シネマート心斎橋にて7/27公開&イベント開催!『アイアム ブルース・リー』『李小龍 マイブラザー』・ファン暦40年“関西李小龍影迷會 龍活”佐藤貴志さんインタビュー
ブルース・リー没後40周年&『燃えよドラゴン』公開40周年記念として、アメリカのスパイクTVで放送され140万人以上が視聴したドキュメンタリーの決定版『アイアム ブルース・リー』とブルース・リーの実弟ロバート・リーが製作総指揮・監修を務めた『李小龍 マイブラザー』が、7/27(日)シネマート心斎橋にて公開される。
当日は大阪限定スペシャルイベントとして、献花式とブルース・リーの遺品の展示を予定している。
献花式のゲストは、香港のブルース・リー ファンクラブの日本代表を長年務めたソフィ・ウエカワさん(李小龍會 日本代表)、ブルース・リーファンとして知られるコンタキンテさん(俳優・芸人)、ベイビー佐々木さん(ロックバンド「BLUE Ⅲ」リーダー)。
また当日限定で、ブルース・リーの遺品を劇場ロビーに展示予定となっているためお見逃しなく。※『李小龍 マイブラザー』二回め上映終了後まで
今回このイベントを企画したのは、関西でオフ会として活動中の“関西李小龍影迷會 龍活”。その中心人物の一人であるブルース・リーファン暦40年の佐藤貴志さんに、ドラゴン熱が席巻した公開当時の様子や『アイアム ブルース・リー』『李小龍 マイブラザー』の見所を伺った。
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●1973年、ブルース・リー初体験の頃
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——ブルース・リーとの出会いを教えてください。映画を見に行こうと思ったきっかけは?
佐藤:73年の当時僕は中学1年生だったんですが、『燃えよドラゴン』はお正月映画で、12月下旬に公開が始まったんです。娯楽なんてほとんどない時代でしたから、『燃えよドラゴン』がヒットしているのは、興味なくても自然と入ってきたんですね。
深夜放送で『ABCヤングリクエスト』って番組があって、毎日ベストテンをやっていたんですけど、当時大ヒット中だった歌謡曲・小坂明子さんの『あなた』と『燃えよドラゴン』のサントラが一位を争っていたんです(笑)。
そうやって色々な情報が入ってきて、翌年のGW頃には途轍もないことが起こっているんだ。これは一回映画館に行かなければと。それで、生まれて初めて自分で決めて、自分でお金を払って映画を観に行きました。それまで映画館で観た映画といえば松竹の怪獣映画くらいでした。しかも字幕も初めて。何もかも初めてだったけど、今にして思えば幸福な映画体験でしたね。
——映画館で初めてブルース・リーを観ていかがでしたか。
佐藤:人間じゃないなーという感じでしたね。生身のアクションの驚きや面白さに場内が一体化する瞬間があったり、夢中になりました。
映画としては中学生には理解できない表現がものすごく多かったんです。ブルース・リーの妹が暴漢に襲われて最期にどうして自決したのかよくわからないし、地下の工場ではえらいグツグツ煮てるけど何煮てるんやろう? みたいな(笑)。とにかく面白かった感覚だけが残りました。
——公開から半年たった劇場の状態はいかがでした?
佐藤:さすがに立ち見はなかったですけど、混んでましたよ。同じ映画をお金払って何度も観るなんて信じられへんかったんですけど、リピーターが凄く多かったみたい。後になって彼が単なる武術家ではなく、映画スターとしても非凡だったと知りましたが、それが説明されなくても感覚的に入って来たんです。この人は亡くなって代わりになる人がいないって。
当時ブルース・リーは亡くなっていたから、映画会社が以前の作品を探して来て、『ドラゴン危機一発』がゴールデンウイークに公開されました。ブルース・リーの映画が二本同時に公開された時期があったんですね。僕は二週続けて行きました。
教室では「明日からや」「明日からや」ってみんな浮き足立っていて、「はよ 授業終われ!」ってムード。教師が「お前ら、明日から映画始まると思って、ざわついてるんじゃねぇぞ!」って言ってたくらいで(笑)。
——熱気が伝わりますが、実際ご覧になっていかがでしたか。
佐藤:その落差たるや(笑)。今やったらダメさ加減を楽しむという心の余裕があるけど、当時はこれは何なんだろうって(笑)。フイルムが良くないから画面にずっと雨が降ってるし、その国の国内向けに作られた作品が海外で公開されるのが当時は珍しくて、純然たるアジア映画のテイストにまずドン引きやったんです。
ただこの二本を続けて観たおかげで気づいたことがあって。『危機一発』の中で象徴的な動きがいくつかあるんですが、それを『燃えよドラゴン』の中でやってるんです。相手にやられた瞬間に流れてる血を舐めて気持ちを奮い立たせるシーンとか。『燃えよドラゴン』はブルース・リーにとってハリウッド デビュー作ですので、気持ち的に初心に帰ったのかなって気はしました。
——周りのクラスメイトはどんな感じでしたか?
