にのめり込んでいく。果たしてイヴを支配しているのはバルバラなのか、それともバルバラに扮したブリジットなのか?バルバラの貴重なフッテージも絡めながら、一個人のアイデンティティの崩壊、そして再生が今スクリーンに赤裸々に写し出される。

監督/脚本/出演:マチュー・アマルリック(『そして僕は恋をする』『潜水服は蝶の夢を見る』
主演:ジャンヌ・バリバール(『そして僕は恋をする』『サガン -悲しみよ こんにちは-』)
2017年/フランス/原題:BARBARA/98分/配給 ブロードメディア・スタジオ/宣伝 テレザ、ポイント・セット
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