9/15よりテアトル新宿にて公開された『飢えたライオン』。関西では10/13より元町映画館シネ・リーブル梅田にて公開が始まった。

監督、脚本は緒方貴臣監督。デビュー作『終わらない青』では性的虐待と自傷行為、『体温』ではコミュニケーションの深淵、『子宮に沈める』では貧困とネグレクトを正面から描いて来た。

最新作の『飢えたライオン』では、フェイクニュースの犠牲になった女子高生・瞳(松林うらら)を主人公に、真偽が不明な情報を手軽に消費することで意識せずして事態に加担している現代の我々の姿を描き、第22回プチョン国際ファンタスティック映画祭にて、NETPAC Award(最優秀アジア映画賞)、第33回バレンシア国際映画祭CINEMA JOVEにて、最優秀脚本賞と若手審査員賞を受賞した。

そんな独自の視点が高い評価を受ける緒方監督にお話を伺った。

 

 

自分も同罪であると意識しながら

――この映画の企画はどのように始まったんでしょうか。

緒方:前作の『子宮に沈める』は実際に大阪で起こった事件を元につくった映画でしたが、ノンフィクションだと思った人が結構いたんですね。自分が嘘の情報を流してしまったんじゃないかという罪悪感があったのと、実際に二人の子供が亡くなった事件を描いていて、いわゆる商品にしたわけですよね。そういった罪悪感がずっと自分の中にありました。今回の映画を撮った大きなきっかけはそこなんです。
あとは『子宮に沈める』以降に起きて印象に残った事件が3つあって、『飢えたライオン』はその事件を元にしているんですけど、今回は具体的な事件は完全に伏せてあります。
その三つの事件には共通点があって、映像も情報の一種ですし、映像の持つ加虐性が事件の要因になっていました。そういったことからこの映画を作ることにしました。

――前作で罪の意識を感じたということですが、そういった感情とどう折り合いをつけて作品にされたんでしょうか。

緒方:世の中にはニュース映像の暴力が溢れていて。情報そのものの真偽も含めて、嫌悪感持ったり違和感を感じ取ることは多々あるんですけども、映画にするにあたって単純に批判するだけの視点の映画にはしたくなかった。自分も同罪である、そちら側にいる人間だということを、凄く意識しながら作りました。

 

目に映るものが真実なのか?

――『飢えたライオン』を拝見して、些細な出来事の積み重ねが取り返しのつかない方向に行ってしまうのか怖いと感じました。

緒方:元々ネットに誰かが書き込んで、それを誰かが見て、誰かに伝えた時点で、それが「誰かが言った」って事実になる。怖いですよね。丁度脚本を書いているときに、イタリアであるカップルが性行為をスマホで撮ったんですけど、女の子が撮影している男の子に「ブラボー」って言ったんですね。その映像がネットで流出してしまって、「ブラボー」って言葉がTシャツのデザインになるくらい流行って、女の子は自殺してしまったんです。
最初の意味合いと変わったものがネットに広がっていく。その要素を今回の映画の中に入れました。

 

――他の高校生たちが冗談めかして喋ってたり、情報が拡散していくシーンが多々ありましたね。

緒方:それって僕たちが日常でやっていることですよね。

――ネットのニュースなど、扇情的なタイトルだとついつい見てしまったりしますね。

緒方:真偽を確かめずに誰かに言うことは、例えば言葉にしなくてもリツーイトやシェアすることも同じだと思うんですね。自分たちが、映画の中の瞳の周りにいるいわゆる加害者側でもある、ということは意識しないといけないですね。みんな自分は悪くないって視点で映画を見ちゃうんで、なるべく感情移入させないように作りました。

 

――先生が拘束されていくときに、教室からみんなが見ている。あの中に自分もいると感じました。

緒方:そうなんです。瞳だって実は率先して先生が連行されるところを撮っていて、妹にも見せていたわけですよ。主人公だって完全な善ではないし、彼女の中に悪もある。たまたま彼女が被害者になったということですね。
彼女が最初に授業に遅れて「遅延です」って言うんですけど、彼女が死んだ時も遅延が起こるんです。東京に住んでると しょっちゅう人身事故で遅延するんですよ。その度にホームで1・2時間待つことになると、ついつい人が死んでいることを忘れちゃいますね。ツイてないといった感情が出る。一連の描写はそんな自分に向けているものでもあるんです。

