2001年は日活ロマンポルノ生誕30年に当たる年。現在、第一線で活躍中の映画人の多くがここから輩出されたのは周知の通りですが、『リング』『カオス』とヒットを飛ばし続ける中田秀夫もそんな一人。このほど、師匠小沼勝監督にオマージュを込めたドキュメンタリー「サディステック&マゾヒスティック」(1月27日からユーロスペースにて上映)を製作しました。さる19日、渋谷のパンテオンでは生誕30周年&「S&M」映画公開を記念し、日活ロマンポルノのオールナイト・イベント「新世紀エクスタシーNIGHT」を開催。大スクリーンでのポルノ上映という前代未聞な試みに前出の両監督ほか、相米慎二、中原俊、じんのひろあきなど日活OBが大集合。女性の姿も目立った本イベントは900人以上の来場となりました。






当日の上映作品は「実録阿部定」(75年、田中登監督)、「Mr.ジレンマン色情狂い」(79年、小沼勝監督、荒井晴彦脚本)、「恋人たちは濡れた」(73年、神代辰巳監督)、「ラスト・キャバレー」(88年、金子修介監督、じんのひろあき脚本)の4本。上映の合間には山本晋也司会によるトークショー(女優編、監督編)が行われました。「ロマンポルノは全部で1100本近い本数があるんです。スクリーンで観るチャンスなんか、70年代以降にお生まれの方は殆どなかったんじゃないですか。それだけの作品をご覧になってないというのは勿体ないことですよねぇ」(山本晋也)。ロマンポルノ・スクリーン初体験者はこの日、3分の1強!それも、大画面ですからラッキーこの上ないでしょう。
女優編では往年のポルノ女優、風祭ゆき(「妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…」ほか)、木築紗絵子(「箱の中の女 処女いけにえ」ほか)、監督の中田秀夫が登場しました。日活ロマンポルノは中田監督が入社して3年で製作中止に。「せっかく撮りたかったのに撮れなかったという、ルサンチマンっていうんですかね、恨み、みたいのがありまして」。サードの助監督として、小沼監督についた作品は「箱の中の女 処女いけにえ」。「助監督って走り回ってすごく忙しいじゃないですか。でも、中田さんはぼぉーとしてた印象が強いんですよ(笑)。大物の感じはありましたね」(木築紗絵子)。「そう、あんまり動かないんで“海牛中田”って呼ばれてましたよ(笑)」。とはいえ、監督編トークショーではポルノの撮影現場は凄惨と語っていた中田。「『夫の眼の前で〜』では小沼監督から腿とか、背中をケイレンさせろっていう注文が出ましてね、でも、どうやってやったらいいかわからないじゃないですか、そんなの(笑)」(風祭ゆき)。レイプシーンの多かった風祭サン、弾丸ほどの大きさがある雨に打たれて、皮膚に痕が残ったこともあったとも。





監督編トークショーは司会山本晋也、田中登、小沼勝、荒井晴彦、金子修介、じんのひろあき、小原宏裕、相米慎二、中原俊、中田秀夫と10人が大スクリーンをバックにビールを酌み交わすという和気あいあいとした雰囲気でスタート。今だからこそ、言える昔話に花が咲く。「S&M」中でも語る通り、中田監督は師匠小沼勝に3度の殺意を感じたそうな。「クラシカルな風呂桶が欲しいと言われてたんです。でもロケが古い宿だったので、わざわざ東京から持っていくことをしなかった。そうしたら、宿には黄色いプラスティックの桶しかない!他は古めかしいのに…」。カチンコマン相手に“あいつはあれでも助監督か!!”とぼやく小沼監督、それを尻目に付近の旅館10軒以上を駆けずり回った中田。甲斐あって、撮影には間にあったが「問題のシーンで、ですね、桶を目にした小沼監督は“あの桶、邪魔じゃないか”と一言。その時には心にナイフを…(笑)」。当時を振り返った小沼勝は「なんかさ、家庭的な雰囲気が出てて邪魔かな、と思ったんだよ(笑)」。
 「小沼さんのチーフ助監督やってた時のことですけど、“なんかお前とはマジメに話す気がしない”って言われたことありましたよ(笑)。僕は苛められずにクビになってしまったクチですけど」(中原俊)、「僕が覚えてるのはね、五月みどりと小沼監督の対立(笑)。小沼さん降りちゃうんじゃないか、という雰囲気で、そうしたら僕が監督になれるかなって本気で思ってた(笑)。結局、そうはならなかったんですけどね」(金子修介)。平成『ガメラ』シリーズなどで知られる金子監督だが、ロマンポルノ時代は思い通りのならない女優のせいで、泣いたこともあるとか。「あれはね、水島裕子が十字架に縛られるがイヤだって言い出して。それも現場で、ですよ。それで説得した。説得しながら泣いたってやつだと思う(笑)」(金子修介)。相米慎二は「ロマンポルノ時代はただただ出来の悪い監督でしたね。でも、いいことも悪いこともここにいる皆さんから教わった。そうでなければ今ごろ道端で寝てましたよ」。 




トークショー前、客席で自作「実録阿部定」に観入っていた田中登。「封切りから1度も観てなかったから実に25年ぶり。いつか、“大きい画面で観てやるぞ”という意地もあってね(笑)。今日、それが叶って良かったんだけど、俳優の持てる力に改めて感動しましたよ」。宮下順子を氷点下20℃で素っ裸にしたこともある田中監督。助監督だった中原俊は「死ぬんじゃないかって、死んだらどうしようかって心配だった(笑)。宿に帰ると宮下順子が“監督、殺してやるー”とかって叫んでましたよ」。田中登と動機の小原宏裕は「僕はね、よく“田中さんを見習ってください”って現場で言われましたよ。田中は家で奥さん使って秒数計ったりしてるのに、“小原さんは何も考えてきませんね”って(笑)」。
一方、荒井晴彦はピンク映画出身でロマンポルノに憧れていた。「撮影所も使えるし、ギャラも出るしね」。ここで、司会の山本慎也は「そうだ、俺、荒井さんにホンの借りあるんだ。今、思い出した!」。「そうですよ。今、お金ないので返してください(笑)」(荒井)、「私もギャラもらってないんですよね(笑)」(山本)。じんのひろあきは日活ロマンポルノ最後の世代。「ぎりぎりで脚本デビューできたんですけどね。『ラスト・キャバレー』はロマンポルノ17年間中、最低の興収(笑)。“電気代も出ねぇよ”って劇場の人に言われましたよ」。朝方には本作品の上映も予定され、監督の金子修介は「寝ないでみてね」と何度も口にしていました。(敬称略)
  

執筆者

寺島まりこ

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