佐藤:ほとんどがはまっていたり、道場に通うやつもいたり(笑)。男子は結託してクラス全員がファンでしたね。単純なんですよ。中学生ですから。ドラゴン兄弟って勝手に名乗ってましたもん(笑)。女子は引いてたと思いますよ。
——ドラゴン兄弟はどんな活動を(笑)?
佐藤:10分の休み時間に格闘シーンをずっとやってたり。ヌンチャクも作りましたね。つなぎのところがすぐ弱くなって回しているとちぎれて飛んで行くんです(笑)。山登りの六角棒を適当な長さに切って切れ目を入れて釘で止めるのが一番よかったです。後頭部とか肘とかガンガン怪我しましたけど(笑)。家の中でやるから天井にぶつけたりして親には怒られて。誰にやれと言われた訳でもなく、ひたすら練習していましたね。あのストイックさとエネルギーが他のことに向けられたら凄かったでしょうね(笑)。
学祭や言うたら勝手に8ミリカメラを持ち出して勝手に撮ったり。人が撮ってるのを観ると「あんなもんじゃない、俺らはもっと上手に撮れる」とか(笑)。
映画ってロングランでもせいぜい二ヶ月だと思いますが、『燃えよドラゴン』は公開翌年の6月の下旬まで、半年も上映が続いたんですね。今みたいに入れ替え制じゃないから、朝行って最低三回は見たり。その後『ドラゴン怒りの鉄拳』が74年、『ドラゴンへの道』75年に公開されて、約一年くらいの間に全部の作品を観てしまったんで、あと一本残っている!って感覚がすごく強くて『死亡遊戯』は僕にとって特別な映画なんです。毎年、映画雑誌に代役を立てる? とか中止になる? といった情報は載るんですけど、なかなか決定の情報がなくて。観れないんじゃないか という思いがあったし、木曜スペシャルで映画の特番をやった時は、あの黄色いブルース・リーが動いているだけで感動してましたからね。
——『燃えよドラゴン』のヒットでよく似たタイプの映画がたくさん公開されましたが、他の映画に興味はいかなかったんですか。
佐藤:役者の動きとブルース・リーのは明らかに違うんです。他は緩くてあくびが出てしまうようなものが多かった。子供のころからお父さんの仕事の関係で映画に18歳くらいまで出てたのかな。撮影される側の立ち居振る舞いが分かっているんです。加えて非凡な武術家で二枚目でもあった。今はアクション監督という新しいジャンルの人がたくさんいるからきちんとやっている。当時はそういうのがなくて、ブルース・リー自身はアクション監督でもあったんです。
亡くなって新作がないんだというところで、カンフー映画を極める人と残された四本にひたすらそれに没頭していく人がいて。僕は後者。他のスターを見てもあまりいいとは思わなかったんで。中学1年生でそういう体験をしてもう四十年くらい。今、五十ですから。つかず離れずですけどね。それが全てを物語っている気がしますね。
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●オフ会“関西李小龍影迷會 龍活”のこと
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——現在佐藤さんが活動されているオフ会の“関西李小龍影迷會 龍活”は、もともとブルース・リーと勝村淳さん橋本力さんの三人のファンクラブとして発足したものなんですね。
佐藤:“力勝龍倶楽部”と言う名前で3年前から活動を始めて、7〜8回オフ会をやりました。毎回4、50人は集まりますね。橋本力さんは『怒りの鉄拳』でブリース・リーの宿敵を演じた方。勝村さんは殺陣師として『怒りの鉄拳』でブルース・リーと拳を交えている上、重要な演出にも関わっていることから、時代の生き証人。気さくな方でファンクラブを作り易かったんです。去年のお正月にシネマートでブルース・リーの特集上映があった時に、舞台でお話をしてもらおうと場をセッティングさせてもらいました。
今は、グループの知名度も上がり、橋本力さん&勝村淳さんにこだわらないオフ会として、“関西李小龍影迷會 龍活”に発展しました。ブルース・リーのファンで世界的なコレクターの大村崑さんの息子さん始め、関西圏の著名なライター、研究家、コレクターといった方々にもご協力頂き、楽しくやれています。
元々東京でファンクラブやオフ会を独自にずっとやっていた同人誌発行人の原さんという方がいて、大阪でオフ会をやるから一緒に というお声掛けがあったことから、文章が書ける玉置さんとその他細々した事を担当する僕の三人が中心になって活動しています。サイト(“関西李小龍影迷會 龍活”【クローズ版『死亡遊戯』ダブルはいったい何人だ!?】→この記事の下記にあるリンクからご覧下さい)を見てもらうと分かりますが、玉置さんは筋金入りのファンでもなかなか気付かない研究をされていて。
——先日クローズ版の『死亡遊戯』にダブルが何人いたかという研究を拝見しましたが、あまりに詳細な検証に驚きました!
