1945年4月— たった5人で300人のドイツ軍に挑んだ男たち。

俳優、そしてプロデューサーとして映画界のトップに立ち続けるブラッド・ピット。彼が類い希なストーリーとキャラクターに惚れ込み、主演と製作総指揮を熱望した最新作が『フューリー』だ。物語の背景は第二次世界大戦末期。最後の抵抗を繰り広げるドイツ軍に、“フューリー”(=激しい怒り)と命名された戦車で立ち向かった米軍兵士5人の想像を絶する一日の出来事を映し出す。

 ブラッド・ピットは、歴戦の勇者でありながら複雑な思いを内に秘めた“フューリー”の指揮官ウォーダディーを熱演。元米海軍のデヴィッド・エアー監督が、ウォーダディーと部下4人の熱き絆をドラマティックに描きつつ、米軍M4中戦車シャーマンとドイツ軍が誇る最強戦車ティーガーの激突など、圧倒的な臨場感とリアリティ溢れる戦闘シーンを見事に映像化。深遠な人間模様と極限のスペクタクルを融合させ、あらゆる観客の胸に響くエポック・メイキングな超大作が、いよいよ公開!

『フューリー』シャイア・ラブーフにオフィシャルインタビュー



— 今回演じた役(ボイド・スワン 通称:バイブル)について
「ボイドはフューリーの副司令官だ。タンクの主砲であるHV76mm砲の操縦にあたる。冷血な殺し屋だが、信心深い男でもある。聖書を読むクリスチャンが戦場の殺戮とどう折り合いを付けるのかが興味深い」

戦車を操縦する上で、大砲の操縦を担う“砲手”と大砲に砲弾を詰め込む役回りである“装填手”は、連携が需要となる「密な関係」にあるとデヴィッド・エアー監督は語るが、装填手のグレイディを演じたジョン・バーンサルは「グレイディはボイドを部隊の“母親”的な存在とみなす。ボイドを部隊の精神と道徳の先導役と崇める。ボイドはより崇高な力、そして神とのつながりを持つ。装填手と砲撃手はお互いにとってなくてはならない存在であり、とても興味深い関係性なんだ。一方が聖書を読み、説教をするクリスチャンで一方が殺しを厭わない女好きなので相反する存在と思いがちだが、二人は融合し、完全に一体となる。一人の人物の陰と陽のようなものだ」と語っており、グレイディとボイドの関係は単に砲手と装填手という関係に留まらずもっと深いものだと説明している。

— 実際に第二次世界大戦時に戦場で戦った兵士との座談会について
「第二次大戦中に第2機甲師団に従軍したドン・エヴァンスはボイドと性格が似通っていて、クリスチャンで正義感が強い。殺しは殺しでも“killing”と“murder”との二種類があり、その間には大きな違いがあると力説された。生き方は聖書に則っているが、それでも敵なら殺す、罪悪感で寝付けなくなるようなことはないと言うんだ。まあ神が特定の魂を刈り取る死神たちをこの世に産み落としたということなんだろうな。もう少し若い世代の軍人とも話をした。シェーン・イェーツという大尉がいて、彼は42歩兵師団の従軍牧師でもあった。師団とデヴィッドから許可を得て前進作戦基地に派遣された兵士たちと一緒に生活をする機会を得た。国家警備隊の皆と一ヶ月半を過ごし、その後にその他の兵士達と合流してフォート・アーウィンのブートキャンプに参加したよ」

また、製作のジョン・レッシャーは、「シャイアが演じるボイドはいわゆる牧師という典型的なアーキタイプに分類することができるが、それは既に幾度となく登場している人物描写だ。だがデヴィッドの手に掛かると、神を信じながらも喜んで殺すような二面性のある男という描写になる。シャイアは魂のこもった深みのある芝居をしてくれる。いままでに見たことのないような打ち込みようで感心したよ」と語り、ボイドのもつ二面性を探求すべく、退役軍人との座談会や、実際に兵士たちと一ヶ月半生活をともにするなど、役作りに力を入れたシャイアの演技について絶賛している。

— デヴィッド・エアー監督について
「デヴィッドは特異な経歴の持ち主で、色々な事を語り聞かせてくれるし、こちらの話も聞いてくれる。ちょっとイカれてるが、だからこそいい」

— 撮影前に行われたブートキャンプについて
「あのブートキャンプは計り知れないほど有益だった。お互いを良く理解できるようになったし、何せ6日間もの間森の中で一緒に過ごすわけだから次第に団結が深まっていく。自分がより大きな大義の一駒に過ぎないことを自覚するようになり、多くの男たちのために戦っていることも分かってくる。キャンプに参加した後は国旗を見る目が変わったよ。星条旗が護符のように、超越的なシンボルのように目に写る。僕は親父が退役軍人なので、軍人に対してはもともと敬意の念はあるが、それでもケヴィンや他の皆との訓練はエモーショナルな体験となった」

執筆者

Yasuhiro Togawa

関連作品

http://data.cinematopics.com/?p=52877