 

――朝、瞳の家に友達が誘いに来るインターホン越しの映像が印象に残ってます。最初は「なんで行かなくちゃいけないの?」という顔をしているんですけど、2度目3度目は作り笑いのような顔に見えるのが不気味で。

緒方:実はあれは全部同じカットなんです。同じ画像でも前後の流れによって全然違って見えるんです。ワンカットだけ見ると普通に女の子三人が立ってるだけの絵なんですけど、どんどん悪意がある笑顔に見えてくる。この映画だって作り物ですから。

――そうだったんですね!先入観で全く違うものに見えて、それを事実と認識してしまうことを体験しました。

 

スマホ世代になりきった松林うららさん

――キャストについてお聞きします。松林うららさんをキャスティングした決め手は?

緒方:彼女は共同プロデューサー小野川浩幸の紹介です。最初会った時にいい意味で女優ぽくない。本当に普通の女の子って感じで、それがこの映画には合ってるなあと思いました。

 

――松林さんに対してどのように演出されましたか。

緒方:今回も事件をベースにしてるんですけども、その事件はあまり調べないでほしいとお願いしました。先入観を持つとそういう芝居になっちゃうので。彼女は当時23、24歳で、高校生になることをだけを考えてもらいました。最初のリハーサルでは元気さが足りなくて。僕が思う高校生たちのはっちゃけた明るさとか、なんの脈絡もなく話が飛んでいく感じや、いきなりスマホを取り出して写真を撮り出したり。松林さんたちもスマホ世代ではないんですよね。高校の時にスマホはあったげど今程スマホが日常にはなっていないぐらいかな。

 

――呼吸するように使うといった感じですもんね。

緒方:そこを頑張ってもらいました。なかなか難しかったみたいですけど、彼女達が持ってる制服を着て渋谷とか原宿へ行って過ごしてもらったり。

 

――完成された作品を観て、松林さんの演技はいかがでしたでしょうか。

緒方:良かったと思います。特に冒頭で4人がトイレで話しているシーンはとても良かったし、高校生に見えるという人が多かったですね。

 

 

感情移入を拒む映像スタイル

――緒方さんの映画の特徴として、音楽がなかったりシーンの切れ目に黒い画面が出てきます。観る側が自分と対峙しているような感覚になるんですけども、この独特の手法はどのように確立されましたか?

緒方:前作の『子宮に沈める』とその前の『体温』っていう作品ではあまり多用してないんですけど、改めて考えると『終わらない青』の時からそういうスタイルは変わってないですね。社会を見る視点とか描きたいことはあまり変わってなくて、表現方法としてはだんだん洗練されていってるんじゃないかなと自分で思っています。

 

――最初はどういう風にして思いつかれたんでしょうか。

緒方:そこですよね。何かしら誰かの影響受けてると思いますよ。僕が一番影響を受けている作家がジャン=リュック・ゴダールなんですけど『ゴダールの映画史』という作品を観て、映画ってこうじゃないといけないっていう決まりはないと知りました。自分が作った作品を色々な人が観てくれて、自分の意図通りに伝われば成功だし、伝わった人が少なければ間違っていたなということを繰り返して、自分の表現方法を確立しているように思いますね。

 

――観る人が自分との対峙を迫られると感じたのですが、そういった意図はおありでしょうか。

緒方:必ず観客は自分をオーバーラップさせて感情移入してしまうんですけど、涙を流して劇場を出たら終わりになる。そうではなくて主人公を取り巻く側、この映画の中では加害者側の人たちの中に自分を見つけてほしいなと思っているんで、自分を客観視するように距離感を取ってますし、なるべく感情を途切れさせるように黒味を入れることによって感情が続かないようにということは意識して作りました。

 

自分の中の偏見に気付いたからこそ生まれた映画

――緒方さんが映画を撮り始めた経緯を伺いたいんけど、劇場公開されたデビュー作の『終わらない青』以前の作品もおありですか。

緒方:今まで純粋に4本しか撮ってなくて、いきなり撮ったのが『終わらない青』なんです。2010年に上映されたので撮影は2009年位だったと思います。元々福岡でずっと仕事をしていて、辞めて上京して映画の専門学校へ入ったんですけど、3ヶ月で退学して。その学校に払う学費で撮りました。