佐藤:特集本があればワンコーナーもらえる内容でしょ(笑)? 彼はブルース・リーはもちろん、カンフー映画全部を愛しているんです。あと、原さんが行動派の方で業界にもパイプがあったり。彼のところにブルース・リーの最新情報が集まるんです。
『燃えよドラゴン』はハリウッドと香港のスタッフ、俳優が混成した映画だったので、間を取り持つ人が絶対必要だった。それを担当した助監督のチャップリン・チャンさんが今もお元気で、原さんはチャンさんを呼んで『燃えよドラゴン』の裏話を聞こう! って本当に呼んじゃう(笑)。『燃えよドラゴン』がどういうふうに撮影されたのか、チャン助監督の口から聴けたので良かったです。
——一般的な定説となっているものとはまた違うお話があったんでしょうか。
佐藤:例えば『燃えよドラゴン』の鏡の間のシーンはオーソン・ウェルズの『上海からきた女』を参考にしているという説が多いんですが、実はハリウッドのスタッフが、ショッピングセンターで鏡がある細い通路を通った時、一瞬一緒にいた人がいなくなったように感じたんです。それで鏡を使ったら面白いんじゃないかというアイディアを出して、その場にチャップリンさんが居合わせたとのことなんです。
ブルース・リーは四十年前に亡くなった人とは到底思えないですよ。毎年のように新しい情報が出て来たり、遺品が見つかったり。この映画だってそうですもんね。
——今回は『アイアム ブルース・リー』『李小龍 マイブラザー』の関西公開初日に合わせて、イベントをされますね。
佐藤:原さんの総合プロデュースで献花式と遺品の展示を予定しています。遺品を持たれてる方が貸し出ししてくださるのことで、ファンの方が観に来てくれるきっかけになればと思っています。
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●今までなかった青春映画としての『李小龍 マイブラザー』
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——今まで伝記映画もたくさんありましたが、この『李小龍 マイブラザー』はどういった作品ですか。
佐藤:青春時代を中心に描いたものはあまりなかったので、従来とは視点が全く違う映画ですね。ブルース・リーのことを神様のように思う人がいて、僕は良くない事だと思っているんです。宗教の開祖のようなニュアンスで、悪口いうだけでもいきり立って怒っちゃう。ブルース・リーも高校生の頃は札付きのワルで、喧嘩ばかりしていて、相手を倒したいから武術に夢中だったり。バイクに夢中だったり。本当に普通の青年だった。身内の目線が入っているので、そういうところをきちんと描けたんだろうなと思います。そんな普通の青年が後に、こんな風になってしまうというのが、逆説的に凄さが伝わってくるのでは。
——佐藤さんのお勧めのシーンは?
佐藤:単純にファイト シーンですね。ブルース・リーの映画である以上は、きちんとしたアクション シーンが盛り込まれていないと。ボクシングやストリート ファイトのシーンが良く出来ています。
——幼少の弟ロバート・リー(『李小龍 マイブラザー』で製作総指揮・監修を担当)とのダンスシーンも彼の魅力が出ていましたね。
佐藤:意外と格闘やる方はダンスの名手も多いんです。リズムを作ったり、足の運びに通じる所があるようでブルース・リーの動きをみているとダンスが生かされていて美しいですよね。チャチャと言えば、『少林サッカー』で敵方のチームの悪辣な監督が、チャウ・シンチーのチームを倒して行く中でチャチャを悪辣に踊るシーンがあって、上手い具合に取り入れているなぁと(笑)。
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●完結しないブルース・リーの魅力
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——さて、『アイアム ブルース・リー』のお話を。
佐藤:今はブルース・リーに、影響を受けたクリエイターの時代になっていて、取り入れたいって人が多いんでしようね。
こちらはファンの四方山噺ですけど、コメントしているのが今までにない超豪華版。あれだけの豪華メンバーでブルース・リーの影響を裏打ちするところに従来にない魅力があります。
——映像的に新しいものはありましたか?
