今年1月本国フランスで公開するや、アカデミー賞を賑わせた『ゼロ・グラビティ』や『あなたを抱きしめるまで』を抜いて、初登場NO.1の大ヒットを記録しました。公私ともにサンローランのパートナーだったピエール・ベルジェ氏が全面協力し、イヴ・サンローラン財団所有のアーカイブ衣装の貸し出しの許可も得て制作された、ブランド初公認の本格伝記映画。

主演のピエール・ニネにインタビュー!

$red ——脚本を読んだ時のご感想は? $

ワクワクしたよ!すぐにこれが、傷つきやすくまた気高さを備えた、多面的で魅力ある人物を描いた感動的な話だと分かった。是非出演したいと思ったよ。ジャリル・レスペールの映画はよく見ていたし、彼が俳優たちと親しいことも知っていたから、この作品は説得力のある映画になるだろうと思った。彼なら、この愛と創造を主題にした伝説的な物語を、これにぴったりの色調を見つけ出して描き、全編を通じて二人の人物を掘り下げて描いてくれるだろうと思ったんだ。











——脚本のどこに感動したのですか?

第一に、サンローランがとても成熟していたことに感動したよ。若い年齢から創造と発明に取り組もうとする断固とした決意に感銘を受けた。彼が幸せを感じる唯一のことが創造することだったんだ。ある意味、それが彼にとって人生で唯一の目標だった。ジャリルはこの愛の物語を作品の中心に据えることを決めたが、彼はベルジェとサンローランの素晴らしい50年にわたる関係だけじゃなく、この物語の一部を成すサンローランの困難や巧みな試みも描きたいと考えた。
最後に、僕が気に入ったのは、この映画ではサンローランの人格の暗い側面、アルコールやドラッグとの接触をうまくごまかしたりしていないところだった。こういった面も彼の人生に実際あったことだし、彼が残した遺産の一部でもあるからね。

——この役をオファーされる前にファッション界がどんなところかご存知でしたか?

いや、あんまり知らなかった。ファッションに特に興味はなかった。ファッションのことはよく知らなかったからね。ファッションに心から興味を持ったというより、サンローランやディオール、バレンシアガといったファッションの歴史を創り上げた人物の方にとても興味を持ったんだ。僕に関連性があったのは、どちらかというと、こうした創造的で型にはまらない人々の方であって、ファッションショーの舞台ではないんだ。そうは言っても、プリプロダクションや撮影が進むにつれて、ドレスや布地、スタイルにどんどん興味を引かれていったけどね。例えば、モンドリアンドレスが撮影用に博物館から運ばれてきた時は、特に感動したよ。バレエ・リュス・コレクションのフィナーレでモデルたちがマリア・カラスのアリアに合わせてランウェイを歩くのを見たら、このコレクションに注がれた情熱と熱意がどれほどのものだったのかを感じて、誰もが圧倒されずはずだよ。

——サンローランは天才ですが、人間としては心の中にすさまじい葛藤を抱えており、極度に内気な性格でもあった……この役をどう演じましたか?

このような有名な人物を演じる時は、その責任感が演技の妨げにならないようにするため、まずその人物を取り巻く神聖な雰囲気を取り除く必要がある。僕はすぐに役作りに集中していった。演じることの喜びも感じたよ。舞台俳優としての経験がとても役に立った。舞台俳優をやっていると、シェイクスピアの芝居を演じる時などに、数々の名優の演技や様々な舞台が心の中をよぎるものだけど、そういったプレッシャーを克服できるようになるんだ。新たに自分なりの役作りをしなければならないからね。このようなことが今回の役作りに役立った。サンローランは心に傷を負った繊細な人物で、確かに彼は「極度に内気」だった。彼は24歳の時に躁鬱病と診断された。僕はこの面も表現しなければならなかった。彼の内気さは大きな欠点ではあるが、この欠点を彼は強力な武器に変えることができた。脚本では、ある男性が彼に、「君は低い声で喋るんだな」と言う。これにサンローランはこう答えるんだ。「相手に耳を傾けさせるためだよ」とね。

——サンローランについて色々とリサーチしましたか?