 

――福岡にいた時から撮りたい映画の構想は明確にありましたか。

緒方:やっぱり上京してからですね。ゴダールに影響を受けていて、世界にある戦争や紛争というものを映画で表現したいなと思ってたんです。上京してあるジャーナリストの人に会って、世界の紛争やパレスチナ問題などを映画にしたいと話たら、「パレスチナ問題を追いかけている人は世界中にいるし、若いあなたがわざわざやらなくてもいいんじゃないか。もっと身近な問題に目を向けてみたら」と言われたんですね。色々調べてみると自分が気づかなかったり知らなかった社会的な問題が、実は身近にたくさんあって。自傷行為や性的虐待を題材にして撮ったのが『終わらない青』です。

 

――今まで撮られた作品が全て、周りが気づきにくい問題にフォーカスされているのは何故ですか?

緒方:ただ自分が知らなかっただけじゃ撮ってなかったでしょうね。そこに対して間違った認識をしていたっていうことが大きいです。『終わらない青』に関しては、自分が自傷行為や性的虐待に対して偏見を持っていたので、それこそ自分の中にある悪に気付いたからこそ映画にしたということです。

 

海外での反応は?

――『飢えたライオン』は関東ではすでに公開されていますが、観客の反応はいかがでしたか?

緒方:今回一番思うのが批判が少ないってことです。今までは批判が多かったんですが。逆に不安なんですよね。先日のトークイベントでお客さんに向かってもっと批判してくださいって言っちゃったぐらいです(笑)。

――日本では共感が多かったということなんですが、海外の映画祭ではいかがでしたでしょうか?

緒方:やっと日本で公開されてお客さんの反応を比べることができたんですけども、教育の方向性の差もあると思うんですけど、海外の人はびっくりするぐらい鋭い質問が多いですね。
この映画でも描いているんですけども、先生から一方通行の授業を受けているから生徒の手が上がることがないのかなって。

――海外の映画祭で印象に残っている面白かった質問などはありますか。

緒方:同じような質問も多いんですけども、スペインはちょっとこの映画の見方がちょっと違っていて。今女性の人権について世界中が盛り上がっているじゃないですか。ムーブメントに重ねて質問が挙がるんです。なんでだろうと思ったら、スペインはまだまだ男性社会らしくて、だからこそカウンターとしてこういった映画が注目されるらしいです。日本はどうなのって聞かれて、#metooもあまり盛り上がってないですよって答えてます。日本もまだまだ男性優位社会なんで。日本ではそういう風に見る人がいなくて、スペインではそういう見方をする。意識の違いから日本はまだまだ遅れているというか、ちょっと面白いなと思いましたね。

 

学園もののフォーマットで描く閉塞感

――出来るだけ感情移入をさせないようにしているというお話がありましたが、思い出すと泣きそうになるシーンがありまして。孤独を感じた瞳が屋上に行こうとして、扉が開かない。あれは胸に響きました。

緒方:それは嬉しいですね。僕が好きなシーンのひとつなんです。今日本では高校生を主人公にした映画が溢れていますよね。商業映画も自主映画も含めて。この映画はそんな状況へのカウンター、アンチテーゼとして実は作っています。なぜか四人組じゃないですか。タイプの違う友達がいたり。そのフォーマットだけ借りて僕の映画にしているんですね。
主人公がいじめられたり辛いことがあると屋上に行って気分転換したりするじゃないですか。ほとんどの場合、カギがかかっていて現実は屋上に行けないよって。

――光を求めて屋上に出ようとして、出られないことがすべての状況を表しているようです。

緒方:自分にとっても重要なシーンなんですけど、質問されたのは初めてじゃないかな。

 

――表面だけの共感ではなくて、映画の中で一番瞳の心情に踏み込んで体感できるシーンかなと思いました。映画を通じて怖さや不快感を伴う現実を顧みる意味はそこにあるように思います。
最後にこの映画に興味をもたれた方々に一言いただけたらと思います。

緒方:登場人物の中に、どこかで自分が言ったことあるようなセリフや悪意が見つかるのではないかと思います。
こういう風に観て欲しいってのは正直ないんです。普通に見てもらって自由に解釈してもらって、またいい批判を頂ければと思ってます。ありがとうございました。

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執筆者

デューイ松田