佐藤:『ドラゴン拳法』の最新版というか画質が良くなっているのはちょっとした見所ですね。あと’64年のエド・パーカー主催のロングビーチ世界空手道選手権大会の演舞をやるシーンが一部カラーです。従来は白黒だったもの。
全編を通してブルース・リー作品の一番いいところだけを上手い具合に編集してくれているので、これから入門する人にとってはいいでしょうね。
——『ドラゴン拳法』のインタビュー部分は冒頭からアップを多用していて、初めての人にとってブルース・リーのキャラクターが印象深く入ってくるように編集されてますね。年齢からしたら落ち着き払っているしユーモアがある堂々たる態度で、ソフトな部分もあり、喋り方に魅力があります。
佐藤:アクション・スターとして認識している方は、ブルース・リーが実は大学で哲学をやっていて、非常に深い話をする人なんだっていうことにびっくりされるかもしれないですね。彼の英語は非常に特徴があって、ユーモアのある人だとよく分かりますね。これはオーディションですから、仕事は当然欲しかったと思うし、野心もあったでしょうが そう見えない。“今、僕を落すとあんた損しますよ”みたいな(笑)。
——逆に値踏みしてるような余裕を感じましたね。アクションシーンを観ているとまた本編が観たくなります。
佐藤:あれだけテンポ良く紹介されると見慣れたシーンでも楽しめますね。何れにせよ映画館で観るのが大事です。シネスコの横に長いサイズの画面で、自分の動きや撮られ方を熟知した人のやっていることなんで。テレビのビスタ サイズになると違うんです。そういう意味でも映画館で観て欲しいと思います。
『燃えよドラゴン』はブルース・リーの壮大なカタログです。ブルース・リーも全ての技をじっくりみせるというより、こんなことも出来ますよと全部さわりでやっている。ヌンチャクも二十秒程度で棒術があったり。あれを名刺がわりにハリウッドに乗り込むというニュアンスを感じます。
冒頭のサモ・ハン・キンポー戦とか地下牢のシーンでたくさんの敵を倒していくシーンなど、やられる方も相当熟練の人間だからこそ、あれだけのシーンが撮れるんです。香港のアクションのレベルの高さをしっかり印象付ける狙いもあったと思います。ブルース・リーのダブルをやった人もいい仕事をしているんですよね。
——壮大なカタログは世界中のクリエイターに影響を与えたわけですが、邦画で最近気になったことはありますか?
佐藤:V6の岡田准一くんが截拳道のインストラクターまでいったのは凄いですよね。『SP』や『図書館戦争』で物凄くサマになったアクションを見せたり。これでまた興味を持つ人が出てくれたらありがたいです(笑)。今の邦画はアクション シーンの撮影に香港からアクション監督を呼んで撮ったりするんで、綺麗に撮ってますよ。『るろうに剣心』の佐藤健くんとか。ジャッキー・チェンやサモ・ハンと一緒に仕事をしていた谷垣健治さんが担当しています。
——1973年に初めてブルース・リーを観てから40年たった訳ですが、ファンとしての自負をお聞かせください。
佐藤:ブルース・リーって今だったら批判する人は少ないし、乗っかるのも簡単。でも、一番最初に公開された時は、ほとんどの批評家から酷い扱いだったってことはきっちり抑えておくべきなんです。彼のことを評価して、これだけのところまで持って来たのはファンなんです。ファンの草の根的運動がこういう形で実を結んでいるんです。
——未だに追い続けたくなるブルース・リーの魅力はどこにあるんでしょうか。
佐藤:未だに新しい情報が出てくるし、世代を越えて一人の人のことで話をして盛り上がれる。それだけこの人が偉大だってことやと思います。結局、『アイアム ブルース・リー』ってそういう映画ですもん。
執筆者
デューイ松田
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