したよ。出来る限りたくさんの物語やドキュメンタリーを見たし、手に入る限りの様々な記録や記事やインタビュー、伝記など、何でも読んだ。数か月間、サンローラン漬けになって、毎日を彼と過ごした。ビデオやインタビューを見たり、iPodで彼の声を聞いたりね。彼が心に秘めた思いを感じ取りたかった。現場では他の誰よりも彼のことを知っていたかったんだ。僕は全身全霊で役作りに取り組んだ。彼の成長、18歳若さで発揮したその創造力、デッサンの才能、目標を達成しようとする決意、舞台へ向けた情熱など、彼の人生の様々な側面に影響を受けたよ。彼のステージの感覚が僕の役作りの基礎になった。
また、数か月間、様々なコーチについてデッサンや裁縫、デザインの訓練を受けた。
スポーツのコーチにもね。それに、サンローランの作業室で使われた専門用語も習った。そういう用語は、時と共に変化したんだ。

——音域についてはどんな取り組みをされましたか?

僕はスタニスラフスキーの「演じる時は、自分自身の経験を駆使し、そしてそれを捨て去るべきだ」という言葉が好きなんだ。だから、僕も「全力をあげて取り組もう!」と思った。インタビューを見て、僕はサンローランの声や喋り方に魅了された。彼の喋り方が彼の内気さ、ユーモアのセンス、そして意志力を雄弁に物語っていたからだ。僕はそういった全てを表現したい、彼と同じように、独特で、詩的とも言える喋り方を身に付けたいと心から思った。

——ピエール・ベルジェは演技について助言をしてくれましたか?

それはなかった。僕はいつものように自分で取り組んだよ。でも、彼はものすごく助けてくれた。彼はサンローランと一番親しい関係にあった人物だからね。今でも、彼はサンローランの作品を管理している。彼と話していて、彼ら二人の生活やサンローランの私的な面を色々と学んだ。そういったことは公開されている記録には記されていないからね。ベルジェは私的な話を語ってくれて、サンローランのユーモアのセンスや長年にわたる二人の生活、それに二人で訪れた場所の話もしてくれた。彼のスタジオに行き、ベティ・カトルー、ドミニク・デローチェ、オドレイ・セクナジといったサンローランの共同製作者や親しい知人に会うことができた。彼らはサンローラン風のデッサンの仕方を教えてくれたよ。これは役作りをする上で重要な段階のひとつだった。

——相手役のギョーム・ガリエンヌとの共演はいかがでしたか。彼もあなたと同じようにコメディ・フランセーズの出身ですよね?

僕たちは二人とも書かれた言葉が好きなんだと思う。劇団には、本物の強い仲間意識があるんだ。一緒に過ごす時間が長いから、ショービジネスの世界では珍しく、独特なもの——ある種の忠実さや思いやり、家族的な雰囲気——が生まれる。ギョームとの共演は今作が初めてだけど、僕たちは二人ともコメディが好きで、ユーモアのセンスが一致していた。でも、「コメディ・フランセーズ」方式と呼ばれるもののことじゃないよ!コメディ・フランセーズ出身の二人の俳優がみんな同じ様な演技をするわけじゃないからね。最初はよく知らなかったけど、コメディ・フランセーズには様々な経歴を持つ俳優たちがいるって分かってきた。コメディアン出身もいれば、国立高等演劇学校の出身もいれば、パントマイム出身者もいる。セットでは、それぞれのやり方で自分の役に取り組んだよ。誰でも、自分なりのコツを持っているものでしょう?

——ジャリル・レスペールはどのように俳優たちに演技指導をしましたか?

彼は僕たちと一緒にシーンにどっぷり浸かるんだ。まるで登場人物の一人のように。僕たちは彼のためにあるシーンを演じて、彼があちこちのセリフを選んでは新たな着想を探り、そのシーンのエネルギーを感じ取ろうとする。彼は実際の「俳優の実験室」を創り上げるんだ。大事なことは、彼がこの映画に真のビジョンを持ち、何を達成したいのかを分かっていることだ。彼はとても節度のある方法で俳優に演技指導する。僕はそのやり方が気に入っている。ギョームと僕はこの作品でとても洗練された人物たち——もうあまり見ることのない種類の人々——を演じているからね。

執筆者

Yasuhiro Togawa

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